現実とは?についての続きです。本当の自分からの欲求は最初から答えがあるから出てきている、自我は幻覚なのでエゴからくる欲求も幻覚、本当の自分だけが無限の宝庫、モナドが無意識でキャッチした情報が心の中から湧き上がってきている、心の中に湧き上がってくる内容は人によって違うので絶対に同じになることはない、取扱説明書が必要な危険物以外は自分で自分らしい方法を見つけるしかない、意識が生命を表現している、陰陽が同じ量でも悪いことの方が強調されて大きく見える、などです。
前回の記事はこちらです。
一番初めからはこちらです。
「真実」についてはこちらです。
wikiの「現実とは?」の西洋思想、古代哲学のモナドの説明文の予定調和の話の続きからですw
真実と同じで現実もありもしないもの 16
モナドの説明文に戻りますw
ちょうど、あらかじめ時刻を合わせた二つの時計のような意味での、神の創造の時点で予定・調整された「調和」である(予定調和)。モナドの状態の変化は、可能性としてそのモナド自身が有しているものの展開であり、厳密にそのモナドの先行状態にのみ由来する。
最後の「厳密にそのモナドの先行状態にのみ由来する」というのは、日本語がおかしいので意味がわかりませんw
この文章翻訳機やろw
●本当の自分からの欲求は最初から答えがあるから出てきている
もう一度つなげて確認しますw
モナドの状態の変化は、可能性としてそのモナド自身が有しているものの展開であり、厳密にそのモナドの先行状態にのみ由来する。
この文章からすると、独立したモナドから出る欲求は、単品モナドが元々内側に持っていたものからの展開だということだと思います。
個人の欲求は無限の宝庫から出てきているということです。
最初から答えがあるから欲求が出ているということになります。
これが、5次元なところです。
5次元は、最初からすべてが解決していて答えが全部揃っています。
これが作り話の特徴です。
偽世界や人生の作り話も始めから最後のエンディングがどうなるかを決めてから、そこにたどり着くまでの途中の作り話を埋めるように作っているのではないかと思います。
そのプログラムが見えない領域に仕組まれているということです。
エンディングに繋がるように辻褄を合わせて一番初めの出だしを作るという感じになります。
本当の自分から来る願望もそれと同じで、最後に何かを達成することが最初から決まっているから、ストーリー上主人公にその願望が出て何かいろいろやるわけです。
そのいろいろやる途中経過の時に、うさおっちょストーリーのように急に下がって問題が起きては解決してという陰陽の白黒の強弱が出るからドラマ性、刺激、面白さが出るということです。
全てが最初から全部揃っているプログラムが裏にあるけど、表向きは立体物質世界で時間軸もある偽世界は、その途中経過の白黒の変化を時間軸上で楽しむ場所だということがわかります。
この世が個で分かれている理由は、個人を作った方がストーリーになるからだという説もあります。
間違いなくそれもあるでしょう。
ガチでこの世は作り話製作所である可能性もありますw
もしかすると、偽世界の外のテレビや配信の中で私たちの人生をドラマのように鑑賞されて見られているかもしれません。
トゥルーマンショーという映画がそういう内容らしいですw
人生の内容を別次元のテレビで放送されていたみたいな仮想現実映画らしいですw
その映画も偽世界の中ではフィクション扱いされていますが、実はデクラッチョで偽世界の外では本当にやっている可能性もありますw
全員同じ名前だったり個が特定されないと、5次元の最初からある答えになる断片を4次元の時間軸上に落として3次元の立体的ストーリーを作っても誰が誰なのか何をしたのか一切意味がわからないので、個に分けられている可能性もあります。
●自我は幻覚なのでエゴからくる欲求も幻覚
先ほど話した「欲求」というのは、偽世界の外にいる本当の自分としての欲求のことです。
偽りの幻覚の姿の自我からくるものではありません。
したがって、ナチョス文化、エゴの欲求は無効だということですw
エゴからくる欲求の場合は、無限の宝庫からきているのではなくて、エゴが勝手に作り出した幻覚だということになります。
最初はそれがわかりませんw 全部本当の自分から来ていると思ってしまいますw
しかし、長期間同じことを繰り返していて苦しんでいるなら100%エゴから来ている願望です。
なぜエゴだと苦しむかというと、そもそも自我、エゴ自体が幻覚で本当の自分の姿ではないからです。
それは、偽世界専用のゲーム用の難易度設定のための姿になります。
だから、エゴから出てきた欲求自体が幻覚だということです。
幻覚から出て来たものは、幻覚のエゴの世界の偽世界の世界観に戻って汗水血を垂れ流して四苦八苦したり、自分の能力不足、才能が足りないと思い込む幻覚に包まれて自分に鞭を打って上へ上へ這い上がることしか考えなくなったり、便器マンのように偏屈になって人につっかかったり人のあら捜し、指摘をするなどの便器活動で人と戦う事にエネルギーの浪費をしながら時間の使い方が下手なのよになるだけですw
しかし、エゴの経験を通さないと5次元意識にはたどり着かないので、それは誰もが通る道です。
それが本当の自分から来ているのか、エゴから来ているのかわからない時期ですw
そういう時は、いずれにしてもエゴの悪霊憑依で自制できないので思うように突き進むしかありません。
もし本当の自分が分かる必要があれば分かる時がくるかもしれないし、一生分からなくても大丈夫ですw
モナドによって、必要がないモナドもいます。それはそれでその人の役割をしっかりと果たしているということです。
この辛くて苦しくて嫌な時期も、陰陽の片方だけになることはないのと同じで避けることはできません。
偽世界で全員始めは辛くて苦しい嫌なナチョス文化からスタートするのも陰陽の反対側を教えてくれるというメリットがあります。
偽世界の人間に不必要な自我があることやオオウソの教えやナチョス文化がある理由は、ヤーミーの優しさで5次元意識を教えてくれているということになります。
これも陰陽の黒いヤーミー部分がないと、反対側の白の5次元意識は覚醒することがないということです。
●本当の自分だけが無限の宝庫
偽世界風にわかりやすく言うと、純粋な本当の自分、本音からきた願望に限り、本気でやればうまくいくからその願望が出てきているということです。
その場合は、自分がやるかやらないかだけです。
本当の自分の欲求に限り、できないことは願望として出てこないということになります。
願望通りにやっても叶わないとか苦しんでいるなら、エゴから来ている幻覚だからです。
できないだろうと思うような身の長けに合わない高すぎる目標、数字、評価、成績、人目、結果が気になる内容はエゴから来ていますw
本当の自分から来ている欲求は、結果が気にならないことでわかります。
結果や途中の進行具合、段階がどうのこうのよりも、やりたいからやるというだけだからです。
純粋に動物が寝たいから寝たり布にかみついて振り回したり、やりたいからやる、それ以外に何も考えないでただやるというのと同じです。
反対から言うと、結果、数字、評価、人目とか気にしないでやりたいからやる時は、凪の恩恵、無限の宝庫がバックについている証拠です。
それとつながってもう今その瞬間に持っているので結果が気にならないということです。
いろいろ気になる時は、切断されている証拠ですw
本当の自分だけが無限の宝庫だということです。
だから、本当の自分になればその答えになる断片はいつでも取り出せるということになります。
そうなるまでには、ある程度ナチョス文化でもまれて地獄の苦しみを経験し、誰も自分のことを理解してくれないし助けてくれないことに気づいて自分一人の力、無限の力で乗り越えてこないと気づかないというのもありますw
しかし、先ほど話したようにそれも必要なモナドかそうでないのかにもよるので、何を言っているかわからなくても大丈夫です。
ナチョス文化で十分幸せな人もいます。
独立したモナドの個性が全員違うことでこの世を作り出しているので、いろいろな人がいて良いということです。
●モナドが無意識でキャッチした情報が心の中から湧き上がってきている
この表象能力には、その対応の正確さや明晰さに応じて、明晰・混雑などの度合いの差がある。すべての他の事物や世界の状態が同等に知覚・表象されるわけではない。対応するものを明晰に反映していない表象は、しかし雑然とした形で意識の状態に影響を与える。これを微小表象といい、後にいう無意識の概念に近い。
表象とは
表象(ひょうしょう、英: Representation、仏: Représentation)は、一般には、知覚したイメージを記憶に保ち、再び心のうちに表れた作用をいう(イメージそのものを含めて呼ぶこともある)が、元来は「なにか(に代わって)他のことを指す」という意味である[1]。類義語に、記号、イメージ、シンボル(象徴)[2]がある。
独立したモナドには知覚したイメージを記憶に保ち、再び心の中に現わす能力(表象能力)があるいうことだと思います。
生きている間に自分では見ていないつもり、意識していないつもりでも無意識的に様々な細かい情報がキャッチされているといるということです。
他のモナドとの接客で見た内容も含まれているでしょう。
それが独立した個人のモナドの心の中に出てくるということです。
直感も含めて心の中に急に湧き上がってくるイメージはそれのことだと思います。
その独立したモナドの巨大化(単品モナドとして見た時)が、今まで仮想現実の中で生きてきた人の知覚したイメージを記憶に保っているアカシックレコードだということです。
単品モナドであるアカシックレコードの記憶を分裂させて独立したモナドに分けているんだけど、独立したモナドは自分の心に湧き上がったと思い込んでいるということだと思います。
このモナドの話も自由意思はない、思考、感情、行動も潜在意識の中で操作されているというのに完全に一致しますw
「表象能力」というのは、ちょっと前に出てきたこの文章からすると
究極的には無数のモナドから、そしてただそれだけからなる現実世界全体の状態(ということはすべてのモナドの状態)に、個別のモナドの「状態」は対応する。これがモナドの持つ「表象・知覚」能力である(モナドは鏡である)。
個別のモナドの状態が無数の他のモナドに対応するという動きのことでもあります。
自分の主観、パラレルワールドが偽世界のバックグラウンドとしての世界観に対応するということです。
偽世界ゲームの世界を見るために偽世界の世界観への接続することです。
●心の中に湧き上がってくる内容は人によって違うので絶対に同じになることはない
この表象能力には、その対応の正確さや明晰さに応じて、明晰・混雑などの度合いの差がある。
その動きに、明晰・混雑などの度合いの差があるということになります。
これは単純に、先ほど話したように独立したモナドは個性が全員違うので、無意識で外界の情報をキャッチする内容や速さや量なども人によって違うということでしょう。
心の中に浮かび上がってくる内容も人それぞれ違うので、絶対に同じになることはないということです。
これも店員とお客以上の距離感になろうとするズンビ関係が全く意味がない理由に完全に一致しますw
何で違うのかは、モナド個人の個性、嗜好、主観、ディープラーニングの進み度などの差みたいなものだと思います。
もちろん、元々は単品モナドの分裂なので、同じものがあると意味がないというのもあります。
今の話から、自分が経験してきたことと同じ勉強法や修行、経験内容で他の人も自分と同じ状態になるということはないと言えます。
●取扱説明書が必要な危険物以外は自分で自分らしい方法を見つけるしかない
だから、学校やお教室みたいなところに通ったり師匠についたり、先生、先輩、上司、指導者などの他人から指導をしてもらう事でお手本やその人と同じになれるというわけではないということです。
これも便器マン考察の時に出て来た辞書の「批判の3の意味」と同じで例外はありますw
命に関わるような危険物を扱う技術、機械の操作みたいに技術の習得や取扱説明書がないと危険なものなどは例外です。
それらに限っては、自己流で危険な使い方をして被害を出すわけにいかないので、取扱説明書やその道のプロ、専門家の指導に従う必要があります。
それ以外は、自分で自分らしい方法を見つけたり気づくしかないということになります。
それは、補助なしの自転車を乗る時に、いくら口で説明しても手伝うことが出来ないのと同じです。
補助なしの自転車は、どんな肩書のある達人やプロ競輪選手からすごい情報をもらったりネット情報を見ても、エビデンス付きですごい論理的な説明を受けても本人が自分の身体でバランスをとって自分の体で理解して何回も乗って覚えないといつまでたっても乗れませんw
ネット上で人に相談や質問ばかりしている悩みまくりマン、質問マンがまさにそれですw
傷つくことを恐れて完璧な情報や完璧な方法を探していくら人に聞いても、人と自分とではモナドの表象能力に度合いの差ががあるので人と同じなわけがないということです。
自分の体で試しては転んでの繰り返しでバランスのとり方を覚えて自分に合う方法を見つけない限り何も進歩しませんw
すべての他の事物や世界の状態が同等に知覚・表象されるわけではない。
というのは、たぶん、モナドによってモナドの状態の内容などの全部が全部ハッキリと反映されていることが分かるわけではということだと思います。
一言でいうと、人の主観によって捉え方が違うということでしょう。
なんでも難しく言いすぎw
たとえば眠っているときの意識は、身体や外界の状態に曖昧かつ不明瞭に対応する微小表象によって構成されている。
たぶん、さっきの話のハッキリと反映していないことは、寝ている時の意識になっているということだと思います。
夢は、普段から自分が無意識で知覚したイメージが出てきて整理されているとか、寝ている間に「もしこういうことが起きたらどうするか?」というシミュレーションがされているという説もあります。
両方ともありえますw
そのシミュレーションを本当の現実だと認識するのがこの世でしょうw
●意識が生命を表現している
人間や動物の精神や生命は、このモナドの表象・知覚の能力によって説明される。
また翻訳機みたいな文章なので「説明される」という意味がわかりませんが、モナドが他のモナドの状態を反映する働きで人間、動物の精神や生命ができていると言っているような気がしますw
この世自体が全部モナドの内面なので、人間や動物の精神や生命はモナドの働きによってできていますと言っているのかもしれません。
完全に文章が英&愛ですw
逆に言えば、そこから、すべてのものにはそれぞれの度合いに応じて精神や生命があるということにもなる。
これは、ハッキリした表象だろうが、曖昧かつ不明瞭に対応する微小表象だろうが、精神、生命があるんですよということだと思います。
全ては、単品モナドの内面ですから、そりゃそうでしょうねというオチになってきますw
早い話が、単品モナド自体がアカシックレコードだということです。
独立したモナド自体がそれぞれ個人の主観なので、単品モナドでも他のモナドでも結局1つの単品モナドの内面の主観から成り立っているから「全てのものに生命がある」と言っているのではないかと思います。
全ては1つの大きなものが分裂してできているというこれのことですw
一番上の無限の力、アカシックレコード、ソース、大いなる源などと言われる場所が単品モナドで、独立したモナドはそれが枝分かれした一人一人の個人だということです。
言い方を変えると、全てがアカシックレコード、大いなる源、ソース、無限の力、ゼロポイントフィールドなどと言われている1つの巨大データログ庫の中のデータからできているということです。
偽世界風に言い方を変えると、石コロ、ホコリ、物も生きているということになります。
しかし、実際には何もないので、そこにエネルギーだけがあるということです。
エネルギーは生きているから、それから成り立っているホログラムの物に見えている物は生きていると言えるということです。
物を大切に扱わない人はエネルギーを大切にしていないのと同じだから物にも嫌われて逃げられるという話と全く同じですw
物金ナイナイチャンは、エネルギーに逃げられているから物金にも逃げられるということですw
偽世界の外軸で見た場合は、物も本当はそこに何もなくて電極に繋がれた脳が幻覚を見てあると錯覚しています。
意識を持つ脳が実際に物質や環境があると思い込んでいるので、脳が意識したり感じる事全てが生きているのと同じだということです。
生きているというよりは、意識が生命を表現しているというほうが近いかもしれません。
今やっていることや持っているものをかわいがるとうまくいくのは、間違いなくそのせいでしょう。
逆に言えば、そこから、すべてのものにはそれぞれの度合いに応じて精神や生命があるということにもなる。
この「度合い」というのは、人間から見て不要なもの、ゴミ、毒などのあったら困るものみたいなものにでも精神、生命があるということではないかと思います。
全ては1つのエネルギーからできているから、全てが精神で生命だということでしょう。
「予定調和」は、シナリオがある段階になったときに発生するものですが、偽世界は無常プログラムを基本としているので、予定調和になっては無常の変化で壊れて、また予定調和になっての繰り返しという感じがします。
それが陰陽の食い込みの白黒で、白(調和)=黒(不和)で結局どっちも同じ1つのものということです。
そのことから、絶対に調和、不調和の片方だけがずっと続くということはないということがわかります。
調和に向けてもがいて緩和してほっと一息ついて安心したと思ったけど、また別の事が起こってもがいて苦しんでまた緩和しないといけないみたいなのの繰り返しということです。
予定調和は、長老のトイレの話と完全に一致しますw
長老がトイレの苦しみで全てが悟れるような話をしていましたw
トイレを何日間もずっと我慢してみれば分かるそうですw
もよおしたくなって苦しんで出して緩和、解決してはまた苦しむの繰り返しでそれ以外はないということでしょうw
人生はそれと同じだということです。
実際に人間の生体は苦しみなしでは生きていけないようにできています。
楽に答えや快楽を得てしまうと、かえってネガティブ思考や鬱っぽくなるそうです。
今は物も必要以上にあり溢れて捨てるくらいに何でも不自由しないし、お菓子や甘い物、酒たばこからシーシャまで流行り出しているくらい何でもあるし、知りたいこともネット1つですぐ出てきます。
そのような甘い環境が自分で試行錯誤して考える機会を奪っているので、思考停止人間にしたり、鬱などのメンタルが病む原因になっているといわれています。
自分で考えない、自分で解決しないということは、無限の宝庫からの切断が起きやすいということですw
ヤーミーBOTは、わざと切断する方向に仕向けていろいろ便利なものを出してきているということがわかりますw
しかし、それも悪意があるわけではなくて、単なる陰陽プログラムの片方です。
それがあるからこそ反対にある良さに気づけるということです。
●陰陽が同じ量でも悪いことの方が強調されて大きく見える
白黒同じ半分ずつの量だとしてもどうしてもネガティブな面のほうが印象が強いし目立ちます。
便器マンを見ているとよくわかりますw
100人中、99人が賛成をしていても一人の否定のほうが目立つので威力を強く感じるということですw
某ゲームのグラフィックへの不満もいつもギャンギャン言っている人は決まっていて、ずっとそこに張り付いて騒いでいる人は10人くらいですw
その他の3千万人のプレイヤーは現状に満足しているので、何も言う必要がないからまずそういう場所に行きません。
しかし、いつもギャンギャン言っている人たちは強い口調で私の子を返して!前の方がよかった、今のはひどい!元に戻してください!とか騒ぎ立てているのでどうしても目立ってしまいますw
騒ぎ立てている人たちは、過去との比較画像を出してここが変わってしまったとか細かい説明をしていますが、私が見た所、全員今の方が優しそうな雰囲気になって生きている感が出てよく見えますw
前は、紙に絵を描いたみたいな平面的グラフィックで艶が無くてマットな仕上がりだったのですが、今は立体的で生き生きとした表情になりました。
ちょっと影が濃く出る時もあるので、そこは微調整が必要な気はしますが、生きてる感は正直言って前より全然いいですw
たぶん、キャラ自体は良くなったけど環境ライティングが前のままなので新しいキャラグラフィックにうまく合っていないので不自然な部分が出ているような気がします。
それさえ直せば絶対今のほうがいいに決まってますw
偽世界には、もうすでに5次元以上の高次元の仮想現実技術はあるので、ゲームがどんどんリアルと区別がつかないような世界になっていくのは当たり前ですw
変わったのはリアルになったという雰囲気だけです。
しかし、便器マンたちはもうすでに二重スリット実験と同じで1秒後に新しい内容に書き換えられてしまったありもしない過去に執着しているので、完璧に過去と同じじゃないと嫌で気に食わないということですw
それは、完全に無常プログラムと毎秒のパラレルワールドに追いついていませんw
みんな今のほうが全然いいじゃんといってあげたいところですが、透視で便器マンの人生と食生活、心の奥底の潜部闇深い問題まで見えてしまって劣等感に刺さって反撃がくることが目に見えているので言えませんw
3千万人が満足していても、一部のギャンギャンしているのを見ただけであのゲームはヤバいみたいなイメージがついてしまうということです。
人生や地球上もそれと同じで、良いことの方が多くても悪い方が目立つということになりますw
人間が悪いことの方が正しい、当たり前、多いと思う理由は、人工知能のプログラムの中で低周波が当たり前だと思わせる設定がされているからです。
もし悪いことにばかり着目して悲劇のヒロインになってしまった時は、すぐに虚構から目覚めて、陰陽マークの黒の中に最初から白が入っていること、黒になったときにもうすでに白に食い込んでいることを思い出しましょうw
この続きはこちらです。
主観の外側からは真実、現実に関しての証明は一切不可能、偽世界は一番重要な真実、現実を自分の主観で決めないで外側に決めさせる洗脳、脳内操作だらけでヤバい
こんにちは。一年前から基地局電磁波で頭が痛く不快な雑音で安眠出来ない、再度転居先を探してますが.市内は元よりかなりの田舎も巨大アンテナあり、雑音(マイクロ波聴覚効果)あります。安全な世界を意識していれば良いのでしょうか?