通常の実現と悪霊振り子の憑依による実現の違い、幻の自分の崩壊、振り子こそが決められていて変えられないシナリオのこと、巨大データログ庫にはフィルムしかなかった

今回も前回と同じトランサーフィン動画7回目の考察です。 死に物狂いで努力して過剰ポテンシャルのまま叶ってしまうこともある、まともな人生ラインにいる時の通常の実現と悪霊振り子の憑依による実現の違い、過剰ポテンシャル、悪霊振り子の憑依、支配、自動操縦再生モードは連動している、幻の自分の崩壊、過剰ポテンシャルで死に物狂いで努力して偶然叶ってからはエネルギーが枯渇するので悪化したり苦しくなって限界を迎える、人がいるところには催眠術で使われる振り子と同じ効果の見えないエネルギー体が存在している、悪霊振り子は人間のマイナス感情を吸い上げるほど支配力が高くなる、振り子こそが決められていて変えられないシナリオのこと、巨大データログ庫にはフィルムしかなかった、などです。

こちらの動画を参考にして書いています。

ヴァジム・ゼランド『リアリティ・トランサーフィン』全翻訳私的読解【理論編】

前回の記事はこちらです。

平衡力はエネルギーの偏りを直そうとして悪化や破壊でリセットしてくる、過剰ポテンシャルが出る時はそのままでは無理だというサイン

一番最初からはこちらです。

初期設定のフィルムは意図的に低周波で苦しみや破壊的な感情を出すように固定されている、毒親や幼少期からひどい目に遭う人は早期覚醒が必要だから

前回からの続きです。

動画のまとめ、要点、考察7

 

●死に物狂いで努力して過剰ポテンシャルのまま叶ってしまうこともある

動画主さんの話にもあるように、努力をして何かが偶然うまくいった場合、勘違いして死に物狂いで努力をすれば叶うものだと思ってしまうことがあります。

内容は違うけど、私も同じようなことを経験をしたことがありますw

たぶん、過剰ポテンシャルを知らないでそういうことをやってしまうのは、フォースの領域、人間道以下の時に経験する道でしょう。

本当は嫌でやりたくないとか、やってても全然面白くないし能力に限界を感じているけど、悪霊振り子による憑依、支配で操られているので、偽世界の世界観演出を軸にして世間体を気にして考えたり、それが正しい道なので必要、やらないといけないと思い込んでそういう行動に出るということです。

その実現は、振り子がエネルギーを吸い取るために仕掛けた罠の幻覚で、その時こそが決められていて変えられないシナリオによる自動操縦モード再生中だということがわかります。

しかし、過剰ポテンシャルの中で達成したことは、平衡力で制裁されるのがオチなので、叶っても一時的です。

最終的に長続きはしません。

 

まともな人生ラインにいる時の通常の実現と悪霊振り子の憑依による実現の違い

まともな人生ラインにいる時の通常の実現と悪霊振り子に憑依、支配されている時の実現の何が違うかというと、悪霊振り子に憑依、支配されている時は、元が本当の自分の状態ではないところからスタートしているというところが大きなポイントとなってきます。

元が狂っているので、その先も狂ったことをやってしまうということです。

一度歯車がずれたらずれたまま進むのと同じです。

 

憑依中は、判断も感覚も何もかもが狂います。

なので、本当の自分が必要ないことを必要だと思い込んで欲しくなって何が何でも手に入れたくなるということです。

「懇願」は、そこから始まっています。

狂っているから懇願するということです。

悪霊振り子の憑依が解除されると、あんなことに必死になって何やってたんだろうと笑ってしまったり恥ずかしくなってくるほどありえないことをしていますw

憑依中は、別人だったということです。

 

しかしこれは、ある意味、過剰ポテンシャルでエネルギーの偏りを生じさせることで、わざとリセットに向けて、エネルギーバランスを取ろうとしている宇宙のシステムがまともに作用している現象だとも言えます。

なので、そういう道に進む経験があったとしても悪いわけではないということです。

常にシステムは、正常な方向に楽になれるように導いてくれていることは間違いありません。

振り子に騙されて死に物狂いで努力することも人生経験として1回くらいは味わっていたほうが、その経験がこの先に役に立つと言えますw

その経験がないと、本当の自分と悪霊振り子に憑依されている時の別人状態の違いがわからないからです。

フォースの領域、人間道以下の時には、悪霊振り子の憑依の中で自我、物質、無常、陰陽プログラム、有限、目に見える物質的な領域には限界があることなどについて学ぶ時期なので、そのような経験も貴重なものだということです。

 

●過剰ポテンシャル、悪霊振り子の憑依、支配、自動操縦再生モードは連動している

過剰ポテンシャルに傾きやすい時は、悪霊振り子の憑依、支配による自動操縦再生モードについて学ぶ時期だとも言えます。

「自動操縦再生モード」というのは、イデア界視点、ハイヤーセルフ視点、プレイヤー視点、、メタ認知、気づきの中心点に立っていない時、マトリックス専用NPCになっている時のことです。

意識がメタバッチョの外に出た時だけ、決められていて変えられないシナリオの台本に自動操縦されない、明晰夢状態になっているのでりょうこちゃん光コンピューターの上位意識として自由に行動ができます。

タフティでは、そのことを「起きている状態」と言っています。

それは、自分がファイナルイリュージョンの中の幻の小さな個ではなくて、イデア界にいるりょうこちゃん光コンピューターの上位意識、単品モナド、宇宙になった状態のことです。

自分の内側で悶々と悩んでいたり心配や不安でいろんなことを考えている時、外側に反応したり気をとられている時は、完全に自動操縦再生モードです。

ちなみに、自動操縦再生モードは、悪霊振り子に憑依されていない人でもなります。

たぶん、解脱している人でもなるでしょうw

放っておいたらすぐに自動操縦再生モードに入るのが普通です。

自動操縦再生モードに戻すそういうプログラムがあるはずです。

だからこそ意識して、自動操縦再生モードに気づいた時には、イデア界視点、ハイヤーセルフ視点、プレイヤー視点、、メタ認知、気づきの中心点に立って目を覚ます必要があるということです。

 

意識して気づきの中心点に戻らないで自動操縦再生モードを放っておくと、過剰ポテンシャルに傾きやすくなります。

過剰ポテンシャルに傾いた時は、何らかの振り子の影響を受けてエネルギーを吸い取られて枯渇してきていると言えます。

悪霊振り子かもしれないし、個人的振り子かもしれません。

 

なので、トランサーフィン、タフティ的には、過剰ポテンシャルに傾いたり振り子にエネルギーを吸い取られて枯渇する前に、常に自動操縦再生モードに気づいてその都度すぐにメタバッチョの外に出る(気づきの中心点に戻る)のが好ましいと言えます。

 

幻の自分の崩壊

憑依期間中は、本人のイデア界の本当の自分としての意識はなくて、ただ振り子に操られて自動操縦再生モードで判断したり行動しているだけです。

本当の自分(単品モナド、宇宙の創造主として)ではないので、結果的にそれも苦しくなって崩壊したり、別の問題が発生したりするということです。

しかし、憑依されていたという幻の自分の崩壊でもあるので、イデア界の本当の自分から見るとそうなった方がよいということです。

悲劇、悪いことが立て続けに起こるような時は、幻が崩壊している可能性もありますので、ギャンギャン騒いだり抗ったり過剰に反応しないで、あえてそれでよしとして流れに任せてみると良いでしょう。

そこでの反応、捉え方、発想した内容がイデア界という鏡に入ってそれが次に現実化して出てきます。

なので、ギャンギャン騒いで泣いたりわめいたり怒り狂ったり変えようとしたりすると、まだまだギャンギャンしないといけないような内容が続くだけになってしまうということです。

悪霊振り子に憑依されている期間は、幻の自分になることで、幻の自分と本当の自分の違いを知るという貴重な体験ができます。

 

幻の自分が崩壊しないと本当の自分に戻れないので、いつまでも修行のような厳しいフェーズが続くということです。

幻の自分が崩壊すると、懇願で執着していたものも最終的に本当の自分には必要なかったものだということがわかる日が来ます。

わかる日が来ない場合は、まだまだそのような経験を通して学ぶことや気づくことがあるということです。

そのようなフェーズを通り越して、意識レベル200以上のパワーの領域、天道から上には行けないようになっているのではないかと思います。

 

●過剰ポテンシャルで死に物狂いで努力して偶然叶ってからはエネルギーが枯渇するので悪化したり苦しくなって限界を迎える

死ぬ物狂いで努力をして偶然1回叶ってしまった場合、それで自信がついても、その先はいくら努力をしまくってもだんだん叶わなくなってきますw

それは、悪霊振り子にエネルギーが吸い取られたままなので、自分が実現に使うためのエネルギーが枯渇してきているからです。

そこからどうするのかがファイナルイリュージョンで最後の砦に向けた最難関のやりがい、醍醐味、面白いところになってきますw

エネルギー枯渇のせいで逆に悪化しかしなくて、この先の見込みがないと確信してきて疲れてくるのがフォースの領域、人間道以下の次元にいる時の特徴です。

それをクリアできると、一気に陰陽プログラムが反転して別人のマネキンに入って自分の中身も人生で起こるシナリオも変わっていきます。

フォースの領域、人間道以下の次元を卒業する前兆が、前回話した平衡力で制裁された後は「考えるだけでも疲れるしもうどうでもいいや」という脱力状態に至ることです。

フォースの領域、人間道以下というのは、エゴ軸で自分で何とかしようとして今のシナリオに抗ったり変えようとしたり暴れるから痛い目に遭っています。

しかし、そこで初めて、現実で起きている現象に抗うのをやめて宇宙に任せてみようという気持ちになったら、そのどうにもならないように見えていた状況が一気に反転するということです。

いったん理想のエネルギー状態に戻してからやり直すという気づきが得られると確実に人生ラインが変わっていきます。

ファイナルイリュージョンでは、本当の自分のエネルギー状態にしてから始めないと、うまくいかないようになっているということです。

それ以外は、学びの場になるだけですw

うまくいかない状況というのは、学ぶ分には非常に面白い時ですw

 

振り子に憑依、支配されている時は、ただ単に台本通りに操られているだけなので、イデア界の本当の自分通りに自由に動けないということです。

 

ヴァジム・ゼランドは、このような状況を解説するに当たって、「振り子の法則」を提唱しております。

なんでそういうことが起きるかというのが、「振り子の法則」を知ることでわかるということです。

見えない領域にある力について、宇宙の法則、振り子の話にたどり着いただけでもかなりのラッキーでしょう。

そういうことまで初期設定の決められていて変えられないシナリオに入っていたということです。

 

●人がいるところには催眠術で使われる振り子と同じ効果の見えないエネルギー体が存在している

催眠術で使われる振り子を巨大かつ透明にしたものが、人のいるところならどこにでも無数に浮遊しているとお考え下さい。

これは、偽世界から見ると、「振り子」という例えになっていますが、実際にはイデア界にある数十億先の文明のテクノロジーのことです。

振り子の催眠のような動きのプログラムが裏で組み込まれているということです。

 

なので、この世の中のどこにでも振り子の催眠がかかっていると思った方がよいでしょう。

まずパッと何かする前に、そこにある振り子のエネルギーを察知してから、冷静に判断、行動するようにした方が安全です。

それができるのが、常にイデア界視点、ハイヤーセルフ視点、プレイヤー視点、気づきの中心点に戻ってメタ認知をする習慣をつけておくということです。

その位置に立って判断するようにしていれば、振り子の台本に巻き込まれることを防げるということになります。

 

 

●悪霊振り子は人間のマイナス感情を吸い上げるほど支配力が高くなる

この振り子、私たち人間からマイナス感情を吸い上げるほどに勢いづき、影響力を増していきます。

これは、真実系、都市伝系の解釈にすると、レプやヤーミー的存在のことになりますw

実際にはそういう存在がいて、本当に人食ったり人間の血を飲んだりしてるのかは不明です。

振り子の話を含めて考えてもそういうのは比喩なのではないかという気がしますw

数十億先の文明のテクノロジーのプログラムの一部がレプやヤーミー的存在いう感じで擬人化されていて、人食ってる、人間の血を飲んでいるというのは、悪霊振り子が人間から低周波を吸い取っていることを比喩で言っているのでしょう。

本当にいるのかいないのか、いずれにしてもシステム的にやっている本質は同じです。

イデア界、宇宙全体のバランスを保つために悪霊的な動きをするプログラムの振り子があるということです。

 

悪霊振り子は、人間のマイナス感情を吸い上げるほど支配力が高くなります。

このことからも地球上で起こる世界情勢のシナリオは、悪霊振り子に憑依、支配されている人数と連動しているということが推測できます。

過剰ポテンシャルも同じでしょう。

地球全体でマイナス感情で深刻になって過剰ポテンシャルに傾く人数が増えれば、平衡力での制裁として、天変地異や茶番デミックなどを引き起こすスイッチが入るのかもしれません。

そのようなエネルギーの動きもシミュレーションされていることは間違いありませんw

 

集団心理の働くところには必ず振り子があるとされている。

この話からすると、集団は振り子の影響を受けているということになります。

振り子は、共通の思考から形成されるエネルギー体なので、二人以上いたら発生します。

しかし、一人でも発生します。

一人でいたとしても、「~しなければならない!」、「~すべき!」のように自分に何かを強制して縛り付けるのが個人的振り子です。

 

●振り子こそが決められていて変えられないシナリオのこと

見逃してはいけないポイントは、この「振り子」こそが「台本」(決められていて変えられないシナリオ)だということです。

なので、振り子に憑依、支配されている間は台本の中で自動操縦再生モードだということになります。

しかも、めちゃわかりやすいのが、感情的になっている時は完全な自動操縦再生モードです。

自動操縦再生モードの時は完全に無力です。

そのことからも、自由意志がないということに完全に一致しますw

シナリオシステムがわかってから、自由意志があったら世界は成立しないことがわかってきましたw

バランスがとれていたり、キレイにシンクロする理由は全部セットだからですw

最初からフィルムの中に組み込まれているシナリオだから宇宙はキレイな秩序で動けると言うことですw

それも、「宇宙」という漢字がうかんむり室内だということにも完全に一致しますw

1つの小さなくくりをすべて「宇宙」と言えますが、どれもフィルムの中に収められていたという新デクラッチョですw

 

この世とかの「世界」自体がフィルムの中に収められているので、④後生まれ変わって反物質世界とか肉体がない高次元とかのどんな次元に行ったとしても、何らかの「世界」があったら、そこもまた自動操縦再生モードのシナリオの中だということです。

これも製作者以外の誰にも支配されないようにするためでしょう。

本当に製作者はよくそんなこと思いつきましたねw

このデクラッチョは意外でしたw

そもそも「自由意志」という言葉自体が通用しない作りで作られていたというw

だから、自由意志について探求しても答えは出てくるわけがないということです。

自由意志とは、そのフィルムの中のシナリオの中に書かれている内容、自動操縦再生モードだということです。

それを人間たちが自由意志だと勘違いしているだけです。

しかし、メタバッチョの外に出た場合の自由意志は、単品モナドとしての創造力に変わります。

それを映画の中で明晰夢状態で使うのが、ファイナルイリュージョンでのやりがい、醍醐味、面白い所だということでしょう。

製作者たちに、単品モナドとしての創造力を決められたシナリオの中でどう使うかを見られている可能性があります。

 

自動操縦再生モードだけど、自分で意思を持っているかのように思い込ますことができるのが、イデア界にある数十億先の文明のテクノロジーだということです。

起こる出来事、現象はもちろん、思考、行動、セリフとかも込みで1つのシナリオフィルムの断片だということになります。

ここまでくると、自分の内側から湧き上がってきているアイデア、思考、想像、妄想込み、全部シナリオの中に組み込まれているのではないかと思います。

自分が思いついたアイデアだと思っても、それはシナリオの中に初めから書かれている内容だということです。

フィルムが変われば、シナリオが違うので自分の内側から出てくる発想、アイデア、思考、想像、妄想とかも変わってくるということです。

 

起こる出来事、現象を変えるのはもちろんですが、自分の思考、行動、セリフとかも変えたいなら他のフィルムに取り換える作業が必要です。

フィルムの交換をしないで、今上映中のシナリオで起きている現象や状態を変えようとしても無駄だし、かえって悪化させるだけになってしまうということです。

現状に対して不満を抱いたり抗ったり変えようとすることは、かえって現在のシナリオを固定するそうです。

鏡の話とそれも完全に一致しています。

今の話を鏡の話に置き換えて言うと、今上映中のシナリオを見て何か反応した場合、イデア界という鏡にその反応を入れることになります。

それがイデア界でレンダリングされて物質世界に映し出されるということです。

今上映中の現状に抗った場合、また抗わないといけない状況が出てくるということです。

今上映中の現状を快く思った場合は、快く思える状況がレンダリングされて出てきます。

だから、いつもやっている物事への捉え方や、考えたり発想する内容をレンダリングされていいものに変えるしかないということになってきます。

 

このデクラッチョは、人生好転系でも言われている「自分が変われば世界が変わる」という話にも完全に一致します。

しかし、今の世界が変わるわけではなくて、実際には、世界ごと入れ替えるということです。

別の言い方をすると、パラレルワールドを移行するということです。

フィルムが変わると世界も自分もシナリオも変わるからです。

 

 

最近タフティを読み終えて、次はトランサーフィンの普通に売ってるやつを読み始めましたw

78日間トランサーフィン実践マニュアル 量子力学的に現実創造する方法  

こっちは、原書じゃないし他の人が書き直した系はどうかなと思ってましたが、最初のほう5分の1くらいまで読んだ感じでは、原書からの抜粋という感じがしてけっこういいですw

 

●巨大データログ庫にはフィルムしかなかった

両方読んでみて意外だったのは、どうやら巨大データログ庫には、フィルムしかない感じがしますw

無限の宝庫に「何でも最初から揃っていて取り出せる」というのは、細かい物があるとかじゃなくて、全部セットになったフィルムだけがあるみたいです。

たぶんこれは本当でしょうw

ゼランドは、無限の保管庫に台本と舞台装置が、映像のリール(たぶん丸い円のフィルムを巻いたやつのことだと思います)のように保存されていて、そこからカタログを選ぶような感覚で好きな映画を選べるようなことを言っています。

人生で起こる出来事、登場人物とかのシナリオストーリーが無限のパターンで保存されているということです。

ということは、細かいシチュエーションから出てくる小物から何から何まで全部セットですw

そこに先ほど話したように、セリフ、行動、どんな自分像なのか、どういう思考、発想、捉え方をする自分なのかとか細かいことが全部セットで1つに詰まっているということです。

しかし、その数は無限なので、好きなように細かく指定できます。

それを選ぶのが醍醐味だということでしょうw

この「無限」のパターンのシナリオというところが、いかにもりょうこちゃん光コンピューターですw

数十億先の文明のテクノロジーなので、そういうことができるということです。

 

この続きは次の記事になります。

 

 

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