現実とは?についての続きです。偽世界の制作者目線で考えると虚構から目を覚ませる、偽世界のプログラムデクラッチョが入っている作り話が多すぎてヤバい、偽世界の中で生きている間は、自分の顔の前に見えている範囲にない遠くの話は一切ないものとして扱うことがポイント、見た目が違うから違う意味に見えるけど同じ意味で表面を装飾しているだけの言葉が多すぎてヤバい、などです。
前回の記事はこちらです。
人間の善し悪しの判断は偽世界基準なので宇宙の法則や偽世界の外には通用しない、世界観演出のための洗脳力を持つ中身のない薄っぺらい言葉が多すぎてヤバい
一番初めからはこちらです。
「真実」についてはこちらです。
今考察しているwikiの文章です。明るめの紫までが前回やった内容ですw
中国哲学においては、一般に唯名論的傾向が強く、現象から現実は区別されない。むしろ現象と現実との区別は宗教的領域の問題であった。ことに老荘的な思想にあっては、相対的な個別の認識をこえた万物斉同というものが提出されるのであるが、この場合、個別の主観を超えた現実性というものが想定されているわけではなく、それらの認識の間の相対性が強調された。それに対して朱子学は知識の完成のためには実事求是、現実の世界の対象にあたらなければならない、というテーゼが存在し、主体と現実との対立関係が意識されているといえる。
人によってメタバッチョの外を認識できる人とそうでない人がいるので、現実とは何かを証明できませんという意味でしたw
今回は、その続きになります。
真実と同じで現実もありもしないもの 9
それに対して朱子学は知識の完成のためには実事求是、現実の世界の対象にあたらなければならない、というテーゼが存在し、主体と現実との対立関係が意識されているといえる。
また何を言っているかわかりませんので、先にわからない言葉を調べてから意味が分かった状態で最後にまとめますw
朱子学とは
中国、南宋の朱熹が大成した新しい儒学。理気説を基本に、人の本性は理であり善であるが、気質の清濁により聖と凡の別があるとし、敬を忘れず行を慎んで外界の事物の理を窮めて知を磨き、人格・学問を完成する実践道徳を唱えた。日本では江戸幕府から官学として保護された。程朱学。宋学。道学。朱学。
これでも意味が分かりませんので、もうちょっと調べてみますw
じゅ‐がく【儒学】 の解説
中国古代の儒家思想を基本にした学問。孔子の唱えた倫理政治規範を体系化し、四書五経の経典を備え、長く中国の学問の中心となった。自己の倫理的修養による人格育成から最高道徳「仁」への到達を目ざし、また、礼楽刑政を講じて経国済民の道を説く。のち、朱子学・陽明学として展開。日本には4、5世紀ごろに「論語」が伝来したと伝えられ、日本文化に多大の影響を与えた。儒教。儒家じゅか. 中国で紀元前500年ごろ孔子 (こうし)(孔丘)によって始められた学派の名。
礼楽刑政とは、
古代中国で国家を整え、秩序を維持するための四つの基本のことで、礼節、音楽、刑罰、政令のこと。
ナチョス文化の1つのことです。
理気説とは
中国、宋代の儒学説で、宇宙の本体を理とし、そこから生じる陰陽の気の運行が物を生じるとする思想。
「宇宙」という言葉に騙されそうになりますが、宇宙も含めてまだ仮想現実の中であることを忘れないようにしましょうw
実際には、宇宙の外、私たちのいるメタバッチョ以外の外もあるということです。
この瓶で例えると、瓶の中に太陽系、銀河系だのなんだのの果てしないと思い込まれている宇宙まで入っているということになります。
●偽世界の制作者目線で考えると虚構から目を覚ませる
「宇宙の本体」ということでそうとう広大な果てしない領域のように感じさせていますが、偽世界の制作者からすると「宇宙」というものには限界があります。
「宇宙」という漢字のうかんむりが室内、箱の中だということをデクラッチョしていますw
その室内、箱の中というのは何でしょうか?というと、高次元のコンピューターの中ということですw
もちろん、偽世界の外は高次元なのでこういう目に見える三次元の物資のコンピューターではない可能性が高いです。
スタートレックみたいな宇宙映画によく出てくる空気中をタッチするとスクリーンのホログラムが出てくるようなああいう感じかもしれないし、ただのエネルギーや周波数で構成されていて何も見えない可能性もあります。
偽世界の外は未知の世界です。
「陰陽の気の運行が物を生じるとする思想」の「陰陽」というのは、まさに陰陽マークの食い込みスイッチプログラムのことです。
「気の運行が物を生じる」は、考えていること、自分の持っている気である周波数が現実化物質化するこの世のレンダリングシステムのことです。
理とは
「理」 は物事の筋道や変わることのない法則であったり紛れもない事実を指します。 これは 「ことわり」 と読む場合も 「り」 と読む場合も同じです。
これは、なんでかわからないし証明もできないけどそういう力が働いていると確定できる宇宙の法則みたいなものです。
偽世界のプログラムそのもののことです。
偽世界の制作者がどういうつもりで、このような世界観演出の文章を至る所に置いているのかを考えると虚構から目を覚ました状態になれます。
偽世界の中では、常に、全てにおいて真に受けないことが重要ですw
最近またあへちゃん第二弾みたいな血糊劇場が起きたそうですが、ああいうのも世界観演出なので何回でもやりますw
こんなのは、やらせ、茶番以前の話です。
なんでああいうわかりやすいことをするのかを考えたら、この世自体が電気信号だけでできた架空の世界、茶番をやりまくってなんぼのシミュレーション世界だからですw
偽世界の製作者たちが実在する世界には何の被害も起きないから、コンピューターの中でいろいろ試して遊んでいるということですw
●偽世界のプログラムデクラッチョが入っている作り話が多すぎてヤバい
さきほどの朱子学の説明文こちら
中国、南宋の朱熹が大成した新しい儒学。理気説を基本に、人の本性は理であり善であるが、気質の清濁により聖と凡の別があるとし、敬を忘れず行を慎んで外界の事物の理を窮めて知を磨き、人格・学問を完成する実践道徳を唱えた。日本では江戸幕府から官学として保護された。程朱学。宋学。道学。朱学。
をわかりやすくするとこんな感じですw
C国の朱熹という人が作った新しい儒学。漢字読めないけどその名前には重要性がなさそうなので調べません、どうせ架空の人物でしょう。理気説という宇宙の本体を理とし、そこから生じる陰陽の気の運行が物を生じるとする思想を基本に、人間の本性は理で前であるが、気質がキレイか汚いかによって聖と凡があるとし、今自分が置かれている環境や目の前の物を大切にするなど何事にも敬うことを忘れず、エゴ、トカゲ気質による行いを慎んで虚構から目を覚まして外界の事物の筋道や変わることのない法則や紛れもない事実を極めて知を磨き(ここでいう知というのはナチョス文化の学歴やステータスではありません、メタバッチョのシステムとしての本質を知るほうの賢さという意味です)、人格・学問を完成する実践道徳を唱えた。「人格、学問」「実践道徳」というのは偽世界の世界観演出用語です。完成という言葉を使うことで、トカゲ気質を刺激し煽ってナチョス文化の奴隷階級のヒエラルキーとしてそれを目指させようとしています。偽世界の中では、世界観の演出として日本に江戸幕府があったこととされていて、官学として保護されたということにもしています。程朱学。宋学。道学。朱学。という言葉も偽世界の世界観の演出です。
「朱子学」とは同じ人間でもトカゲ気質があるかないかで、2種類にわかれることをうたっている誰かが作った学問だということでしょう。
一言で言うと偽世界のプログラムデクラッチョが入っている作り話ということですw
そういうのばっかりw
偽世界の中にあるなんとか学というのは、ほとんどが偽世界の世界観演出のことで、いかにもそれが正しいかのように決めつけてお手本にさせたり目指させる洗脳ツールだということす。
その中身は90%以上のほとんどが洗脳ですが、直接ハッキリとわからないようにオブラートに包んで偽世界やメタバッチョの本質をデクラッチョしているものもあります。
それに気づけば人生に役に立ったり使えますが、文字通り額縁通りに受け取って暗記しているだけなら、学歴を自分のステータスにするために完璧に勉強をすることで自分の価値観を維持している人間や、ナチョス文化の看板をしょってイキッテ自己陶酔しているだけの肩書野郎と同じくらい薄っぺらい内容だということです。
朱子学がなんだかわかりましたので、次は今回の本題の文章こちら
それに対して朱子学は知識の完成のためには実事求是、現実の世界の対象にあたらなければならない、というテーゼが存在し、主体と現実との対立関係が意識されているといえる。
の意味調べに戻りますw
じつじ-きゅうぜ【実事求是】とは
事実の実証に基づいて、物事の真理を追求すること。中国清朝しんちょうの考証学の学風。▽「実事」は実際のこと。本当のこと。「求是」は誠・真理を窮め求めること。「事ことを実じつにして是ぜを求もとむ」と訓読する。
「事実の実証に基づいて、物事の真理を追求すること」というのも、偽世界の中では残念ながらできませんw
なぜかというと、これも主観によるからです。
ある人の主観であるパラレルワールドでは本当に起きていても、他の人の主観であるパラレルワールドでは起きていないということが本当にあり得るからです。
わかりやすいのが567茶番です。あれだけ世間が騒いでも、仕事、健康、人生面で何の影響も受けていない人もいますw
人の主観によって、「本当」だと感じていることが違ければ、実際に五感で見たり聞いたり感じたり確かめられることまで違うということです。
うーほーを信じていたときは、本当にクラウドシップが出まくっていましたが、仮想現実だと分かった途端に出なくなりましたw
「実事求是」という言葉は、事実の実証に基づいた物事の真理を追求させるための煽り言葉だということがわかります。
この言葉の裏には、真理、真実、現実というのを人間全員の共通項目にして強制させようとしている感があります。
そういう場所は、偽世界のBOTである権力者と同じ意見にならない場合は必ず排除されますw
しかし、真実、現実は個人が自分で主観で好きなように決めることなので、絶対に地球上の人間が同じ主観になることはありません。
これも世界観演出のプログラム用語だということです。
こういう言葉が偽世界の争いを生み出しています。
またこれも「中国清朝しんちょうの考証学の学風」とかいっていかにも中国のヒズストーリーが本当にあったことかのように言っていますが、そんな証拠はどこにもありませんw
全部こいつの作り話w
●偽世界の中で生きている間は、自分の顔の前に見えている範囲にない遠くの話は一切ないものとして扱うことがポイント
偽世界の中で生きている間は、そういう自分の今の目の前、顔の前に見えている範囲ではない遠くの話は、一切ないものとして扱って良いということになりますw
本当にないんだからいちいち真に受けたり考える必要がないということですw
考え出すとレンダリングで現実化、物質化されて自分の目の前に出てきて真実だったと自分の主観で思うだけだということです。
しかし、それも自分一人だけがそう思うだけです。全員に平等に証明ができないのがこの世だということです。
だから、「事実の実証に基づいて、物事の真理を追求すること」なんかできないということになります。
「実事求是」は、始めからこの世でできもしないことをやらせる方向に仕向けて煽ってところが大きなポイントですw
●見た目が違うから違う意味に見えるけど同じ意味で表面を装飾しているだけの言葉が多すぎてヤバい
真理とは
1 いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道。真実の道理。「永遠不変の—」「—の探究」
これも偽世界を動かしているプログラムのことです。
さきほどの朱子学の文章で調べた「理」と同じ意味です。
「真理」は、「理」がまことであるということなので、「理」の意味が強調されているだけですw
「理」にエクステを付けて雰囲気を変えたような感じですw
見た目違うけど同じ意味の言葉作り過ぎw
2 哲学で、
㋐思惟と存在あるいは認識と対象との一致。この一致については、いくつかの説がある。
「思惟」とは考えることだそうですw 普通に言ってほしいですねw
これも哲学上での「理」みたいな意味だと思います。
しかし、哲学だからすごいこと、正しいことだと思ったり、真理であると決めつけるのは早すぎます。
学問上は偉人という設定を作ってその人が言ったことにすると権威制洗脳で信じられてしまうのでそうだとは限らないので注意が必要です。
今まで見てきて分かる通り、偽世界には、実は中身が同じ意味で表現だけが違う言葉が腐るほどあります。
そんなにたくさんある言葉の中には、洗脳力を持つ権威制のある言葉か隠されています。
それが裏で洗脳として、支配、服従をさせるように作動しているプログラムだということです。
偽世界の中にあるほとんどの文章は、そっくりそのまま文字通り額縁通りに受け取ったら偽世界の世界観、ナチョス文化、偽世界軸に導かれるようになっていますw
その文章がなぜその言葉を使うのか、選んだのかを見破る必要があるということです。
これは、1つ1つこうやって丁寧に文章を分解して直感で検品していくしかありませんw
㋑プラグマティズムでは、人間生活において有用な結果をもたらす観念をいう。
プラグマティズムとは
実用主義、道具主義、実際主義とも訳される考え方。元々は、「経験不可能な事柄の真理を考えることはできない」という点でイギリス経験論を引き継ぎ、概念や認識をそれがもたらす客観的な結果によって科学的に記述しようとする志向を持つ点で従来のヨーロッパの観念論的哲学と一線を画するアメリカ合衆国の哲学である。
経験していないことは真理だと言わない主義みたいです。
宇宙とか言ったりスピボケして精神論語る前に目に見える数字、結果を出せ!数字を出したら認めてやるという感じでしょうw
数字、評価、結果、実績が全てみたいなナチョス文化的な匂いがします。
3 仏語。真実で永遠不変の理法。真如。
仏&教にもプログラムが隠されているので、理と同じです。
テーゼとは
1 哲学で、定立 (ていりつ) 。
2 政治運動の活動方針となる綱領。
「テーゼ」は「ある観念をまとめて表現・主張する文章」あるいは「ある問題について提出された命題」という意味の言葉です。
「ある物事、問題について立てられた肯定的な判断、命題」という意味です。
よくわかりませんが、何かをまとめた短い文章のことみたいですw 一言で簡潔に表したタイトル、テーマみたいなかんじでしょうかw
テーマに似てるし、ゼじゃなくてテーマでいいじゃんという感じがしますw
細かい意味がわかったところで、今回の本題の一番初めの文章に戻ってどういうことなのかを翻訳しますw
それに対して朱子学は知識の完成のためには実事求是、現実の世界の対象にあたらなければならない、というテーゼが存在し、主体と現実との対立関係が意識されているといえる。
わかりやすくするとこんな感じですw
中国の朱熹という人が作ったということにしている宇宙の本体を理とし、そこから生じる陰陽の気の運行が物を生じるとする思想は、知識の感性のためには事実の実証に基づいて物事の真理を追求しなければならない、現実の世界の対象にあたらなけらばならない、というテーマが存在し、主体と現実との対立関係が意識されているといえる。
この文章が何が言いたいのかというと、
偽世界の中では、宇宙の理、陰陽プログラムや思考、周波数による現実化、物質化の働きがあることは完全に身をもって確認できていますが、まだ偽世界の中でエビデンス付きの文章としての証明ができていません。だから、偉人、学者、博士、著名人のような肩書野郎というこの世の世界観演出を手伝う役者BOTたちのお墨付きをもらうことが出来ません。ヒエラルキー上位にいる権力のある肩書野郎のお墨付きがないと何でもそっくりそのまま文字通り額縁通りに受け取る偽世界の中のマトリックス専用NPCたちは一切信じません。だから、偽世界の中では主体という実際に起きた現象と現実との対立関係がない限り証明ができないということです。と表向きは書いていますが、仮想現実の中でそんなことできるわけねーじゃん、主観がパラレルワールドなんだよ、自分以外の人のパラレルワールドには絶対に入れないし他の人も自分のパラレルワールドに入って来れないから一生証明できません、できるもんならやってみな、高次元のコンピューターの外に出れなきゃ無理だねといえる。
ということを言いたいのでしょうw
始めからこの世では証明が無理だとわかってて実事求是とか言っているので、完全にオチョクッテますw
だから、今目の前、顔の前に見えている範囲、自分が今やっていること、シンプルに言うと今をしっかり生きること以外のことは考える必要もないし、ないものとして扱っていいということになりますw
この続きは次の記事になります。
コメントを投稿するにはログインしてください。