今回は、久しぶりに人生に役に立つ神動画を見つけたのでそれについてゆっくりと見ていきたいと思いますw トカゲ気質高めの人しかやらない行為がある、批判、指摘とはマウントのこと、トカゲ気質抜きにしても不幸な人しかやらない行為がある、イキリドヤリマニピュレータートカゲは相手を便器としてしか見ていない、イキリドヤリマニピュレータートカゲと悩みまくりマンはエナジーバンパイア、イキリドヤリマニピュレータートカゲの類を処理することは無条件の愛、クリーンを装って罪悪感、羞恥心に付け込んでくるの処理はお早めに、指摘マン、あら捜しマン、つっかかりマンは相手を下げることで劣等感を埋めて自己陶酔が目的、批判は時間の無駄なだけではなく自分の周波数も落とす、存在が認識されている人は批判を受ける覚悟が必要、全員主観が違うのがこの世なので違うと言われても放っておいて自分の主観に忠実でいればいい、などです。
こちらの動画を参考にして書いています。
批判を怖がらなくていい理由【時間は自分のために使うべき】
●トカゲ気質高めの人しかやらない行為がある
動画を見る前から想像つくのは、SNSやズンビ関係で批判をしてくる人間は、イキリドヤリマニピュレータートカゲだけだということですw
偽世界軸コッテコテの優秀な奴隷のトカゲチャンしかそういうことをしませんw
この図でいうと赤い方寄りの人しかやらないということです。
トカゲ気質というのはエゴのことです。
赤い方をさらに詳しくするとこちらですw
ちなみに、無限の宝庫は水色のほうです。赤い方に行くにつれて切断されます。
赤い方はもともと偽世界の世界観を演出するBOTなので、最初から無限の宝庫と繋げられていない可能性もあります。
こういう感じでNPC専用プログラムだけに繋がれている可能性もあります。
●トカゲ気質抜きにしても不幸な人しかやらない行為がある
トカゲ気質とか関係なく、今幸せな人が批判という行為をするか?と考えたら完全にNOです。
嬉しいことが起きたり心の底から幸せに満ち溢れて生活を送っているときは、全てを許せてニッコニコで顔がほころんでいてどうでもよくなりますw
批判、指摘は、その状態からかけ離れた人だけがやるというのも重要ポイントです。
つまり、やるのは、低周波の貪瞋痴(とんじんち)の愚か者になっている時だけだということですw
●批判、指摘とはマウントのこと
「批判」「指摘」というとナチョス文化では良いこと、正しいこと、賢そうなことに聞こえると思います。
しかし、これはマウント、支配以外の何物でもありませんw
両方とも偽世界の世界観の中だけのナチョス文化専用の言葉で、そんなものは、偽世界の外では通用しませんw
「シャキる」といっても分かる人にしかわからないように、ゲーム内の用語がそのゲームをやっていない人に全く通じないのと同じですw
偽世界の中には、1つのくくりの世界にだけしかない言葉というのがたくさんあります。
「批判」はまさにそれの1つで、ナチョス文化というくくり専用の用語だということです。
ナチョス文化の洗脳者で偽世界軸じゃない人はそんなことをしないということです。
批判、指摘するアホ野郎どもは、自分の方が賢い、頭がいい、情報を知っている、特殊能力があるなどの何かしらのマウントを取ってきます。
指摘マンたちは、良いアドバイスをおすすめしてくれているのではありません。
支配が目的です。
●人と関わる時は話すより何を話さないかのほうが大切
幸せで心が満たされている人は、他人に批判や指摘する気にもならなくなるし、そんな低次元低周波なことのために時間をつかわないということです。
批判、指摘をするのではなくて、あえて言わないことで自分で気づかせてあげようとしてチャンスを与えてこの人なら絶対にできると思ってその人の無限の宝庫を信じてあげます。
それによって相手の宝庫を開くので、相手は本当に気づいて自分で直すようになるという展開が起こります。
ズンビ関係や誰かと関わる時は、何でも話せる関係になろうとするのではなくて、「何を話さないか」のほうが大切です。
さらに、手とり足とり重箱の隅を楊枝でほじくったりして余計な手助けをしないことも重要です。
他人が存在している場所は、その人の主観のパラレルワールドなので、本人の無限の宝庫が開かない限り意味がないからですw
自分は、他人のパラレルワールドの中には入れません。
一人一人主観という水槽の中にいます。
他人のことはガラス越しで見ているような感じなので外からは中を動かせないからです。
この画像では、女の子が窓から外を見ていますが、ガラス越しの外が他人の主観です。ガラスの外は触れもしないし変えられないということです。
変えられるのは、自分がいる部屋の中だけです。そこが主観の場所という感じです。
ガラスは、自分の主観の色メガネにもなっています。
自分に劣等感があればあるほど、その色メガネで他人の欠点も気になるということです。
●店員とお客以上にうまくいく距離感はない
うまくやっていきたい相手ほど距離をおく方が本当に上手くいきます。
余計なことを言わないほうがうまくいくということですw
「~しない」という規制があるそんな関係ならあっても面白くないと思うかもしれませんw
だから、ズンビ関係自体が最初からいらないものだし、そんなものなくてもやっていけるということになりますw
偽世界によくある人間関係は大切とか、人間関係がないと生きていけない、人間関係がうまくいっていないとみっともないとか自分に問題があるという説はオオウソです。
ウソを教える理由は、人間関係を作らせることで同調圧力もかけられるし洗脳ができるからです。
さらに、群れさせることで大衆の心の偽世界軸に閉じ込めておけるし、無限の宝庫から切断もできます。
誰かと関わるとしても、店員、お客くらいの間柄のような距離関係で、たわいもない食べ物の話とか天気みたいな表面的な話だけが一番最高状態だということです。
「何でも話せる関係」というと、一見聞こえはよいですが、そこには批判、指摘も含まれていますw
批判、指摘をできる相手にされるということですw
そんな関係すぐ壊れるに決まってますw
だからズンビ関係だということですw
しかし、指摘マンは、別に相手とうまくやろうとか長く続けようとは1ミリも思っていませんw
ただ単に自分の劣等感を埋めて自己陶酔して自分の価値を確認したくてしょうがなくて、それを達成できる何も返してこなそうなおとなしくて優しい心地よい相手を選んでやっています。
どんな相手がターゲットになるかについては、それも「他人を支配したがる人たち」の記事に詳細がありますw
●イキリドヤリマニピュレータートカゲは相手を便器としてしか見ていない
指摘マンなどのイキリドヤリマニピュレータートカゲたちは、相手を自分の目的を達成する便器のようにしか見ていません。
情報発信者のチャンネルやサイトでその人が発信している動画を見たり記事を読んでもいないくせに、いきなり来て一部分だけを取り上げて判断してその時の気分で勢いづいて自分の思ったことをバーッと書き込む批判コメントはまさに便器として見ていますw
漏れそうな状態で飛び込んできて、勢いよく便器の中に出しているような感じですw
それが劣等感が辛すぎて早く自己陶酔をしたかったから、とりあえず空いていたトイレに駆け込んで勢いよく出したという状態ですw
公衆便所だし自分の家じゃないからはみ出してもいいと思ってケツノアナの位置も確認しないでずれたまま出したからめちゃくちゃに飛ばしても拭きもしないわ流しもしないで終わり次第外に出るというのと全く同じですw
不幸自慢大好きな悩みまくりマンも相手を便器にしか見ていないところは同じです。
悩みまくりマンもイキリドヤリマニピュレータートカゲの予備軍です。
表向きには悩んでいて辛いんですアピールをしていますが、実はそんなに悩んでいません。
本気で悩んでいたらSNSに軽々しく自分の大切な人生の書き込みなんかしないからですw
ペラペラ人に喋ったりましてや知らない相手のコメントにずけずけと入り込んできていきなり毒をまき散らす行為は、全然窮地に陥っていないし、イキリドヤリマニピュレータートカゲと同じエゴMAXの鈍感さを持っています。
本気で悩んだ時は、一人になって本当の自分と対話すると解決してしまいます。
人間は、窮地に陥ると超意識が発動して奇跡的展開が起きて解決してしまうからです。
●イキリドヤリマニピュレータートカゲと悩みまくりマンはエナジーバンパイア
イキリドヤリマニピュレータートカゲと悩みまくりマンの共通点は、無限の宝庫からの切断で心が満たされていない、エナジーバンパイアだというところです。
常に不幸で不満を抱えていて低周波で人からエネルギーを吸い取って自分を保っています。
完全なかまってちゃんです。
かまってちゃんというと、かわいい感じに聞こえてしまいますが、非常に危険なので力寄らないほうがいいし、来たら即処理をしなくてはなりません。
●イキリドヤリマニピュレータートカゲの類を処理することは無条件の愛
ブロックしたり縁を切ることは、偽世界の中では悪いことだと思われていますが、本当の自分視点では正反対です。
その行為は、本当の自分を守って相手にもピッタリ合う周波数の場所に行ってもらうための無条件の愛になるので、それも恐れてはいけません。
偽世界軸の大衆が言う常識、正しいこと、人間としてとかではなくて、自分の主観が感じたことが真実、現実です。
0.0001秒でも怖さや不快感、むかつきを感じたなら、自分のパラレルワールドでは感じた内容が正しいということです。
その直感を大切にして行動することが最終的な本当の自分の姿の無条件の愛で自分を守っているということになります。
それによって、イキリドヤリマニピュレータートカゲも自分に合った最適な場所に行くことができますw
イキリドヤリマニピュレータートカゲをブロックするということは、ここはあなたがいる場所ではありませんよという標識や矢印とかを出して自分にふさわしい場所に行けるように導いてあげるのと同じくらい優しくて素晴らしい行為です。
だから、かわいそうとか、やってはいけないことだとか考えたり、相手を悪者に見ている自分に罪悪感を感じて、批判、指摘くらいは我慢してうまくやっていこうとか、自分に問題があるから自分が間違っているから言われたんだと思って直したり意見を変えたりしてまで関係を維持する必要は一切ないということです。
80億人違う主観の世界で一人一人にそんな対応していたら、自分の主観はどこ?状態になって言いように利用されて個性のない植物人間みたいになってしまいますw
●クリーンを装って罪悪感、羞恥心に付け込んでくるの処理はお早めに
注意点は、イキリドヤリマニピュレータートカゲは、罪悪感、羞恥心を利用して自分の支配、自己陶酔を達成することです。
なので、どちらかというと暴言は吐きません。
チクチクネチネチちょっとしたところで底意地の悪い口調を出したり、上から目線で優等生ぶって、もし他の人にそれを見られても自分の方がクリーンな状態に見えるような演出で攻めてきます。
なので、もし自分がその人を悪者かのように返してしまった場合は、罪悪感、羞恥心を植え付ける言動をしてきます。
最後は、しらばっくれて自分はクリーンなのに攻撃を受けているかわいそうな被害者だというように周囲を扇動して大騒ぎにした展開をしてきますw
なので、関わらないに越したことはないし、処理は早め早めの行動を意識した方が良いということですw
イキリドヤリマニピュレータートカゲは、人前ではいい面するので、足がつかないように攻撃をしてきます。
他の人に相談しても、絶対に悪い人に見えないしどこが批判なの?気にし過ぎだとかメンタル弱すぎとか言われて終わる可能性しかありませんw
しかし、自分が感じた直感が真実です。直感は仮面を被った悪魔を見破っていますw
個人的な経験上ですが、最初の直感でうわー嫌だな、合わねーなとか苦手なタイプ、ムカつくと思った感は全部当たっていますw
いくら見た目の文章の口調が良くてもトカゲオーラが出ているから不快感が伝わってきているということですw
最初感じいいから仲良くしても大丈夫かなと思って深入りしたり、だんだん話していくとそのボロがハッキリが出てきますw
その時にはもうすでに時遅しで、タゲられて自己陶酔専用便器にされていますw
そうなる前に最初の感を信じて、すぐ距離を置くなり処理をすることが必要です。
ちなみにこの図の水色の悩みアリというのは、悩みまくりマンのように長期に渡ってだらだら悩みまくるという意味ではありません。
繊細で優しくて細かいことに気が付きすぎるので、人の気持ちがわかりすぎるあまりに相手を思って自分を犠牲にしたりして不完全燃焼で納得がいかないとかの悩みが出やすいという意味です。
イキリドヤリマニピュレータートカゲが悩みナシというのは、自分が他の人よりも上で特別な存在だと思い込んでいて自分中心に世界が周っていて全てが自分の天下だからですw
ただ支配を実行して自分の目的を達成するのみだからです。
●指摘マン、あら捜しマン、つっかかりマンは相手を下げることで劣等感を埋めて自己陶酔が目的
動画に入る前に、まずは「批判とは?」について見てみたいと思います。
それを見ただけで、「批判」という言葉は、偽世界軸の世界観演出の洗脳プログラム用語だということもわかりますw
批判とは
1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を—する」「—力を養う」
これは、何かやろうとしたときに、自分の中で対象を判定、評価してやるかどうかなどのを検討するなら何の問題でもありません。
しかし、判定・評価の対象が人間だった場合は、完全なナチョス文化の優劣で上下関係を決めつける上下メーターのヒエラルキーシステムになります。
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の—を受ける」「政府を—する」
これは、指摘マン、あら捜しマン、つっかかりマンのことですw
指摘マン、あら捜しマン、つっかかりマンは、完全なるトカゲチャンですw
どうして人の誤り、欠点を指摘をして正したがるかというと、自己陶酔をするためです。
一番の目的は自己陶酔で自分の劣等感を埋めるためだということです。
相手を下げて自分が上になった錯覚を起こしてないと自分の価値を保っていられないからです。
完全なるナルシスト、自己愛性パーソナリティ障害、潜在的攻撃性パーソナリティー、カバードアグレッション、サイコパスなどのイキリドヤリマニピュレータートカゲという生命体の分類でBOTです。
この類は、相手より上から目線で指摘をして正して支配をする事に快感を感じます。
「正す」というと、良いこと素晴らしいことのように聞こえるかもしれませんが、トカゲチャンの基準は、自分の観念の通りに相手を服従させることを正すことだと思い込んでいますw
「正す」という言葉も偽世界の世界観演出のプログラム用語なので、世間では勘違いされて広まっています。
これはどういうことかというと、ただ服従させるということです。
権力者や支配者などのヒエラルキーが上の存在、またはそいつらが勝手に決めた自己中ルール通りに服従させることです。
偽世界の外視点において、一番間違っている生命体の思い通りにされたら、たまったもんじゃありませんw
「正す」というのは、一言でいうと、トカゲチャンが自分の思い通りに動かそうとしているだけです。
何を「正す」かどうかは本人が決めればいいんだから、他人が人を正そうとする時点でもうすでにおかしいということですw
イキリドヤリマニピュレータートカゲは、自分の意見に一致しないもの、違う意見、逆らう者は自分の目的達成(全支配による自己陶酔)を邪魔する敵とみなし排除にとりかかる凶暴な攻撃性を持っています。
それについての詳細も、他人を支配したがる人たちの記事にありますw
2の「批判」の意味は、先ほど話したように完全にマウント、支配ですw
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。
→批評[用法]
3だけは、例外です。
研究、開発みたいなものは、良い商品を作る進歩のために繊細なフィードバックが必要になってきます。
哲学、学説などの学問ぽいことは、どうせ世界観演出の作りなのでどうでもいいのですが、命に関わるような製品開発、食品、薬品、機械、電気製品、精密機器、乗り物のように、ちゃんと検品していないと危険が生じてしまうようなものは、念入りな検品、フィードバックをしているほうが安全です。
それだけは、ちょっとでもおかしいと気づいたことは言わないと逆にダメだということになってきますw
しかし、これはトカゲチャンがやるような2番のマウント、支配、自己陶酔目的の批判とは全く別の領域だということです。
動画に出てくる話は、全て2のトカゲチャンのことですw
本題前が長くなりましたが、ここから動画の内容になりますw
批判を怖がらなくていい理由【時間は自分のために使うべき】 のまとめ、考察
●批判は時間の無駄なだけではなくて、自分の周波数も落とす
批判を怖がらなくていい理由
結論としては、批判というのは時間の無駄なのでやらないほうがいい
時間の無断なだけではなくて、さっきの辞書の3の意味の製品開発のための検品ぽい以外の「トカゲ気質からくる批判」は自分の周波数も落とします。
周波数が落ちたら1秒後は下のパラレルワールドに飛ぶということです。そこからは、歯車が狂って進みます。
無限の宝庫から遠ざかっているので悪霊の周波数になってどんどんそっちの道に進んでいきますw
もともと「批判」というプログラムは、ナチョス文化専用なので、自分のエネルギー的な範囲がその中だけになるということです。
批判する人の本質は変わっていない
さっき辞書で調べた意味の2のトカゲチャンに変わりがないということですw
今まで、昔は情報発信は有名人しかできなかったので有名人だけが批判をされていた
現在は、SNS普及で個人が情報発信することができるようになり、情報発信者が増えたことで、批判の矛先が有名人だけではなくて個人にも向くようになった
個人は、有名人と違って批判慣れしていないから苦しむようになった
この動画で話されている内容は、情報発信者だけに限った話ではありません。
ズンビ関係0で無人島みたいな状態で一人暮らしで誰ともかかわらずに自給自足して生きている人以外、ズンビ関係を持っている人なら、その中の人間から批判をされる確率はあるので誰にでも当てはまりますw
大前提
発信をしなければ批判はされない
●一般人が情報発信する
これも今話したように、発信者ではない場合もあてはまるということです。
投稿はしないけどSNSのアカウントだけ持っている場合も同じですw
●存在が認識されている人は批判を受ける覚悟が必要
⇒存在を認識される
発信をしていなくてもアカウントがあるだけで、もし誰かがそれを見つけた場合は作り話をされて批判される可能性も出てくるということです。
そこまでやる奴いたらまじ暇人w
偽世界の中のズンビ関係では、ちょと知り合いになったらライン、Xが当たり前になってきています。
その時点で批判される危険性が出ているということです。
SNSをやらなかったとしても、要は、自分の存在を誰かに知られることで批判をされる可能性が出てくるということになります。
無人島みたいに誰からも自分の存在が知られない生活をしているなら誰からも批判はされませんw
赤ちゃんのときや幼少期はまず無人島状態で生きることは不可能なので、全員が誰かしらに知られているということになります。
偽世界にいる間は、批判はケムと同じで受けて当たり前くらいの余裕が大切になってきますw
●全員主観が違うのがこの世なので違うと言われても放っておいて自分の主観に忠実でいればいい
⇒あいつが言っていることは違う
閲覧者の主観は全員違うのでそう思うのは当たり前ですw
特に、虚構から全然目覚めていない偽世界の住人たちは、幻覚である小さな自我の視点しか持てません。
完全なる偽世界の世界観演出の洗脳者の視点だということです。
自分が学んできたこと、身に付けたこと、覚えてきたこと、学校の先生、先輩、上司、偉人、有名人、お偉いさんから教えてもらったこと、自分の読んだ本、国、有名組織などの公式サイトに書かれていること、自分の持っている思想がすべて正しいと思い込んでいます。
洗脳者は、偽世界の世界観を作り上げているヤーミーBOTの優秀な奴隷の下にいる雑魚BOTだということです。
全員違う主観の世界で、全員に対応できるわけないので、勝手に言わせておいて自分の主観にだけ集中していれば良いということですw
斎藤一人さんが「そうだね、わかるよ」でズンビ関係がうまくいくと言う話をしています。
合わない人がいて間違ってる、違うとか批判をされても、そのときはその人に「そうだね、わかるよ」と言っておいて、自分でやる時に違う事をすればいいと言っていて笑えましたw
全部それで済ませればいいということですw
「なるほどー」ばっかりいって「うんうんうんうんうん」とか相槌が多すぎの話聞いてねーだろという感じの人がいますが、ああいう感じでいいということになりますw
自分の意識しかないパラレルワールドで、行動をするのは自分なんだから自分の主観じゃないとどうしようもありません。
自分の主観のパラレルワールドは自分が管理者で創造主でシナリオライターです。自分で好きなストーリーにしていいということです。
いいというか、自分で全部やらないとだめですw
それを自分が何にも良いとも思わない不快に思うような内容の他人の意見でやっているから、苦しくなったり精神病んで最悪の場合体までおかしくなって人生全体が狂ってしまうということです。
ただでさえ、自分の主観を管理するだけでもたいへんなのに、人の主観を背負って生きているということです。
パラレルワールドが違う人の主観なんか自分に合わないに決まってますw
そこで、どっちが正しいとかお互い我を張って、正しいのはどっちかという決着をつけたがったり論破しだすからおかしくなるということですw
勝ち負けはナチョス文化の中だけの文化ですが、どうしても勝敗という言葉やどっちが上かを知りたいなら、幻覚のエゴは最終的な本当の自分の姿以下なので、最終的な本当の自分の姿でいるほうが勝利していると言えます。
⇒批判の的
そのような洗脳者は、自分と違う意見、思想と違うとすぐに突っかかってきます。
なぜつっかかってくるかというと、潜在意識の中で本当は自分が一番間違っていることを認めているからですw
潜在意識の中で一番正しいとされていて権力を持つのは、無限の宝庫です。
もちろん、潜在意識の中なので、本人はそんなことを思っていません。
しかし、つっかかるという無意識にぱっとでたその行為が全てを物語っていますw
自分の内面に劣等感があるからこそ、防御+攻撃でつっかかって威嚇して自分はお前より上なんだとアピってくるということです。
これも反対を考えてみるとよくわかります。
今のと反対で無限の宝庫と一体化して、最終的な本当の自分の姿になっている人は、スピ風の表現でいう神のような領域の状態なので、劣等感?なにそれ?という感じの大きな余裕があります。
こんな感じw
余裕があるので、自分以下の小さな人たちのこともわかってあげられるから、つっかかって相手を威嚇したり攻撃したり防御する必要がありません。
逆に優しい母親のように上からおとなしく温かく見守っています。
大きな器から無条件の愛が湧き出て満ち溢れていて止まらないので、つっかかる前に理解してあげちゃうということです。
そこで解決してしまうので、余計なことをやりませんw
ここが幻覚自我にこびりついている垢かうんこのような小さな生命体との大きな違いです。
●自ら批判に行ってる
情報発信することによって自ら批判されに行っている
SNSやらない人用に言い換えると、誰かに自分の存在を知られたということは自ら批判されに行っているのと同じだということですw
厳しい世界、偽世界w
人に知られるということ
●好かれるか嫌われるかの2択
ほんとそうw
この動画おもしろいwwww
どんなに有名、偉いとか有能だとしても、絶対に誰かしらに嫌われるということですw
それが嫌だったら誰からも認識されないように、無人島状態になるしかないということですw
●影響力をもてる
ナチョス文化では、影響力を持ったとしても、嫌われる人からは批判をされてしまうことは避けられないということです。
特にナチョス文化は、元々がそういう世界ですw
「影響力」が欲しいと思うのも、支配欲求、自己顕示欲、劣等感を埋めるための自己陶酔、金、名声、ステータス目的からきています。
権力、ヒエラルキー制度の上下メーター的なナチョス文化思考です。
ナチョス文化が世界観演出だということや最終的な本当の自分の姿、無限の宝庫の話が分かっている虚構から目覚めた人たちは、影響力なんか欲しいと思いませんw
●批判をされる
影響力を持ったら批判をされるというのは、ナチョス文化において普通です。
偽世界が「存在を知られただけで批判をされる世界」だという自体でタクシーのアンテナですw
こういう有名人でも批判はされているということですw
この続きは次の記事になりますw
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