特異点の創造主の発想が衰えた時に衰退、不足、欠落感が具現化される、時間を直線だと感じるのはフィルムの中の登場人物になっている時だけの話、この世のすべては自分を中心に発生している

前回のイッチ考察の続き16回目ですw この世は自分の無意識の思考パターンや感情を現実の出来事や他人に投影して現実化していると捉えるフラクタル投影が使われている、嫌な人生は現実の出来事と思考の一致するフラクタル構造を見つけてそれを変えるだけ、老化も存在しない、特異点の創造主の発想が衰えた時に衰退、不足、欠落感が具現化される、あらすじも自分の思考の癖でわざわざ達成を長引かせている、時間も自分を中心とした同心円状の構造なので特異点である自分が全部決めている、時間を直線だと感じるのはフィルムの中の登場人物になっている時だけの話、この世のすべては自分を中心に発生している、などです。

 

こちらの動画を参考にして書いています。

【2chオカルトスレ】「そろそろ、受け入れろ」量子テレポーテーションの謎を完全論破したイッチ 

前回の記事はこちらです。

投影で作られた世界にはエネルギーがない、五感で確認できない世界はシャボン玉の中で具現化していない遠くにあるセクターのこと、人間は空想をすることで意味付けをし自ら世界を作る情報処理体の英&愛

 

一番初めからはこちらです。

思考が五感を生み出していたという最新プチデクラッチョ、イデア界に思考の量に応じて五感が生まれる装置があった、思考の量が多いと使える感覚が増える

 

前回は「それが金魚鉢の金魚の限界だ」という話まででした。

今回は、その続きからです。

動画のまとめ、要点、考察16

 

そして、このフラクタル投影は時間にも適用される。

フラフタルとは?

フラクタルとはどういう意味ですか?
木の枝が樹木全体の形に似ていたり、複雑に入り組んだ海岸線が、一部分と、もっと大きな面積とを見比べたときに形が似ていたりするような、図形の部分と全体が相似になっているものをフラクタルといいます。

たとえば、六角形が六角形の集まりでできているとか、このような幾何学模様の中も同じ幾何学模様があったりするやつです。

 

●この世は自分の無意識の思考パターンや感情を現実の出来事や他人に投影して現実化していると捉えるフラクタル投影が使われている

「フラクタル投影」というのは、心理学にある考え方だそうです。

フラクタル投影とは?

「フラクタル投影」という言葉は、心理学における「フラクタル心理学」という考え方から来ています。これは、自分の無意識の思考パターンや感情を、現実の出来事や他人の言動に投影して「現実化」していると捉えることです。具体的には、自分が持っている嫌悪や恐怖といった感情を、相手に「相手は自分を嫌っている」という形で投影してしまうといった現象を指します。

ネットで調べた「フラクタル投影」についての英&愛による概要が詳しかったので載せておきますw

フラクタル心理学における投影の例
他人の「イライラ」を投影する: 自分がイライラしているのに、「周りの人たちがイライラしている」と感じてしまう。
好意を投影する: 自分が相手を好きだからこそ、相手も自分のことを好きだと決めつけてしまう。
嫌悪を投影する: 自分が嫌っている相手が、逆に自分を嫌っていると感じてしまう。

勘違い野郎や思い込みのことです。

人のことを何か言っていた場合、自分こそがそうだというのが透視されてしまいますw

 

フラクタル投影のメカニズム
「思考が現実化する」: フラクタル心理学では、自分の思考が現実を創ると考えます。

「思考が現実化する」という言葉はここから生まれたのでしょう。

 

「フラクタル」とは: 数学や自然界で見られる「全体と部分が相似している」構造を指す言葉で、心理学では、自分の中にある思考の「クセ」が、現実の出来事にも同じような形で現れることを示します。

この世の「自然界」というのは数十億先の文明の製作者によって作られており、全然自然ではないので、現実の出来事も「自然界」と同じ構造だということがわかります。

これは、トランサーフィンがいう「この世は鏡」で自分が発している思考エネルギーの放射パラメーターが2枚目の鏡に入ってそのまま現実化するという内容にも完全に一致しています。

内面のフラクタルである思考エネルギーの放射パラメーターが目に見える次元まで落とされて物質化されたものが、現実の世界という外側に現れるフラクタルだということです。

それが現象、出来事、他人の態度などになって出るということになります。

 

嫌な人生は現実の出来事と思考の一致するフラクタル構造を見つけてそれを変えるだけ

問題解決へのアプローチ: このアプローチでは、まず現実の出来事に「フラクタル」な構造(自己相似性)を見つけ出し、自分の思考パターンに気づきます。そして、その思考のクセを手放すことで、問題と思える現象そのものを変えていくことを目指します。

今の人生や現実が嫌だと思っていて変えたい場合は、これをやるしかありません。

思考パターンは、脳に指令を与えてしまいます。

そして、脳は自動操縦再生モードでずっと繰り返すだけになるということです。

脳とは、潜在意識のことです。

例えば、絶対にこうなりたくない!と思う思考パターンは、起きてほしくない内容に焦点を当てているので、脳はそれ指令だと勘違いして逆にそれを引き寄せることになります。

脳は否定も肯定もわからないので、強烈な印象だけを指令としてみなして取り入れて実行します。

まさにただ動くだけのOSです。

なので、どうプログラムさせるのかが肝心だということです。

自分で間違ったプログラムを組んで指令を与えていたということに気付いて、指令の中身を変えるしかないということです。

脳の指令の変え方はこれを見ていただくとよくわかるかと思います。

この動画は病気の話ですが、この方法は各種の目的達成など人生全てにおいて全く同じ効果を発揮します。

これもトランサーフィン、タフティに完全に一致しています。

先の理想の状態に焦点を当てるのがポイントです。

こうなってほしくない!こうなりたくない!に焦点を当てる回避型は苦痛を生む結果になるというのはまさにその通りです。

糖質制限、肉食禁止、狂気的に添加物を怖がったり、何でもかんでも毒毒言ってやたらと避けるのもまさにそれですw

接種者やシェディングを避けるのもまったく同じです。

自分がその脅威だと思っていることより下になってしまっています。

そうなると免疫や体の機能もその人たちよりも下になります。

それは、まさにいつ56されるかわからないことや外側からやられることをおびえながら生きる畜生道ですw

 

ちなみに、前に出てきた「水平フラクタル」というのは、今回の「フラクタル心理学」の話とはまたちょっと違います。

「水平フラクタル」は、1つのエッセンスから亜種が生まれるような関係のことでした。

ホログラムとしての世界観の壮大さや臨場感がそれで創られているということです。

水平フラクタルが出てきた回はこちらです。

時間と空間が始まるのは台本、フィルムの中、私たちの個の意識は物心ついた時にこの仮想現実に入ってきた、目に見える世界は自分を中心に360度シャボン玉のように形成されていて自分が移動するとついてくる

いずれにしても、「水平フラクタル」も「フラクタル心理学」も「たった一つの意識」の投影からできていることには変わりがありません。

 

今考察中の動画のイッチが言っているのは、たぶん「フラクタル心理学」のことでしょう。

この世の全ては、フラクタル構造でできているということです。

 

 

そして、このフラクタル投影は時間にも適用される。

これはどういうことかというと、時間にも自分の思考の癖が反映しているということだと思います。

例えば、④を恐れていたり毎日しわの本数を数えて老化を恐れて老化が悪いことだと思い込んでいる思考の癖がある人は時間を早く感じるからどんどん老けていきます。

同じ年齢でも年や時間など何も気にしてない人は、子供の頃の純粋な心のままで時間の流れがゆっくりなのでいつまでたっても若々しかったりします。

子供の頃の方が時間が経つのが遅かったかと思います。

それは、毎日大量の新しいことを見たり自分が知らないことを体験するからだと言われていたりします。

大人になると毎日慣れ親しんだ同じことの繰り返しで新鮮さがないので早く感じるらしいです。

それは本当かどうかわかりませんが、いずれにしても、時間というのは本人の感じ方だということだけは言えます。

本人の感じ方だから何時間でも遅刻していいというわけではありませんのでご注意くださいw

1時間後に到着して「自分の中ではまだ約束の時間になっていませんよ」とか言っても通じませんw

そういう社会的なことは偽世界ゲームのルールに合わせて動く必要がありますw

あまりにも社会をなめたり無視しすぎると世界に抗っているとみなされて、ゲームのチート行為としてそれなり処理をされることがあるので注意が必要です。

 

●老化も存在しない

さきほどの時間と老化の関係の話からすると、「新鮮さを維持すること」が若さを保つ秘訣だということがわかります。

その「新鮮さ」というのは豊かな発想力のことです。

発想さえ尽きなければ、毎秒新鮮さを感じることができるというわけです。

ちなみに、この世は「無常」なので肉体や外見、身体の機能の劣化は止めることはできませんので、それにもご注意くださいw

それを止めようとすることは、先ほどの病気動画でいう回避型に当たりますw

老化を回避しようとするということは、脳の中で裏にある本音の老化への恐れを強めることになります。

さらに、無常に対して抵抗をしていることになるので、気にしていることは余計に悪化します。

回避型はイデア界からは宇宙への抗いとみなされるので、過剰ポテンシャルが平衡力で制裁されてさらに老けてしまうということですw

病気になった時にこの苦しみから早く脱したい!早く治したい!と思えば思うほど悪化するのと同じです。

 

発想力が豊かだと中身は子供の頃のような新鮮さが常に維持されているので、見た目とか関係なく若々しいエネルギーでいられるということです。

3次元の物質世界は1つの映画なので、一人の登場人物の人生ストーリーとしては始まりから終わりがあります。

その中で毎秒、それ以下のパラパラ漫画のような細かいコマによって目に見える現象や見た目が無常で変化しています。

この無常システムは、映画の外であるイデア界も含めた宇宙的なのものなのでどうしようもありません。

しかし、見た目の映画の映像だけではなくて、その内面にある永遠に変わらないエネルギーに注目すると、エネルギー自体は何も変わっていないということです。

なので、無常で刻々と変化する肉体を自分だと意識して生きるよりも、中身の何も変わらないエネルギーを自分だと意識して生きる方が若々しくいられます。

エネルギーが常に抵抗の発生していない自然な状態であれば、発想力豊かで新鮮であれば若々しさが外見にも反映します。

エネルギー状態が自然な場合は、放っておいても見た目からも若々しい雰囲気やオーラが出るということです。

中身のエネルギーがどういう状態かで、その反映が3次元の物質世界のホログラムに出ます。

その理論からすると、外側の見た目のホログラムが老けているとか何らかの問題が出ているあるなら、中身のエネルギーに抵抗が発生していて自然でない、宇宙の流れに沿っていない、偽世界軸(他人軸)で生きているので情報に振り回されていてその情報が憑依して操ってきているから老けさせられているということが透視されてしまいますw

一言で言うと、何かを気にしながら生きている時は、振り子に憑依、支配されてしまっているということです。

もちろん、その問題も前世から来ているもの、業(ごう)なども含まれる場合があるので、本当の原因は人によって違います。

業(ごう)だったらもうそれはどうしようもないので、素直に受け止めて認めて1つ1つ丁寧に解消していくしかありませんw

そのかわり、業(ごう)を受け入れた場合は、その業(ごう)は解消されるので二度と起こらなくなって、同じ問題は来世にも引き継がれなくなります。

業(ごう)を受け入れるというのはどういうことかというと、その流れに任せて嫌なことでも何でも淡々とこなすということです。

業(ごう)がひどい場合は、身内の強制介護のように牢屋に閉じ込められたかのように自分のやりたいこともできないような状況、環境に強制的に持っていかれて身動きが取れないような状態になることもあります。

それでも文句も言わないで丁寧に愛情を持って向き合うことで解消されていくということです。

しかも、解消が終了するのは今世中とは限りませんw

ひどい場合は、何世かかけて解消しないといけないものもあるかもしれません。

なので、今世だけを1つの人生だと思わないで、来世に誰になろうが輪廻転生も含めて、山手線の環状の駅全部をぐるぐる回って全体で動いていることすべてが人生だと思っている方が気楽になるかと思いますw

その中で1つ1つの駅の業(ごう)をキレイにして、最終的には全駅クリアにしていって各輪廻転生の人生の中身をアップさせて楽しんでいくいくみたいな、ゲームで複数キャラを同時育成しているような感じですw

そう簡単に全駅解脱することはないし、上下優劣ヒエラルキーメーターみないなのはないから解脱が目標ではないので、どんな状態でも良いのですが、もし全駅何かを完全コンプしたり謎解きが終了した場合は、今度は別の次元の環状の輪に行くとか、他の環状の輪に転送されてそれをやらされるとか新しい展開が出てくるかもしれませんw

それをやっているうちに集団意識の意識レベルが上がって、地球上で起こる外側の現象のシナリオも変化していく可能性もあります。

しかし、それも上がればいいというわけではないので、常にこの瞬間は最善なこともおわすれてはいけませんw

ずっと前世からそういう山手線の全駅などの全体のシンクロが引き継がれてきて今の地球やこの世があるということです。

 

●特異点の創造主の発想が衰えた時に衰退、不足、欠落感が具現化される

本当の老化や④とは、物質世界ではなくてイデア界のほうのエネルギーが衰えることであると言えます。

それはただ単に発想力の衰えのことです。

この世で感じる衰退、不足などの欠落感はすべて発想力の衰えだということです。

なぜかというと、自分は頂点の特異点の創造主だからです。

創造主の発想力が衰えた時に、それが具現化して現象として現れているだけです。

そういう創造をしたというだけになります。

 

世間で言われている「老化」、「若返り」などという言葉は洗脳プログラム用語で特にビジネスで有利なので使われています。

「老化」と言えば悪いことに聞こえて、「若返り」と言えば良いことに聞こえるという錯覚があります。

この世にある2極化の良い悪いで判別するようなものは、全て錯覚です。

 

●あらすじも自分の思考の癖でわざわざ達成を長引かせている

「自分の思考を時間にも投影している」というのは、老化以外にも、もう1つあります。

例えば、何かをするときに「達成するまでに時間がかかるだろう」、「何年かかるだろう」とか、「次はこういう事が起きてそれからこうなって…」とか勝手に思い込むことも自分の思考の癖が時間に反映しているというのに含まれます。

イデア界には時間がなくて、今この瞬間に欲しいものやなりたい状態、起きてほしい内容全てが目の前に重ね合わせで存在していてスポットライトを当ててもらえることを待っているということを思い出すとその意味がよくわかるかと思います。

スポットライトを当てないで、わざわざ達成までに時間を作っているのは自分という特異点の創造主です。

実際に私たちは、特異点にいる創造主なので、本来ならばさっさと目の前から取り出して具現化すればいいだけです。

しかし、洗脳の鎧によって、これを達成させるには何年かかるだろう、この病気が治るまでに何か月かかるだろうとか特異点が勝手に決めつけているからその通りになっているだけだということです。

 

●時間も自分を中心とした同心円状の構造なので特異点である自分が全部決めている

空間が同心円状の階層を持つのなら、時間も同じ構造を持っている。

前に出てきたように、空間と時間は名前が違うだけで同じエネルギーのことでした。

なので、空間がそうなら時間もそうだということです。

時間もこのような階層を持つということになります。

空間は遠くのものほど巨大に見えているので、時間も遠いほど重要に見えたり、何かを達成するためにはもっと時間が必要だと感じるということでしょう。

しかし、実際には時間も空間もありませんw

それが特異点であり、全ては特異点の思考の癖で決まっているということがわかります。

 

●時間を直線だと感じるのはフィルムの中の登場人物になっている時だけの話

時間は直線じゃない。

直線というのは、映画のフィルムの中の順番だけです。

直線に感じている時間というのは、3次元の物質世界の中で上映される映画のタイムライン、台本上の流れのことです。

私たちは、その台本に捕まれて自動操縦再生モードになっています。

自分の意志で話したり選んだりしていると思い込んでいることも、実際にはその自動操縦再生モードでやらされています。

台本に自動操縦再生モードされていない時は、唯一、台本の登場人物として動いている自分を後ろから俯瞰してゲームプレイヤーの目線になってメタ認知をしている時だけです。

よく言われている「実際には時間はない」というのは、メタ認知視点になった時のことです。

登場人物視点だと時間はあることになります。

そして、登場人物は時間を直線だと思い込んでいます。

 

●この世のすべては自分を中心に発生している

もともと自分を中心とした円弧なんだ。

円弧とは?

えんこ
【円弧】
円周の一部分。弧。
「―を描く」

この「自分を中心とした」というのが重要ポイントです。

時間は、自分を中心とした円弧だということです。

ここまでくるともうお分かりかと思いますが、時間、空間だけではなく、この世の全てが自分を中心としたものになります。

「時間が円弧」とかいわれてもいまいちピンときませんが、自分が特異点なことには変わりがないので、全ては自分を中心に発生しているということです。

この世も全てもこの瞬間だけ毎秒形成されては消えて、すぐにまた形成されているの繰り返しなので、「時間」という言葉は本当に一切関係ないものだということがわかります。

「時間」というのは、台本の中にいる時だけ発生していて、ストーリーの流れを作るためのものだということです。

そうしないと一人の登場人物の人生物語が作れないからです。

「時間」や「日にち」というのは、今の登場人物としての上映中の映画のストーリーの演出のためにあるようなものだということです。

 

しかし、台本の外を基準にした場合、いろいろな役柄の登場人物を繰り返して輪廻転生をし、台本を転々と渡り歩いて遊んでいるだけです。

それが先ほど話した山手線の環状の駅全駅のことです。

駅1つ1つが輪廻転生の輪の中の一人です。

映画は1本終わっても(駅1つ)、その駅の情報を引き継いで次の駅に移動していくという転々と渡り歩く輪廻転生は永遠に止まりません。

環状なのでいつかはまた同じ駅に戻ってきます。

しかし、記憶は消去されているので戻ってきたとか気づくことはありませんw

たぶん、今世のこの自分の中に前にも入ったことがあるはずですが、記憶消去のせいで覚えていないだけだと思います。

 

一人の登場人物である「自分」というものを作った場合は時間はあって限界も終わりもやってきます。

しかし、「自分」というものを取っ払ってイデア界に出て環状の全駅を1つとして捉えてしまえば「時間」はないので、時間が足りないとか終わるということもないということです。

今世で時間が足りないと思ったとしても、それは今世という映画の中の登場人物が感じているだけです。

 

実際にゲームをプレイするときに、キャラクターを動かしているプレイヤーである私たちはゲーム内の時間や日にちが足りない!とかいつのかにかこんなに過ぎてしまった、日にちが過ぎるのが早いとか気になることはありません。

ゲーム内の時間で発生するものを意図的に待ったりするときは気にしないといけえないので、それ以外の話ですw

なぜかというと、それはリアルの時間ではないからです。

しかし、ゲーム内のキャラがもしゲーム内で生きていたら気にするかもしれません。

私たちの時間というのもそれと全く同じです。

偽世界ゲームの中の時間は、ゲーム内の登場人物であるなら気になるけど、メタ認知しているプレイヤーになると、そんなものはないのと同じだということです。

 

イデア界の本当の正体としては、今世も来世も今この瞬間のことで同時に重ねの状態でもうすでに持っている状態なので、特異点の思考量次第でいつでも具現化できるということになります。

そこにこの世が始まってからの前世からの記憶、持ち越されている情報が毎回ついて回るということです。

だから早めに前世から何を引き継いでいるのかを確認し、洗脳や悪い思考癖であれば今すぐ終わらせるに越したことはないということです。

今終われば、この先ついて回るということはありません。

それを放っておくと、今世の自分の身に覚えのないそんなことをしたつもりはないとか何もしてないのに跳ね返ってくるわけがないという意味不明のわけわらかない事が起こりますw

しかし、フラクタル構造なことからして、全く身に覚えがないことが起こるわけがありません。

ただ記憶がないだけです。

なので、今の自分の身に覚えがない事が起きたら、それは前世の記憶から来ていて、まだ終わらせていないかたついて回っているということ透視されてしまいますw

 

この続きは次の記事になります。

 

 

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