現実とは?についての続きです。偽世界の制作者は、ヤーミーの優しさで作り話の中にもさりげなくデクラッチョを織り交ぜている、表現方法が違うけど凪の恩恵のことを示唆している話は偽世界の中にもある、過去の偉人、ヒズストーリーは脳内操作による植え付け、人間の善し悪しの判断はあくまで人間基準のナチョス文化の中だけで宇宙の法則や偽世界の外には通用しない、偽世界の中には世界観演出のための洗脳力を持っている中身のない薄っぺらい言葉がたくさんある、偽世界では事件の裏で宗&教がからんで悪さをしていることにされているシナリオが基本、などです。
前回の記事はこちらです。
一番初めからはこちらです。
「真実」についてはこちらです。
前回からのwikiの説明文の続きですw
真実と同じで現実もありもしないもの 8
●偽世界の制作者は、ヤーミーの優しさで作り話の中にもさりげなくデクラッチョを織り交ぜている
ことに老荘的な思想にあっては、相対的な個別の認識をこえた万物斉同というものが提出されるのであるが、この場合、個別の主観を超えた現実性というものが想定されているわけではなく、それらの認識の間の相対性が強調された。
「老荘思想」というのは、中国戦国時代の道家の巨匠老子と荘子の思想の事だそうです。
戦国時代とか言っている時点で、この話はどういうものなのかもうお分かりかと思いますw
老子と荘子というのは思想家らしいです。
わからない言葉を先に調べてしまいましょうw
道家とは
① 中国、戦国時代に興った諸子百家の一つ。老子、列子、荘子など、無為自然を信条とする一派の称。宇宙間に存する理法を道と名づけ、人もそれにならって無為自然を旨とすることにより、結果としての大成を期待できるとし、あるいは心の安らぎを得るとする。儒家とともに後世まで伝えられて、中国・日本の思想・文学・芸術その他あらゆる分野に大きな影響を与えた。
[初出の実例]「漢土に仏法いまだわたらざっし時の儒家・道家は」(出典:日蓮遺文‐開目抄(1272))
[その他の文献]〔史記‐陳丞相世家〕
② 広義に宗教としての道教をも含めていう。
③ 道家・道教を奉ずる人。
無為自然とは
人の手を加えないで、何もせずあるがままにまかせること。▽老子や荘子そうしの思想を指す言葉。「無為」は何もせず、人の手を加えないこと。「自然」は人間の手が加わっていないもともとの姿の意。あるがまま。
これは、本当の自分(無限の力)に身を任せてあるがままになるということです。
これも無限の力を基準にした教えをうたっている老子と荘子という思想家がいたということにしている偽世界の世界観演出のシナリオでしょうw
偽世界の制作者は、このような思想系の作り話の中にもストーリーの中にこの世の真理(プログラムのデクラッチョ)を入れたり、偽世界を楽に生きるヒントを教えることがあるということです。
それはフィクション作品のにデクラッチョがあるのと同じです。
この世自体が虚構なので、リアルの話だと思われていることも全部フィクション作品だということです。
偽世界の制作者は、ヤーミーの優しさでフィクション作品の中にもさりげなくデクラッチョを織り交ぜてヒントをくれているということになります。
しかし、ほとんどの人間は、書かれているままそっくりそのまま文字通り額縁通りに受け取って暗記をするようなナチョス文化の奴隷教育や、本を何冊読んだからすげーみたいな情報コレクションのような勉強しかしないので気づくことがありませんw
●表現方法が違うけど凪の恩恵のことを示唆している話は偽世界の中にもある
無為自然を旨とすることにより、結果としての大成を期待できるとし、あるいは心の安らぎを得るとする。
というのは、まさに凪の恩恵のことです。
本当の自分、自然の流れに任せておけば、無限の力が全身全霊に流れるので心が凪になって大成するし安らぐ人生を送れるということです。
ちなみに、「大成」というのは、偽世界の中で言われている成功者、これが人間の幸せですというようなナチョス文化で金、名声、ステータスを築き上げることではありませんw
凪の恩恵は、偽世界軸のエゴ中心の考えやナチョス文化から来ていないもののみです。
凪の満足は、偽世界の中の幻覚の自我が感じるものではありません。
偽世界の外にある個を超えた領域、偽世界の外の本当の自分、スピでいうハイヤーセルフ、ソース、大いなる源としてとしての満足にあたります。
凪が実現する内容は、小さな個としてのエゴ目線で考えると、全然嬉しくも幸せでもないし満足ではないものがほとんどです。
偽世界軸だと凪の反対の方向のナチョス文化に行ってしまいますw
老子、列子、荘子が言っている話の中身は、宇宙、心、潜在意識の法則と全く同じです。
内容的には、国、出てくる人物名とヒズストーリーや表現方法が違うので一見別物に見えますが、またこれも同じ1つの事を言っています。
そっくりそのまま文字通り額縁通りに受け取ると、国は中国だし、老子、列子、荘子といういろんな名前が出てきて違う名前だから全く別物の話を言っていると思ってしまいます。
しかし中身はよくありがちな宇宙の法則のことだということです。
老子、列子、荘子という思想家たちは、宇宙の法則をうたってきたということです。
●過去の偉人、ヒズストーリーは脳内操作による植え付け
中国のヒズストーリーは何年前からあるのかわかりませんが、この世は5分前に作られたも同然だしいくらでも脳内操作で情報の植え付けができるので、長くて100年前がMAX、そんな大昔は存在しないでしょう。
中国と言えば、4000年の歴史とかいうのがすぐに浮かび上がってきますが、そういうのもどこかで植え付けられたということですw
偽世界を作った製作者は、好きなように時間も巻き戻したり止めたり早めたり、今すぐ何千何億年前のヒズストーリーもあったこととして作れるので、いつでも作り話があったものとして扱うことができます。
なので、本当に老子、列子、荘子という人がいたかどうかも不明ですw
いないと思いますw
これも作り話上の架空の存在か、偽世界の外にある実在する世界にいる人物か、実在する世界にの中の創作物の模倣をしてシミュレーション世界の中に取り入れている可能性があるということです。
●人間の善し悪しの判断はあくまで人間基準のナチョス文化の中だけで宇宙の法則や偽世界の外には通用しない
万物斉同とは
万物斉同 (ばんぶつせいどう、 中国語: 萬物齊同 )とは、 荘子 が唱えた、万物は道の観点からみれば等価であるという 思想 である。
「万物斉同」とは、「 全ての物事を分けることなく「一」として捉えるべき 」という考え方。 →人間はそもそも、「頭が良い人は良い/頭が悪い人は悪い」「二重の人は見た目が良い/一重の人は見た目が悪い」というように、あらゆるものに対して善し悪しを判断している。 ただし、この判断は絶対ではなく、信じるに値しないというのが、荘子の考え方。 【本文(現代語訳)】 ・人間は湿気を嫌って家屋に住み、どじょうは泥の中に好んで住む。 人間は高いところを恐れるが、猿は高い木の上に住むことを好む。 この二例から分かるように、人間の善し悪しの判断は、あくまで人間基準での話であり、どじょうや猿には通用しない。 従って、人間の考える善悪とは、信じるに値するほど確かでないことが分かる。 (斉物論篇)
荘子いいこと言うw
これも宇宙の真理みたいなもののことを言っています。
この話も陰陽のマークの話にも完全に一致します。
反対側も=なので、結局どっちも同じで1つだということです。
優劣、良し悪しを決めつけるのが偽世界軸、ナチョス文化です。そんなものは、信じるに値するほど確かでないということが赤字の部分です。
自我というレンズは、幻覚を見せてきます。
それらがいかにも正しいかのように誘導し、ナチョス文化、偽世界軸を基準にさせるように仕向けてきます。
そこに騙されながら生きて死ぬのがこの世という場所です。
人間は、幻覚のレンズに騙されて自分たちの都合でだけ考えていろいろとやっていますが、偽世界全体として偽世界の外からもっと大きな力で動かされています。
自我は、それを忘れてというか、それよりも小さなエゴMAXの自分の方が常に正しいという幻覚の方向に持っていこうとする機能であるということろが重要ポイントです。
それが偽世界ゲームの障害物、敵キャラのようなものだということです。
それをコントロールして偽世界の外で働く大きな力を使って凪の恩恵を受け取ることがゲームのやりがい、醍醐味みたいなものです。
偽世界の外からの大きな力は、個人を超えた領域で全体のバランスを取りながら動いています。
そのバランスというのが、人間だろうがどじょうだろうが生命あるものが平等に扱われているというところです。
人間が時々大量におへらしされたりするのも、全体のエネルギーとしてのバランスをとっているからでしょう。
人間だけが動物を56して肉を食べたりいい思いができないようになっているということです。
偽世界の外の英&愛と繋がっている可能性のあるコーチャクインは、肉を食べる時は自分も自然に食べられていると言っていましたw
それは、人間は自分たちだけの判断で自然を破壊したり生き物を56しているので、自然や偽世界のプログラムにいつ56されてもおかしくないということを示唆していると思います。
もう一度今回の記事の一番初めの文章に戻りますw
ことに老荘的な思想にあっては、相対的な個別の認識をこえた万物斉同というものが提出されるのであるが、この場合、個別の主観を超えた現実性というものが想定されているわけではなく、それらの認識の間の相対性が強調された。
「この場合」というのは前の文章にあったこの場合を言っているのではないかと思います。
中国哲学においては、一般に唯名論的傾向が強く、現象から現実は区別されない。
むしろ現象と現実との区別は宗教的領域の問題であった。
それを踏まえてわかりやすくすると、こんな感じですw
老荘的な思想では、個人の主観というパラレルワールド領域を超えたメタバッチョの外から見た視点での生命に対する平等性目線であるが、中国哲学の場合、メタバッチョの外が想定されているわけではなく、それらの認識の間の相対性が強調された。
もっと簡単にすると、人によってメタバッチョの外を認識できる人とそうでない人がいるので、現実とは何かを証明できませんということだと思いますw
偽世界の中からどんなに証明しようとしても(ヾノ・∀・`)ムリムリw
ということです。
証明できたとしても、偽世界の中にいる以上、それもまた偽世界の中だけの世界観止まりで終わってしまうからです。
本当の意味での証明は、私たちのデータが入っている高次元のコンピューターの外、このメタバッチョの外に出れない限り無理だということです。
「証明」という言葉にも騙されないようにしましょうw
今ちょっと調べたら、これも捏造、サーギーすることが出来てしまう内容でしたw
また偽世界の洗脳用語プログラムですw
「証明」という言葉を使えばいいと思ってw
「証明」という言葉は、それを言うだけで簡単に信用されてしまうという権力を持っています。
●偽世界の中には世界観演出のための洗脳力を持っている中身のない薄っぺらい言葉がたくさんある
証明とは
1 ある物事や判断の真偽を、証拠を挙げて明らかにすること。「身の潔白を—する」「本人であることを—する書類」「身分—」「印鑑—」
判断の真偽というのこそが、荘子が言っていた人間の判断する善悪はどじょうに通用しないんだから信じるに値するほど確かでないというものですw
これもまた「判断の真偽」とかいう権力的な言葉を使って洗脳していることがわかります。
だから偽世界の中で行われている証明書とかは、本当に偽世界の中だけのおままごとレベルで一切中身がないということになりますw
2 数学および論理学で、真であると認められているいくつかの命題(公理)から、ある命題が正しいことを論理的に導くこと。論証。
数学、論理学も偽世界の中だけの話です。
しかし、この世の全てが数式で解決し、完璧な数式で成り立っているところを見ると、言語や記号が同じとは限りませんが、数字的な計算式だけは偽世界の外でも通用するものである可能性はあります。
同じ数字かわからないけど1と0みたいな2つのものが偽世界の外にもあるということです。
この辞書の2の意味は、偽世界の外視点の深い意味で言うと1,0のことでしょう。
それがあの陰陽マークのプログラムではないかと思います。
3 訴訟法上、当事者が事実の存否について、裁判官に確信を抱かせること。または、これに基づき裁判官が確信を得た状態。→疎明 (そめい)
裁判所などの社会にある上層組織はBOTなので、これも捏造、サーギーが出来てしまいます。
偽世界の製作者が好きなようにBOTをコントロールして、証明できたできないと決めることが出来るからお話になりませんということですw
BOTは、自分たちの都合が良いように何とでも言えます。
元々人間の人工知能には権力に従う奴隷設定が入っているので、ちょっと肩書があるお偉いさんや有名人が「証明されている」と言えば、すぐに信用されます。
それを利用しているのが、この世のシステム「ファン=信者=崇拝=奴隷=トカゲのフン=金、名声、ステータス」ビジネスですw
1~3を見てわかる通り、「証明」という言葉も薄っぺらくていい加減なものだということです。
そんなことにこだわる人間はもっと薄っぺらいということですw
老荘的思想の話に戻りますw
偽世界の真理は、どじょうだろうが人間だろう関係ないという老荘的思想と同じです。
個人の主観というパラレルワールド領域を超えたメタバッチョの外の制作者から見た視点での生命に対する平等性目線ということです。
それなのに、最後は問題がある扱いをしてわざと焦点をぼかしています。
これも偽世界あるあるですw
自分でさりげなくデクラッチョをしておきながら、まだ完全に証明されたわけではないとかぼかしてごまされることがよくあります。
今回は、宗&教問題にしていますw
それも偽世界の偽ニュースでもよく使われる手口です。
何かあるとすぐに裏に宗&教がからんでいると言われたり、宗&教団体がよく悪者役にされていますw
本当に悪事を行っているBOTもいますが、そういうのもひっくるめてその宗&教や問題シナリオを作っているのは、偽世界の制作者だということです。
●偽世界では事件の裏で宗&教がからんで悪さをしていることにされているシナリオが基本
最近知ったのですが、コロナ茶番でも裏に宗&教のおとなのたたかいがありましたw
宗&教で火葬をしたら天国に行けないというのを信じている宗&教があるそうです。
ある宗&教がその火葬をしてはいけない宗&教をめっつぼーさせるために、わざと火葬になるようにありもしないウイルスがあることにして、土葬は感染が広がって危険だから焼かないといけないと言って焼かせて信者を天国に行けなくしてめっつぼーさせていたというたたかいがあったそうですw
そんなことのために、4年前に世界がああなったということですw
それと同じで、裏に宗&教問題があることにしたいのがこの偽世界の基本シナリオなのではないかと思います。
もちろん、567茶番のそういうくだらないシナリオも制作者によるものですw
ゲーム、マンガ、映画、ドラマなどのフィクションには思想による派閥問題がよく出てきます。
そういうのを見ていると、偽世界がまったく同じシナリオ構成でできているということがよくわかります。
それを確認しているのが、このサイトのうさおっちょの生き様というシリーズですw
この続きはこちらです。
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