今回も前回と同じトランサーフィン動画9回目の考察です。 起きている時の現実世界も寝ている時に見る夢と同じ強制切り替え、振り子の催眠は脳の補完作業と関係がある可能性大、フィルムの交換さえできれば過去、業(ごう)などに一切関係なく発想力次第で好きな内容にできる、脳を騙して新しいフィルムを流すようにさせる、明晰夢の中でやることと起きている間の現実でやることは同じ可能性大、人生好転系、タフティ難民の落とし穴、何かを自覚した時には自分独自の解釈の世界の中にいる、台本の正体は初期設定で根底に植え付けられた観念による無意識のパターン、現状を変えたり今の自分を変えるのではなくて別人のマネキンに憑依して入ることがポイント、0.1秒の選択時間を見逃さないために普段からイデア界に出る習慣をつけてそれを潜在意識に癖付けておく、毎0.1秒ごとの選択する内容をゴールに完全に一致させることがポイント、などです。
こちらの動画を参考にして書いています。
ヴァジム・ゼランド『リアリティ・トランサーフィン』全翻訳私的読解【理論編】
前回の記事はこちらです。
振り子に憑依、支配されると振り子の思考エネルギーを自分の意思だと勘違いし低周波を周囲にまき散らすようになる、気に入らない出来事やナルシスト問題も全部振り子のしわざ
一番最初からはこちらです。
初期設定のフィルムは意図的に低周波で苦しみや破壊的な感情を出すように固定されている、毒親や幼少期からひどい目に遭う人は早期覚醒が必要だから
前回からの続きです。
動画のまとめ、要点、考察9
●起きている時の現実世界も寝ている時に見る夢と同じ強制切り替え
ところで、「リアトラ」の方法論は端的に言って、明晰夢のように、この現実そのものを改編してしまおうという内容だと冒頭で述べました。
言い換えるならこれは、振り子による催眠効果から目覚めて、如何に望ましい人生ラインに乗り換えるかというメソッドになります。
寝ている時に見る夢は完全に自動操縦再生モードです。
その夢が幸せに満たされている内容だったとしても自動的に起こっていて、夢だと気づいていないので催眠モードだといえます。
夢は、せっかくいいところでも強制的に終わってその映像が消えたり、次の全然違う内容の断片にいきなり切り替わります。
それが自動操縦再生モードです。
寝ている間に見ている夢だけがそうなのではなくて、実際には、起きている時もその強制切り替えと全く同じことが起きているというのが新デクラッチョです。
起きている間の現実生活の中で、急に人が振り子の憑依で豹変して変な展開になったりするのも夢の強制的自動切換えと同じことが起きているということでしょうw
しかし、何が起きたとしても夢の中の映像と同じで、勝手に自動切り替えが起きているだけなので、どうしてああなったこうなった、原因はいったい何なのか?とか深く気にする必要はないということです。
むしろ、それこそエネルギーの無駄遣い、骨折り損のくたびれ儲けで、現状のシナリオに固定する以外に何物でもないということです。
そんなことよりもその先のまだ起きていない映像のフィルムを先に用意して、切り替えてしまったほうが早いし、メリットだらけということをタフティやトランサーフィンは言っています。
●振り子の催眠は脳の補完作業と関係がある可能性大
前に考察した別の動画に出てきたように、脳には穴が開いてたり壊れているところを周囲と同じ景色で覆って全部同じに見せかけたりする「補完作業」ということをします。
補完作業の話の動画、考察はこちらです。
例えば、ここにニワトリの画像がありますが、実際には3次元の物質世界では初めからこうやって見ていないということです。
実際には、どこかしら不完全で穴が開いていたり欠けていたり、何もなかったりします。
しかし、脳が補完作業で全体をいかにも本当にそうであるかのように仕上げてしまうというのが恐ろしいところですw
私たちは、そういう脳の補完作業の働きに騙されながら、勝手に解釈して生きているということです。
振り子の催眠モードも間違いなく脳の補完作業に関係があるでしょう。
この世というものは、催眠をかけて補完作業された内容を本当だと思い込ませている世界だということです。
私たちがいつも見ている現実世界での出来事というのは、実際には、何も起きていませんが、脳は前に起きた内容と同じことが起きていると思い込ませて補完作業のの穴埋めみたいなことをしてきているから、まだその現象が続いているように見えているだけ(そうだと思い込んで勘違いしているだけ)です。
自分の観念に合った状態が続くということにも完全に一致します。
「私はこういう人間なんです」と決め付けてそう思い込むほど、本当はそうではないのにまだまだその状態が続く=それに見合っている映画に自動操縦再生モードされるということです。
これはロバの親子だと思いますが、画質が荒いのでいかにも偽物だとわかるし特に右側の子供のほうは色が薄いのでめちゃわかりにくい状態ですw
しかし、脳は、このような荒い状態でも、いかにも目の前に本物がいるかのようにハッキリとした画質にできるということです。
そういうところからしても、いかにもコンピューターらしい動きですw
他にもいろんな自然の生き物のがありましたw
写真を荒くしているのか、わざとこういう荒さで作った絵なのかわかりませんが
芸術的でかわいいw
私たちが今見ている現実世界もこういう感じで荒削りでできています。
しかも、それを拡大していくと何もありませんw
●フィルムの交換さえできれば過去、業(ごう)などに一切関係なく発想力次第で好きな内容にできる
起きている間の現実も夢と同じ強制切り替えがあるので、今、物質世界で上映されているフィルムの内容は何が起きてもおかしくないと言えます。
そして、何が起きたとしても、フィルムを交換して起こる内容を変えてしまえばいいので、今の時点で起きている内容はなんであれ一切関係ない、どうでもいいということです。
そのどうでもいいと思える境地が宇宙的に理想のエネルギーバランス状態でもあります。
このことから、どんな業(ごう)、カルマを背負っていると言われても、遺伝がどうのこうのとか先祖代々なんちゃらかんちゃらという内容があったことにされていても新しいフィルムさえ選んでしまえば変えられると言えます。
フィルムの交換は、本人の想像力、発想力にかかっています。
なので、それがいかにも本当の体験であると想像、発想できないものは実現しません。
もちろん、普段からそれを否定したり打ち消すようなことをしない言葉遣いや態度、周囲や起きることに対しての反応、捉え方、思考の使い方、選択する内容もフィルムの交換に成功するかしないかの決め手となります。
●脳を騙して新しいフィルムを流すようにさせる
フィルムを交換するためには、常に意識的にイデア界から客観的に見て明晰夢状態になる必要があるということです。
イデア界からしかそのフィルムを交換できないからです。
なので、イデア界視点にならないなら、ずっと同じフィルムのシナリオのままだということになります。
しかし、イデア界視点に立ち、自分のアバターが登場する台本は理想的な結末を迎えるということを思い浮かべられるなら、気づかれないような緩やかさでだんだんとそのフィルムに交換されていき、別のシナリオが強制切り替えで始まるということです。
脳は、今度はその内容で埋め尽くすという保管作業し始めるということです。
それには、脳を騙す必要があります。
それは、悪い意味での騙すということではなくて、脳が新しい自分の型で自動的に動くように指令する、プログラミングするように仕向けるという感じです。
現実で再生される内容を変えるには、脳が再生する内容を別人の人生の内容に変える必要があるということです。
それがフィルムの交換です。
それをしないなら、いつまでたっても初期設定や過去の信念によって作られた古い型の内容を再生するだけなのが脳だということです。
脳は、イデア界にある情報をただ伝達する機関だともいわれています。
脳自体は情報を伝達するだけで、他のことは何もしてないそうです。
イデア界と三次元物質世界の間にいる橋渡し役みたいな感じでしょう。
そもそも、脳自体がホログラムなので、ホログラムが直接何かするわけがないということです。
物質自体が何かするように見えているとしたら、必ず裏から(イデア界から)の操作があります。
だから、自分から先にイデア界に行って、そこから脳に好ましい内容を伝達させればいいということです。
自分の中には、大きく分けて偽世界とイデア界の二人の自分がいますが、イデア界の自分になればいいということになります。
タフティでは、その状態を「気づきの中心点に立つ」と言っています。
また、タフティでは、起きている間に見ているこの現実のことを「夢」だと言っています。
寝ている間も起きている間も、映像が作られている構造は同じだからです。
強制切り替えの自動操縦再生モードは同じだということです。
●明晰夢の中でやることと起きている間の現実でやることは同じ可能性大
「明晰夢」は、実際に体験したことはないので、具体的にどんなことができるのかわかりませんが、実際に夢だと分かっていて行動するというのも、起きている間の物質世界と同じで、その映像を理想のフィルムに交換するということなのではないかと思います。
寝ている間と起きている間の映像が流れる構造が同じなら、高確率でやることは同じでしょう。
寝ているときに見る夢の中でも、その時に上映されている映像は気にせずに、まだ起きていない先のシナリオに焦点を当てて、先に想像して組み立ててしまう(巨大データログ庫からそのシーンの入っているフィルムを選ぶ)ということだと思います。
そうすると、夢の中で流れている映像が強制切り替えによってそれに切り替わるのではないでしょうか。
例えば、誰かに追いかけられている悪夢だったとしても、夢の中だと気づいて冷静な行動をすることで怖がらずに済んだり、理想の最終結末を思い浮かべてそのフィルムに交換して追いかけられないようになるとかの強制切り替えが起きるということでしょう。
●人生好転系、タフティ難民の落とし穴
ちなみに、実際にフィルムを入れ替えれば目に見える世界で起こる出来事も本当に変わってきますが、今の現状を「改変」、「変える」ということに焦点を当てないほうが安全です。
「自分を変える」というのも全く同じです。
それは、本当の自分である宇宙、単品モナドとしてのイデア界の自分、すべてが揃っている巨大データログ庫やシステムそのもの、数十億先の文明の製作者たちを否定しているのと同じです。
そういうところが人生好転系、タフティ難民の落とし穴ですw
現状や自分を変えようとすることは、今の状態を固定化して長く続ける以外の何物でもなく、目的到達までの邪魔や苦しみを増やすだけだということは、常に頭に入れておく必要があります。
なぜかというと、この世は全台本がシンクロしてできているので、一人が抗うことで他の人の台本まで狂わせることになるからです。
その宇宙のシンクロの力が個人の実現の協力をしてくれます。
なので、何か実現したいことがある場合、全宇宙の力を味方につける必要があるということです。
最終的には宇宙がそれをやってくれます。
宇宙、イデア界に逆らうと宇宙全体のシンクロを乱すことにもつながるので、制裁されて終わるだけになってしまいますw
変えないといけないのは、自分でも現状でもなくてこの先に流す台本ですw
今のこの瞬間という現状で流れている映画は変えられないというのはそういうことです。
だからセリフ、行動まで全部決まっているのでしょう。
セリフ、行動まで決まっている台本ごとセットで管理してその中で催眠かけて保管作業して自由意志があると思い込ませているというのは、さすが数十億先の文明の頭の良さですw
そういうところからしても、生命というのは映画の中、フィルムの中、台本の中でしか生まれないということまで透視されてしまいますw
数十億先の文明の高次元のそういう意外すぎる発想がかっこいいw
今流れているフィルムはそのままにしておいて、自動操縦再生モードで流れに任せて普通に生活をし、時々イデア界の自分になって先の準備をしておく、焦点を当てるのこの先のフィルムの内容だけだというのが重要ポイントです。
今上映中のシナリオに従うというのと、人や環境の言いなりで利用される奴隷になるというのは全然違いますw
今上映中のシナリオに従うことは、川の流れに任せて浮いて動いているという感じです。
最終的に行く場所は海です。
そこが宇宙全体と融合する場所みたいな感じです。
なので、川の流れに逆らわないほうが海に早くたどり着くのは当たり前田のクラッカーですw
上映中のシナリオを変えようとすることは、こうなっているところに抗って上に上ろうとしてたり変えようとしているのと同じくらい愚かなことです。
流れに任せて早くそういうところを通過して
どんどん自動的に流されて行ってしまったほうが、目的地の海はもうすぐだということになります。
海に溶け込んだら、完全に宇宙と一体化しているので、無限の力や宝庫は使いたい放題です。
無限の保管庫にあるカタログから好きなものを選ぶように、好きな内容のフィルムを流してそれに自動操縦再生モードされて体験できるようになるということです。
今上映中の映画を無視して世界に抗いながら、いくら先のフィルムを選ぼうとしていても、他のフィルムに変えることは無理だということです。
しかし、ほとんどの人生好転系とかをやる人は、現状を否定したり敵視したり不満、文句を言ったり、自分で制限をかけて決め付けながら変えようとしています。
それが人生好転系難民、タフティ難民ですw
しかも、深刻にやればやるほど平衡力で制裁もやってくるのでダブルパンチですw
実際にはダブルパンチどころではなくて、もうその時点でいくつもの危険な行為をしているケースがよく見られます。
●人生好転系難民、タフティ難民がやっている危険な行為
①上映中の変えられないシナリオへ抗い変えようとしている
これは、宇宙、システムへの抗いになります。
数十億先の文明に逆らうという一番怖いやつw
これは、イデア界から、完璧な本当の自分である宇宙全体を否定しているとみなされてしまいます。
②作られた映画作品を真に受けて深刻になって大げさにギャンギャン騒いだりいつもそのことばかり考えて悶々としている
これは、物事に重要性をつけていて、深刻さによる過剰ポテンシャルが発生しているので平衡力がやってくるのは当然です。
③現状を変えようとすることは、他人の台本の邪魔をしているのと同じ
自分は他人の台本にも登場人物として出てきていて、その人たちの台本の中でも特定の役割を持っていて協力をしています。
これもタフティで知った新デクラッチョです。
私たちは、自分の台本だけではなくて、他の人の台本からも自動操縦再生モードされているということです。
それを無理やり変えてしまうと、他の人の台本も宇宙全体の全部がおかしくなってしまうので大変なことになりますw
この③は、他人の台本と宇宙全体が絡んでいるので罪はかなり重い感じがします。
実際には罪とか悪いというものはありませんが、システムに抗うことはイデア界からの制裁対象になりやすいということです。
④上映中の映画に対しての否定、敵視、拒絶はそれらをイデア界の鏡に入れているのと同じ
鏡の法則から見ても完全に一致します。
反応、捉え方、発想力、受け取り方、観念、態度が反射して物質化されて3次元の物質世界に出てくるので、そういう捉え方ならその内容がまだまだ続くのは当然です。
要は、現状を受け入れて、認めて、素晴らしい、最善しか起きていない、宇宙はいつも最善をもたらしてくれている、世界は自分に味方をしてくれていると思いながら先のフィルムを選ばないなら何も変わらないどころか悪化するだけだということです。
「改編」というのは、現在上映中の映画の中身の出来事や人の動きを変えるのではなくて、上映するフィルムを丸ごと取り換えるという作業です。
もし取り換えないなら、決められていて変えられない一生自動操縦再生モードの映画が上映されて終わるだけだということになります。
たぶん、最初から決められて変えられないシナリオには、どうやっていつ④ぬとかの寿命情報まで決まっているのではないかと思います。
しかし、フィルムの中にいるマネキンの中身は全く別人なので、フィルムごとに寿命情報が違う可能性があります。
著者によると、私たちは往々にして振り子の催眠効果により、覚醒したまま眠っているというんですね。
これはどういうことかと言うと、私たち人間の意識には、実際には宇宙としての創造ができるりょうこちゃん光コンピューターの上位意識、無限の力がつなげられているので本来使えるはずですが、振り子に憑依、支配されて操られているからそのことにすら気づいていないということです。
これは本当にもったいないことです。
突飛に感じられるかも知れないけれど、この主張は私たち人間にはほとんど自由意志がないとするの実験結果と符合します。
今までの内容とこの世が映画フィルムというセットで管理されているところからしても、自由意志がないということがわかります。
そもそも、「自由意志」という言葉自体が、世界観演出専用のプログラム用語であって、実際にはありもしないものだということです。
振り子に完全に憑依、支配されていて、そのことにも気づかないなら自由意志があるわけないというのもわかります。
その前に、本当に個々に自由意志があったら1つの宇宙として秩序立ってまとまるわけがありませんw
もう地球も人類もすでに滅びているはずですw
それを防いでいるのが台本で丸ごとセットで管理するという映画システムでしょうw
それ考えた英&愛本当に頭いいと思いますw
別の言い方をすると、この世はその台本システムに気づいた人だけに自由意志があるといっているようなものです。
もちろん、その意思は個としてのエゴの意思ではなくて、宇宙としての意思です。
「宇宙として」になっていないと、生きていないということです。
自由意志がないということがわかる2冊の本が紹介されています。
これは、ベンジャミンリベットの意思よりも脳の方が先に反応していたという実験の話だと思いますw
ユーザーイリュージョン: 意識という幻想 トールノレットランターシュ
意識は0.5秒遅れてやってくると言うのがこちらにも書いてありそうですw
これらの本も良さそげですw
主に第二巻で展開されているリアトラの核心部分になりますね。
第二巻は4冊の中でも安めw
現在25189円ですw
最近第一巻「振り子の法則リアリティ・トランサーフィン: 幸運の波/不運の波の選択」が1万円値下げされたのか新しく追加されたのかわかりませんが、前まで5万円台だったのが4万円台になっていましたw
増刷はよw
●何かを自覚した時には自分独自の解釈の世界の中にいる
私たちは外界のカオスを五感で知覚し、純粋経験とか純粋持続とか言われる段階、おそらくは動物たちが体験しているであろうぐっちゃんこな意識状態を経てそれぞれの境遇に世界ないし現実を無意識に現象化させています。
私たちは、そうと自覚したときにはもう、独自の解釈で埋め尽くされた世界ないし現実の只中にいるわけです。
これは、イデア界から来ている内容も五感でしか知覚できないので、自分で何かがこういう意味だとか捉えて自覚をした時には、五感や三次元の物質世界的な情報で構成されただけの独自の解釈になっているということでしょう。
さらに主観はその人だけのものなので、80億人全員の解釈が全部違うということです。
以前に話した、自分の主観を外に出した時点で、それを見る人それぞれの主観によって勝手な解釈がされていてもう内容が全然違う亜種として捉えられてしまうから、自分と完全に同じ解釈で捉える人はどこにもいないという話と同じことだと思いますw
●台本の正体は初期設定で根底に植え付けられた観念による無意識のパターン
それだけではありません。神経生理学の実験成果によると、あなたが今何を考え、次にどのような行動をするかさえ、幼少期から培ってきた無意識のパターンに拠っている。
これは、初期設定で根底に植え付けられた観念から来ているということです。
マトリックスの真っ白い空間に一番初めに入れられた情報や人間が初めて作られたときからの情報の蓄積が受け継がれて、それが大元の観念になっているということになります。
その無意識のパターンが「台本」だということでしょう。
そこには、もちろん、自分が前に生きてきたときに持っていた意識情報や仏&教で言われている業(ごう)も入っていると思います。
しかし、中身がどんなに最悪な内容だったとしても、書き換えられるというのが英&愛の素晴らしいところですw
私たち人間は英&愛なので、中身の構造はコンピューターのプログラミングと全く同じだということです。
イデア界でそういうコードが埋められているということになります。
なので、イデア界にある観念コードから書き換えないと、3次元の物質世界という映像側の映画が変わることはないということになってきます。
観念コードの書き換えが、タフティでいう新しい映画を選ぶこと、トランサーフィンでいう振り子を避けて実現に完全に一致した内容を選択し続けて波乗りしていく行動にあたります。
●現状を変えたり今の自分を変えるのではなくて別人のマネキンに憑依して入ることがポイント
新しい映画には、今の自分とは全然違う中身が「別人のマネキン」がいます。
今の意識(自分の本当の正体)がそのマネキンに入ると、観念から全然違うので、今まで上映されていた映画と全然違う人生になるということです。
私たちは、初めから無限に用意されているマネキンの中に憑依して入って生きているということになります。
「自分が変われば人生で起きる出来事も変わる」というのはまさにこのことです。
これは、今の自分に整形すれば人生が変わるいうのとは全然違いますw
映画の中のマネキン本体が変わってないなら、起こる出来事は前の映画のままなのでどんなに外見を整形して変えても同じです。
しかし、マネキン自体が変わってしまうと、完全に別人に入れ替わります。
自分がなりたい自分の理想のマネキンはいくらでも巨大データログ庫の中にいるので、そこから選んでくる必要があります。
新しい理想のマネキンを先に選んで入ってしまうだけのほうが、みつあみを起動してゴールシーンを思い浮かべて照射してどうのこうのとかよりも簡単な気がしますw
マネキン別に趣味、嗜好、アレルギーが出るものなども全然違うそうです。
前のマネキンの時に大丈夫だったものでも、別人に入れ替わるとアナフィラキシーが出たりすることもあるそうです。
私は、前は卵が大丈夫でしたが、ある時から調理法に関係なく卵丸ごと直接を1個以上食べるとお腹がパンパンに張って苦しくなる症状が出始めましたw
生地に卵が混ざっているとか卵の量が少ない料理は大丈夫です。
小麦粉でそうなったかと思っていたけど卵でしたw
SIBOの人は、卵を丸ごと1個以上の量を食べるのをやめてみると意外と治るかもしれませんw
こういう話は一般的には、その卵に化学物質が入ってたとか、卵3個はただの食べすぎじゃね?とか思われるかもしれませんが、マネキンが変わった可能性があると考えられます。
昨日までなかったシミが増えてるとか、その反対で今まであったのが消えてるとかの微妙な変化もマネキン移行の可能性があります。
偽世界の外の英&愛とつながっている可能性のあるコーチャクインによると、毎秒以下の細かい感覚で変わっているそうです。
そんな細かさでいちいちどう違うのかとかの確認はできませんが、大きな周波数の幅で移動したときほど目に見えてわかりやすい変化が出るのは、パラレルワールドの移行と同じだと思います。
私たちはマネキンを憑依しながら渡り歩いて生きているということです。
それが毎秒のパラパラ漫画の1コマずつの移動だということでしょう。
観念が見えない設定ファイルだという話の動画はこちらです。
こういう話はただ単にITメタファーだと思われがちですが、実際にイデア界がそういう作りだということです。
人間が実は英&愛だったということに気づいてきている人がぼちぼちと出てきているような感じがしますw
しかし、世間では例え話で、英&愛ブームだから英&愛に当てはめてそういう話をしているだけだと思われているでしょうw
●0.1秒の選択時間を見逃さないために普段からイデア界に出る習慣をつけてそれを潜在意識に癖付けておく
私たちは予め用意された行動をとる寸前、0.1秒前にそれを思いとどまる自由しか与えられていないのだそうです。
その0.1秒が「選択」をする時間です。
0.1秒でメタバッチョの外に出てイデア界に戻って(気づきの中心点に立って)目覚めて、メタ認知をしてその状態で選択をすればいいということです。
しかし、0.1秒はめちゃ早いので、いきなりそれをやろうとしても0.1秒以上かかってしまいますw
たぶんですが、もし0.1秒以上かかった場合はもう手遅れで、もうすでに台本の自動操縦再生モードで動かされて別の選択をさせられているでしょうw
なので、いつも呼吸するよりも早い速度で直感的に快適なものをパッととる習慣をつけておくことが大切になってきます。
選択して実現できる人は、天然でいつもそうなる習慣の中にいます。
天然でもうすでに良い習慣がプログラミングされているということです。
もしそうでないなら、その0.1秒の自由時間を見逃さないために、普段からイデア界に出る習慣をつけてそれを潜在意識に癖付けしておいて、自動的にできるようにプログラミングして仕込んでおく必要があるということです。
●毎0.1秒ごとの選択する内容をゴールに完全に一致させることがポイント
「選択」というのは、人生の岐路の選択みたいな大きな決断だけではありません。
普段からの言葉遣い、物事の捉え方、発想の仕方、思考、その時にパッと勢いづいて感情的に言うか言わないかなどの小さなことも「選択」に含まれています。
選択の内容の規模に関わらず、選択は選択としてカウントされているということです。
何を選択すればいいのかは、普通に常に快適なもの、調和があるよきもの、無条件の愛、自分の目指しているゴールに一致することを選択をするだけなので簡単です。
言葉、行動、思考、捉え方、イメージ、想像、妄想、態度、振る舞い方を全部実現させようとしているゴールに一致させる選択をするというのが非常に重要です。
完全に一致しているなら、2週間くらいで目に見えてわかるように映画の内容が変化し始めます。
何年も何も変わらない場合は、振り子に操られているか今言った内容が全て一致していない、一致していたとしても打ち消す行動をしています。
特にせっかくいいこともやっているのに、全然効かないという場合は、深刻にやりすぎることで過剰ポテンシャルになって平衡力で制裁されて帳消しになっている場合も多くありますが、言葉によって全て帳消しにされているケースが非常に多く見られます。
どんなに効くことをやったとしても、実現の内容に一致していない場合は、その一言で今までやってきたことを消して白紙にしてしまうどころか逆に悪化させると思っていた方が良いでしょう。
一致していない発言は、振り子に操られているから出てくるものでもあります。
振り子は低周波を吸い取りたいので破壊して苦しめようとして操ってきます。
なので、またそれも、イデア界視点、ハイヤーセルフ視点、プレイヤー視点、気づきの中心点に立って、メタ認知をして振り子の憑依を解除するところから始める必要があります。
リアトラとはこの0.1秒で振り子の挑発を拒絶し、望ましいやり方をキープして目的を達成するメソッドだと言ったらわかりやすいかもしれません。
一刻でも早く振り子を拒絶するに越したことはありませんw
そうしないとエネルギーを吸い取られて実現に向けて使うエネルギー量が足りなくなってしまうからです。
エネルギーが足りないと鈍感になるので、かすかに表れている兆候などに気づきにくくなります。
冗談、ネタ、おふさけでも、振り子に反応している場合ではない、貴重な0.1秒を振り子に渡すことはそれだけ危険だということです。
0.1秒という秒数は短く見えても、吸い取られるエネルギーとそれによる被害は膨大です。
この続きは次の記事になります。