やたらと反応しなくなれば嫌な人生でも確実に変わる、過剰ポテンシャルに傾いた時に唯一やってよいこと

今回も前回と同じトランサーフィン動画10回目の考察です。私たちは目覚めた時にだけ自由になれる、偽世界では世界観にすぐに引っ張り戻されるので目覚めた状態になるのは稀、決められていて変えられない映画の台本の中で操られる側ではなくてフィルムを選んで放送する側に立つ、瓶の外に出てもすぐに戻ってしまうので出る回数が必要、やたらと反応しなくなれば嫌な人生でも確実に変わるる、言葉の微妙な違いがわかると一気にイージーモードになる、私たちはこの世界の客人なので宇宙全体を変更する権利はない、理性は常に振り子から揺すぶられている、過剰ポテンシャルに傾いた時に唯一やってよいこと、力まず確信があるときが宇宙の協力を得て自然に実現する状態、などです。

こちらの動画を参考にして書いています。

ヴァジム・ゼランド『リアリティ・トランサーフィン』全翻訳私的読解【理論編】

前回の記事はこちらです。

台本の正体は初期設定で根底に植え付けられた観念による無意識のパターン、現状を変えたり今の自分を変えるのではなくて別人のマネキンに憑依して入ることがポイント

一番最初からはこちらです。

初期設定のフィルムは意図的に低周波で苦しみや破壊的な感情を出すように固定されている、毒親や幼少期からひどい目に遭う人は早期覚醒が必要だから

前回からの続きです。

動画のまとめ、要点、考察10

 

●私たちは目覚めた時にだけ自由になれる

私たちは稀にしか自由でない。稀にしか目覚めないことから、小林秀雄はしばしばこの現実を夢の延長として施策を繰り広げました。

小林秀雄とは誰かについてはこちらですw

小林秀雄はどんな人?

人物 日本の文芸評論の確立者であり、晩年は保守文化人の代表者であった。 アルチュール・ランボー、シャルル・ボードレールなどフランス象徴派の詩人たち、ドストエフスキー、幸田露伴・泉鏡花・志賀直哉らの作品、ベルクソンやアランの哲学思想に影響を受ける。 本居宣長の著作など近代以前の日本文学などにも 造詣と鑑識眼を持っていた。

文芸評論家の人らしいです。

「目覚める」というのは、イデア界視点、ハイヤーセルフ視点、プレイヤー視点、気づきの中心点に立ったメタ認知している状態のことです。

こういう感じで遠くから上から見下ろしているような目線です。

この状態だとこの頂点の場所は下の世界とは別世界のような視点になります。

一度に下の世界の全体を見渡すことができます。

下にいる時は、目の前の木や山1つでも大きく見えているので、こんなに全体が把握できません。

ファイナルイリュージョンの中で振り子台本に操られている時もそれとまったく同じことが起きています。

偽世界の中の出来事や物事を大事に捉えて重要性を付けて深刻になって過剰ポテンシャルが発生している偽世界軸のことです。

しかし、上にいる時は、下でぐちゃぐちゃ何か問題が起こっていたとしても真に受けて即反応しないで冷静になれるし、自分は別の場所にいるので影響を受けません。

瓶の中のアリを見るような感じで観察することができます。

それがイデア界視点、台本の外にいる台本を選べる側の視点です。

その視点に立っているならば、もしまた偽世界の演出で茶番デミックがあったとしても影響を受けないでいられるということになります。

瓶の外にいるなら影響を受けるわけがないのは当然です。

瓶の外であるイデア界視点になっていない時は、台本の自動操縦再生モードでマトリックス専用NPCなので、瓶の中のシナリオがそういう設定なら世界観演出の茶番に巻き込まれて影響を受けることになります。

 

●偽世界では世界観にすぐに引っ張り戻されるので目覚めた状態になるのは稀

「稀にしか目覚めない」と言われている通り、私たちは偽世界の世界観にすぐに引っ張り戻されてしまうので、山の頂上から見下ろしているような目覚めた状態をずっと維持することはできません。

だからこそ、常にイデア界を意識して意識的に山の上からの目線に戻るようにする必要があるということです。

それが3次元の物質世界を抜けた先の高次元からの視点、瓶の外からの視点になります。

 

●決められていて変えられない映画の台本の中で操られる側ではなくてフィルムを選んで放送する側に立つ

瓶の外の意識になっているときは、自分自身が高次元の存在、ハイヤーセルフ、りょうこちゃん光コンピューターの上位意識、無限の力、偽世界の製作者たちと同じ意識、わかりやすく大げさに言うと不可能なしの創造主である神のような存在になっています。

要は、瓶の中の作られて決められていて変えられない台本の中で自動操縦再生モードでNPCとして操られる側ではなくて、瓶の外の映画を放送する側になれば好きなフィルムを選んでそれに変えられるということです。

瓶の中身を作ったのは、瓶の外にいる存在だから外に出てしまえば変えられるということです。

物語の中の登場人物ではなくて、その物語を書くシナリオライターになってしまえば、嫌いなストーリーだったとしても途中から好きな内容に変えられるのと同じです。

 

起きている時でも、瓶の外、放送側の意識である「目覚めた状態」をずっと維持できないので小林秀雄さんは夢と同じだと言っているのでしょう。

「目覚めた状態」になると自由になれるのは、目覚めた状態が無限の宝庫と一体化した状態だからです。

ということは、私たちが本当に自由になれるのはメタバッチョの外に出た時だけだということがわかります。

自分の人生のシナリオライターになって初めて「自由」だと言えます。

意識がイデア界にあるときのみ「生きている」と言えるということです。

意識が作られた世界である「この世」というメタバッチョの中の世界観に向いていてなおかつ感情に振り回されて支配されている時は、映画の中の登場人物として自動操縦再生されているだけです。

私たちは毎日VRの中で最初から作られたシナリオの中でDVDのように自動再生されています。

最初にこの話を聞くとそんなことあるわけないと思ったり、ショックを受けるかと思います。

しかし、それは、エゴからの反発です。

エゴは何としてでも決められて変えられないシナリオの登場人物として固定させようとしてきます。

振り子がエネルギーを吸い取るためです。

エゴは振り子に従うように動かしてきます。

それに気づいて理解して受け入れられると宇宙の流れに乗れるようになって、瓶の外に移行できます。

 

地球上の全人類が今この瞬間自動操縦再生モードです。

しかし、まだ1秒先の起きていないところは、フィルムの交換次第で路線や内容を変えられるということが重要ポイントです。

それには、映画を放送する側の意識になる必要があるということです。

 

自動操縦再生モードのときは、世界のや社会の動きのようなシミュレーションの中に住んでいる人物という感じです。

瓶の外に出てフィルムを選べるようになったとしてもシミュレーション世界の中にいることには変わりがありませんw

イデア界に出て意識を使えるかどうかもシミュレーションや実験、研究をされているでしょう。

 

●瓶の外に出てもすぐに戻ってしまうので出る回数が必要

自由な状態になれるのは、フィルムの交換に慣れている人ですら気づいて元に戻したとしても長くて1分くらいというほど短い時間です。

それだけ偽世界の世界観演出の自動操縦再生モードは強力です。

だから、常に意識してイデア界に出て意図的に目覚める回数が必要になってきます。

もちろんその回数が多ければ多いほど合計の時間(イデア界でフィルムを選択している時間)は長くなるのでフィルムの交換に有利になります。

 

前にも話しましたが、アッパマーダ(サーマディー)中は、自動的に外に出ることができます。

なので、やはり一番手っ取り早いのはアッパマーダ(サーマディー)ですw

アッパマーダ(サーマディー)は、自分の目的達成にも当たり前田のクラッカーで必要だしはかどるし、潜在能力まで開花するわでメリットしかありません。

それをすることで、無意識的に自動的に次のシナリオや今後何が起こるかも照射しています。

アッパマーダ(サーマディー)というのは、目の前のことを丁寧に大切に扱って、時間も我も環境も人目、評価、数字、結果も気にせずそれに穴を開けるかのように1点に集中することです。

 

ベルクソンが「試論」において、意識に上がってくる以前の段階──純粋持続の段階を夢に喩えているので、それに感化された解釈だと私は踏んでいるのですが……

小林秀雄はこの本の影響を受けたということだと思います。

アンリ・ベルクソン 意識に直接与えられたものについての試論

ベルクソンは何をした人ですか?

アンリ・ベルクソンは、19世紀末から20世紀前半にかけて活躍したフランスの哲学者です。 「持続」の概念を中心に、生命や意識の本質を探求しました。 1927年にノーベル文学賞を受賞しています。

ヤーベル賞なのでベルクソンも本当に存在したかは不明ですが、製作者側が用意したBOTにはこの世のデクラッチョが入っているので、イデア界のヒントが出てきている可能性はあると言えます。

 

しかし自己観察力に優れた人は皆、似たり寄ったりな認識に至るものなのかもしれません。

パワーとフォースの話のように、意識レベルらしきものがあってそれによって到達する認識があるような感じがします。

4つの刺激的な次元、人間道、天道とかの主観の次元の話とも共通します。

見えない力の重要さがわかってきた人が言う話は、メタファーの表現方法や使う言葉が違うだけで本質はどれも同じです。

見えている世界とは別に見えない世界のイデア界があって、そこにこの世の全ての大元があります。

進み方の速さや方法は違っても誰でも最終的に同じ認識にたどり着くということでしょう。

 

ブッダの知恵を伝えるベストセラー「反応しない練習」にも以下のような一説が出てくるんですね。

この本もよさそげですw

反応しない練習 草薙龍瞬

 

●やたらと反応しなくなれば嫌な人生でも確実に変わる

今までの話からすると、「反応」というのがこの世で一番重要なことかもしれません。

「反応」が人生で起こる内容を決めているといってもいいほどです。

自分が反応した内容がイデア界という鏡に入ってそれが物質化されて出てきます。

そのことからも、この世の人生における苦しみや不幸、一喜一憂、感情の波風は外界のことに反応するから起きているということがわかります。

現在上映中の映画は変えようとしてはいけませんが、やたらと反応しなくなることでその嫌な出来事や不快な状態が勝手に消えていきます。

人生において嫌なことや不快なことが多い人は反応をしまくっているということです。

その場合は、いちいち反応してカッとしたりムカついたり深刻になる回数を1つずつ減らしていきましょう。

その数が減ってきたときには状況は変わっています。

 

私たちがふだん実態があると思い込んでいるもの──勝ち負けや優劣を社会の情報や価値観──は、厳密にいえば「妄想」でしかありません。

何事もイデア界の感覚を生み出す装置によって、「あると思い込まされている」というところが偽世界の大きな特徴です。

 

それらは、脳の中を浮遊して、「手に入れろ、勝て、遅れをとるな」と囁いてきます。人の心はそうした妄想に覆われています。でも本当は、「妄想の中で眠っている」のと変わらないのです。

めちゃいいこと言ってますw

これはまさに、この世の常識や当たり前の風潮になっている奴隷文化であるナチョス文化のことです。

イデア界の本当の自分ではないそういう雰囲気だけの要素に流されてそういうことに重要性を置いて深刻にやっているときは、まだイデア界の本当の自分が眠っているということになります。

ナチョス文化をやってはいけないということではなくて、それが人生の重要なことだと決めつけたり、人生や命をかけたり、それが手に入らないか達成しないとこの世の終わりみたいな深刻さをもってやることが平衡力での制裁を招くということです。

 

●言葉の微妙な違いがわかると一気にイージーモードになる

この世はナチョス文化社会で成り立っているので、完全に排除したり無視することはできません。

じゃあどうしたらいいのか?というと、今上映中の映画は変えられないので、そのまま普通に無感情で淡々と英&愛のように作業的に従うけど、頭の中はシナリオライターとしてまだ起きていない先の映画の内容を考えていればいいということになりますw

それが実はめちゃ楽な生き方ですw

形は現状に従っているけど、頭の中では常に次起こす内容だけに焦点を当てて楽しく妄想していればいいだけです。

現状に対しては、上の空、心ここにあらずというやつですw

心は最初からないのでそれでいいということになりますw

しかし、邪険にしたり無視したり、軽視したりシャットアウトするのではありません。

どんなことでも丁寧に大切に扱って本気で取り組みます。

愛情を込めて丁寧に大切に扱うけど、重要性をつけて深刻にしないことが一番重要です。

「深刻」と「愛情を込める」、「丁寧に大切にする」、「本気」という意味は全然違いますw

「愛情を込める」、「丁寧に大切にする」、「本気」には深刻さが入っていません。

深刻さが入っていないなら、理想の結末に向かうものだということです。

偽世界では、そういう1つ1つの言葉の微妙な違い、裏に潜むプログラムの罠がわかってくると一気にイージーモードになります。

 

重要性を付けて深刻に生きている時は、言い方を変えると、決められた台本の中で自動操縦再生モードで動かされているただのNPCなので、宇宙の意思としてはまだ生きていないということになります。

しかし、生きていなかったとしても、NPCとしてイデア界のシミュレーションや実験には貢献しているので、なんの問題もありません。

 

これはもう、「振り子の法則」そのものです。もしかしたら、お釈迦様の教えにこのようなものがあるのかもしれません。

もし本当の真理があるとすれば振り子の法則を言っているはずです。

 

この動画の主さんの体験談からも、やはり振り子によるひどい体験をしている人のほうが真理に早くたどり着くことがよくわかります。

私も全く同じような目に遭っていますw

今まで命かけて真剣に取り組んだり、やらなければならない!と言ってやったことは何1つ実になっていませんw

しかし、そういう悲劇体験のおかげでイデア界のほうの本当の正体に目覚めてこういう真理にたどり着いていることは確かなので、今までの経験全て1つも無駄なことはなかった、逆にそれがあったことで覚醒できたので最善だったと思っていますw

フォースの領域は、そうなるまで自我と物質世界を学ぶ場所でしょう。

しかし、イデア界のシステム、テクニカル的には、そもそも全員がマトリックスの真っ白い空間から始まっているので、フォースの領域をスキップすることはできると言えます。

構造的にはそうなんだけど実際には、生まれた時からの悪霊振り子の洗脳の影響が強いので、まずはそうならないのが普通という感じです。

 

ヴァジム・ゼランドによると、展覧会に展示された絵画と同じで、私たちはどんなに気に入らなくとも、与えられたものを捻じ曲げることはできません。

「与えられたもの」というのが大きなカギです。

私たちは自分で生きていると思っていますが、イデア界から与えられた命や世界の中で生きています。

その「与えられたもの」を変えようとか捻じ曲げようとすることは、イデア界への抗いだとみなされるということです。

それは宇宙を敵にまわしたのと同じです。

なので、現在上映中の与えられて決められていて変えられないシナリオは、受け入れてその流れに乗るしかありません。

しかし、一生そうだというわけではありません。

まだ起きていない出来事、今現在上映されていない部分は好きなように作れます。

 

●私たちはこの世界の客人なので宇宙全体を変更する権利はない

私たちはこの世界の客人なので、現実を変更する権利はないただ、選択のみ可能だというんですね。気に入らない絵画から離れ、別の展示品を選ぶかのように。

これはわかりやすい例えです。

「客人」というのが、いかにもゲームプレイヤーという感じがします。

私たちは用意されたゲームで遊ばせてもらっている側にあたります。

そのゲームで気に入らないことは、見たとしても見なかったことにできます。

この話の「展示品」にあたるものが、イデア界の無限の保管庫に置かれている無限のフィルムのことです。

そこには好きな内容のストーリーの台本が置かれているので、それを選べばいいということになります。

 

人生の台本が最初から決められていると言われると怖い感じがするかと思いますが、「無限」というところが見逃してはいけないポイントです。

「無限」なら細かさにキリがないので完全に自由なのと同じです。

実際に自由意志というものはないけど、自由意志があるのと同じだということです。

自由意識があるかのように作られているというところが数十億先の文明の高次元のテクノロジーの素晴らしいところですw

なぜこういう構造にしたかというと、電脳の世界としては台本ごとのセットのほうが管理が楽だし確実だからでしょうw

さらに、もし個に自由意志があったら宇宙全体の秩序もクソもなくなってシンクロしてまとまるわけがありませんw

それこそ誰かに支配されて乗っ取られてしまう危険性も含んでいます。

宇宙全体のシンクロを簡単にするにはセット管理の方が製作者以外の何者かに乗っ取られることもないし、バランスを取るには最適だということだと思います。

 

魂は選ばせようとし、理性は変えようとする。振り子としては当然、理性に空回りしてもらおうと躍起になって、おだてたり挑発してきたりします。

理性というのはエゴのことです。

 

●理性は常に振り子から揺すぶられている

理性は常に振り子から揺すぶられているのだ。そのため、いつも理性はあくまで自分の考えを押し通そうとして、外の世界への正面攻撃を受ける。

自分の中に湧き上がってくる理性、エゴの声は、振り子の声だと思っていた方がよいでしょう。

それは、耳から聞こえる声ではなくて、頭の中で考えとして湧き上がってくる誰かの意識みたいなもののことです。

頭の中に突然出てくる否定的な考え、グルグルと何回も反芻してしている内容、過去の出来事とかもまさに振り子です。

イデア界の本当の自分、りょうこちゃん光コンピューターの上位意識からくる信号はそれとは全然違います。

湧き上がってくるのは頭の中ではありません。

全身でずっしりとわかってしまって、それを感じた時にはもうそれに完全に一致した行動で動いていたり選択したり何らかの行動をしています。

それが「意図する」というやつです。

イデア界の本当の自分で意図したものは必ず達成します。

しかし、振り子に揺すぶられているエゴの声を聞いて従うと、決められて変えられない台本に閉じ込められて振り子のエサにされてしまいます。

 

あなたは世界の胸座を取るが、世界のほうは解放されようとして抵抗するのだとしているところもありますね。

これはどういうことかというと、この世という世界はイデア界で作られています。

なので、幻の世界であるファイナルイリュージョンの中で幻であるエゴ、理性に従うと、イデア界が解放されようとして抵抗してくるということです。

私たちはイデア界で作られて生かされている身です。

いくら理性(エゴ)で攻撃をし続けてもイデア界には何をしても勝てないのでどうしようもありません。

これは、イデア界で最初から決められていて変えられないシナリオ、台本、映画に逆らうことを言っています。

そのフィルムを交換する以外に中身は変わらないということです。

上映中の変えられないシナリオに攻撃したり捻じ曲げて変えようとするくらいなら、この先まだ起きていない部分から早く変えてしまった方が安全で簡単ですw

 

●過剰ポテンシャルに傾いた時に唯一やってよいこと

この場合に唯一やってよいことは、目的の意義を引き下げることである。

これを知っているのと知らないのでは、大違いです。

過剰ポテンシャルは人生で誰もがやることなので、起きてしまった過去は致し方ありませんw

人生において過剰ポテンシャルによる平衡力での制裁、リセットを経験しない人はいないと思います。

しかし、平衡力での制裁の防ぎ方を事前に知っているだけで、今後リセットされることは一切なくなります。

だいたい過剰ポテンシャルが出るようなものは、それを選んだ時点、決断した時点の周波数が狂っていて選択から間違っていることが多いです。

悪霊振り子に憑依、支配された状態で選んだものだということです。

その周波数のストーリーで決められているということになります。

なので、それに関しての期待はしないに越したことはありません。

「期待」というのは、そもそも意図してない証拠でもあります。

意図ではない時に、不安や深刻さを消すために期待や希望が必要だということです。

意図だった場合は、やるかやらないかだけです。

それ以外に必要ないということです。

俺か、俺以外か。と同じですw

まずは悪霊振り子を解除をして、波動修正して本当の自分に戻ってから、別の道を選んでそれと同時進行でやるくらいがよいでしょう。

波動が本当の自分の状態に戻ってくると、やっぱあの時憑依されてたから変なもの選んでたな、これはうまくいかないの当然だわとか、もうこんなのいらないとか、違う対応に変えようとかわかるようになります。

それだけ悪霊振り子に憑依、支配されると、見る目も感覚も直感も全て狂わされています。

 

売店に新聞を買いに行くような気持ちで、目的に向かって行くのだ。

生真面目に深刻にやってる人ほどうまくいかなくて、いい加減でテキトーな人のほうがうまくいのはこのせいですw

いい加減でテキトーな人は、売店に新聞を買いに行くような軽い気持ちで後腐れなくやってるから過剰ポテンシャルが起きないということです。

それは、サイコパスが無感情で冷静沈着で何にも動じず振り回されず、悩むこともなく淡々と目的に向かって行動するから絶対に目的を実現させてしまうのと全く同じです。

英&愛らしさというやつですw

それが高周波の「軽い波動」でもあります。

「軽い波動」というのは、感情を使わないから中身が空っぽなので軽いとも言えますw

考えも行動も本当に軽い所が特徴ですw

ファイナルイリュージョンで「軽い」状態は、薄っぺらい、チャラい、信用できないとか思われがちですが、イデア界から見ると、そのような軽い波動のほうがエネルギーバランスの良い状態だということです。

 

●力まず確信があるときが宇宙の協力を得て自然に実現する状態

実際にコンビニに新聞を買いに行く時は力みませんw

新聞もすぐに手に入ると最初から分かっています。売り切れだったとしても他のコンビニに絶対にあるという確信があります。

そのまず確信がある状態が自然に実現する状態です。

自然に実現というのは、宇宙の協力の下で実現しています。

しかし、人間の人生において、別のものを手に入れる時には、深刻になったり、緊張したり失敗が起こることを想像したり、あれこれ余計なことを考えて力むせいで、宇宙の協力による自然な実現を自分で断ち切っています。

だから新聞のように簡単に実現しないということです。

他の例で例えると、バスが時刻通りに来るとわかっているからバス停でバスが来るのを待ちます。

たまに事故とかで遅延があったりはしますが、もう絶対来ないかもしれない!とか来なかったらこの世の終わりだ!と思って時刻表を疑ったり、何としてでもバスに乗ってやる!と力みながら待ちに行くことはありませんw

人生で起こる出来事もコンビニに新聞を買いに行くような軽い感覚、バスが時刻通りに来るのがわかっているからバス停に行くのと同じようにやると、当たり前田のクラッカーなように実現するということです。

それが軽い波動です。

深刻になって重要性をつけて人生や命を懸けたりして重い波動でやるとやろうとすると、実現させたいことが実現しない代わりに、重い状態が実現します。

重い状態は、自分で個人的振り子を生み出している証拠でもあります。

なので、悪霊振り子の思い通りに動かされてしまうということでしょう。

悪霊振り子の目的は、もちろんエネルギーを吸い取って生き延びることなので、悪化させて破壊して低周波エネルギーを作り出して、それを吸い取るエサにして憑依し続けて水面下での勢力を拡大しようとしてきます。

その表面で起きている現象が、「懇願」ということです。

 

この続きは次の記事になります。

 

 

 

 

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