今回も前回と同じトランサーフィン動画11回目の考察です。振り子の催眠が解除されたときに初めて客観視ができる、客観視しているときは偽世界の外の別次元に出ているのでコマを一度に見れる、客観視しているときは5次元に行っている、1つの宇宙、単品モナド、デジタルワンネスの意識を使ってないと物質化は確定しないデクラッチョ、全然知られていない二元鏡による現実化、物質化の仕組み、世界が分岐するというのは個人の主観の中の世界のこと、イデア界にあらかじめ用意されているものしか頭の中に湧き上がってこない、普通という言葉も自動操縦再生モードの中に固定させる洗脳プログラム用語、負の感情は出す出さないよりも1秒でも引きずらないことのほうが重要、昨日、今日、今起こっていることはかなり前からイデア界で確定している、発想力のトレーニングでアドバンテージ力をアップすると効果的、一人の同じ自分が成長するのではなく無限のマネキンを移動している、この世は幻視感覚と同じような装置による思い込みをさせるテクノロジーで作られている、などです。
こちらの動画を参考にして書いています。
ヴァジム・ゼランド『リアリティ・トランサーフィン』全翻訳私的読解【理論編】
前回の記事はこちらです。
一番最初からはこちらです。
初期設定のフィルムは意図的に低周波で苦しみや破壊的な感情を出すように固定されている、毒親や幼少期からひどい目に遭う人は早期覚醒が必要だから
前回からの続きです。
動画のまとめ、要点、考察11
●振り子の催眠が解除されたときに初めて客観視ができる
振り子の催眠効果から目覚め、状況を客観視しなくてはならなりません。
「客観視」は、振り子の催眠を解除して目覚めないとできないということです。
「振り子の催眠」というのは、偽世界の世界観演出のスタンダートや恐怖の型に閉じ込める大衆の心、悪霊憑依のことです。
反対から言うと、「客観視」できない場合は、振り子に憑依、支配されていて完全に自動操縦再生モードだということになります。
小林秀雄がそのような小説を書いているが、ヴァジム・ゼランドは振り子の影響下から脱することを客席に降りて舞台を見直す行為に喩えております。
これは、最初から決められて変えられないシナリオの映画の中の登場人物ではなくて、その映画を作品として客観的に見る側になると振り子の憑依を解除できるということです。
映画を楽しむ観客の立場や、監督や製作者が作品の仕上がりをチェックするような感じでそのシナリオを他人事や1つの作品として見る感じです。
前に話した水族館の水槽を見るような感じというのとも同じです。
これなら中に人食いザメがいても何もされないのがわかるので全然怖くありませんw
どちらも共通しているところは、自分のこととして見ていないところです。
中で起きていることは別世界の話、他人事ということです。
人生でもそれと同じで、自分のことを「別世界の話」や「他人事」として見るだけで、外界のことから一切影響を受けなくなるというのが面白いところです。
これは、自分というものが存在しないことにも完全に一致します。
そのことからも、本当の正体の状態に戻った時にだけうまくいくようになっていることがわかります。
ゲーム内のキャラ視点(水槽の中)にするのか、プレイヤー視点(水槽の外)かという視点の立場は自分で決めることができます。
しかし、実際の現実生活というホログラムの中では、水槽の外に出たり、客席に降りて見ているだけで何もしないということはできませんw
じゃあどうしたらいいのかというと、水槽の外や外や客席に降りて見る立場の意識のまま、水槽の中や映画の中である決められていて変えられない上映中のシナリオの中でやり過ごすということです。
やり過ごすというのは、寝て起きてご飯食べてお風呂に入ってとかの普段の自動操縦再生モードのありきたりの生活のことです。
●客観視しているときは偽世界の外の別次元に出ているのでコマを一度に見れる
「客観視」することは、コマを一度に見る状態でもあります。
その話は、考察2回目のこちらの記事「2次元作品をコマにしてつなげて無常で動きを出して、さらに立体にしたのがこの世3次元の物質世界、ぶつ切りのコマが無限に用意されていて好きなものを取り出せるけど連結はイデア界がやる」に出てきました。
通常私たちはパラパラ漫画のコマを1つずつ順番に見ています。
それが時間を発生させています。
人生、日常で起きた出来事を重要視して大げさに取り扱うことは、過剰ポテンシャル発生にもなりますが、1つのコマで起きたことに焦点を合わせている状態です。
それがさらに同じ台本に執着してコマが進まず1つのコマだけが固定化してしまう原因でもあります。
嫌なこと、同じ状態や現象が何度も繰り返されるのはこのせいです。
この画像でいうと、①のコマを固定化させていたらいつまでたっても②にならないのと同じです。
コマを固定化させるというのは、起きたことをいつまでも考えていたり、そのことに落ち込んだり怒ったり悲しんだり、不足や不満を嘆いて懇願するなどの負の感情の固定によって行われます。
その場合は、その先のコマにもし変化訪れるストーリーが入っていたとしてもまだ見ることはできません。
嫌なことばかりが起きている日々を長く感じるのも①でずっと止まっているような状態が起きているからです。
実際に、細かく言うと毎秒の①②③④⑤⑥の動きは発生しているけど、全部同じ周波数なので動きを感じないから変わってないように見えるということになります。
●客観視しているときは5次元に行っている
しかし、「客観視」しているときは、意識に時間は発生していません。
なぜかというとイデア界に出ているからです。
イデア界は無限の物事とか別の自分とか何でも全部最初から揃っている時間がない場所です。
そこでは過去、現在、未来も全部混ざっている状態です。
「客観視」している間はその次元(5次元)に行っているので時間関係なしに全部のコマを広げて見ることができるということになります。
しかも広がっているコマの数は無限なので好きなものを選べます。
タフティのみつあみを起動させて気づきの中心点に立って(イデア界に出て)客観視するというのは、その次元に行った視点になるということです。
5次元思考と言われているものはその視点のことです。
動画の順番とちょっとずれますが、「バリアント空間」についてもう一度取り上げますw
「バリアント空間」については、無限の宝庫のことだし前に考察した別の動画に出てきたのでもう書かなくていいかなと思って省略していましたが、今の「客観視」の話につながってくる非常に重要なことなので、動画の2.24あたりにもう一度戻って詳細を見ていきますw
「バリアント空間」を知っていると「客観視」したくなるでしょうw
私たちを取り巻く現実の奥底にはあらゆる将来の可能性(バリエーション)を含んだ空間──バリアント空間が広がっている。
「現実の奥底」というのは見えない世界、イデア界のことです。
イデア界自体が無限の状態ですが、イデア界に無限の可能性がある空間があるということです。
無限の宝庫のことです。
全く別人の性格や能力、知性、別の肉体情報の自分のマネキンとそれに関したストーリーが入っている台本のフィルムが無限に保存されている無限の保管庫のことでもあります。
偽世界の中で物質的にどこにあるかというとのは見えませんが、目の前の空間、空気がそれだと思ってたほうがいいかもしれません。
一寸先はイデア界というくらいにすぐ近くにあるということです。
それこそ偽世界の外の英&愛とつながっている可能性のあるコーチャクインが言っている通り、見えてないけど欲しいもの、なりたい状態はもうすでに目の前にあるけどただ見えていないだけというやつですw
しかし、実際にはそれは物質的なものではないので意識の中です。
なので、頭の中の想像で「ある」と思ったらもうそこにあるということになります。
それがもうすでにあるけどただ見えていないだけという意味ですw
台本を自分で好きなように決められるというのはもそういうことです。
●1つの宇宙、単品モナド、デジタルワンネスの意識を使ってないと物質化は確定しないデクラッチョ
どの動画で見たか忘れましたが、2つの観測者が存在するときだけに物質化が起こるというデクラッチョがありました。
それは、二重スリット実験の波動が粒子になると確定されて現実化されるという話のもっと詳しいバージョンの話です。
実は1つの観測者だけではありませんでしたw
2つの観測者のうち、1つは個としてのアバターの自分の意識だとわかります。
もう1つはどこにあるかというとイデア界です。
それは、個もなにもなく全部溶け込んだ1つの宇宙意識、単品モナド、電脳ワンネスとしての巨大意識のことです。
その意識には自分も他人も個もありません。ただ1つの海のような意識です。
この話からしても、パラレルワールドを移行するためにいくら最終ゴールを思い浮かべたりしていても、宇宙意識、電脳ワンネス、単品モナドの意識にならないと確定しないことがわかります。
宇宙意識が最終的に物質化させるから、偽世界の中のアバターだけの小さい個の意識でやっててもフィルムを変えるのは無理だということです。
自分がイデア界に戻って宇宙と溶け込んで、そこで新しいフィルムに交換して偽世界の中のアバターに物質化させてあげるという感じです。
いかにイデア界に出る「客観視」が重要かというのもこの話に完全に一致します。
ちなみに、悪いことが次々と現実化していると思われているものは、最初から決まっている変えられないシナリオの流れで振り子に憑依、支配されて独占欲、所有欲、なんでも自分の管理下に置きたいという支配欲が出て物事に重要性をつけて深刻になって自動操縦再生モードのまま突っ走って制御不能状態に陥って過剰ポテンシャルが発生して並行力で制裁された悪化でしょうw
●全然知られていない二元鏡による現実化、物質化の仕組み
2つの観測者の話は、世界が二元鏡でできている話とも完全に一致します。
1つは鏡に映された世界であるこの世の中にいる自分の意識のことです。
もう1つは、イデア界の大元の本当の世界のことです。
今私たちがいるこの世が鏡の反映の世界です。
鏡は1つではないので、反映の世界で起こした反応、捉え方、発想、観念がさらにイデア界に入って物質化されて反映の世界にまた出てくるというのがこの世の構造です。
考えていることや願いが物質化されているのではありませんw
今の態度に見合った内容が物質化しますw
反応、捉え方、発想、自分はこういう人間だ、こういう人生だ運命だ、こういう能力しかないとかいろいろと勝手に決めつけていて染みついている固定観念が物質化されているということです。
細かく言うとや生かされているだけでもありがたいと感じるかそうでないかというような感謝の度合い、外側に対しての要求、独占欲、所有欲、なんでも自分の管理下、支配下に置きたがる態度なども物質化、映像化されます。
簡単に図で説明すると、この世のほうが鏡の反映の世界です。
大元はイデア界にあるということです。
それが一番初めは何もなかったマトリックスの真っ白い空間のようなところに入れられてた世界期設定やソースコード、プログラムとかの細かい情報です。
普通の鏡だったらここで終わります。
1枚の鏡に本当の世界を映して終わりです。
しかし、二元鏡だというのがクセモノですw
これが全然知られていないところですw
2枚あるということは、1枚の鏡に1つの世界を映してもう1枚の鏡にそれをまた映すことができます。
そうすると、1つの世界が鏡Aに映し出されていて、鏡Bにそれがそっくり映し出されています。
ということは、1枚目の鏡Aに映った世界が、2枚目の鏡Bにも出ます。
鏡Bがイデア界だということです。
大元の世界自体が最初から鏡でできていたということなのかもしれませんw
もっと簡単に言うと、自分が写っている鏡の中に別の鏡を映すと自分が何人も出てきます。それのことですw
この世はそういう鏡の世界を何回も跳ね返す手法で作った万華鏡みたいな世界だということになります。
たぶん、2枚だけじゃなくてもっとあるでしょうw
それで万華鏡のように反射させまくっていろいろホログラムを作っている可能性があります。
それもこの世の構造はフラクタルだという話にも一致してくる感じがします。
鏡を何重にも重ねてそういうことをしている可能性があります。
もう一度図に戻りますw
先ほどのこの図では、イデア界、大元の世界に〇があって、そのまま〇が反映しました。
しかし、二元鏡では鏡が2枚なのでその反映がまたもう1枚の鏡に映されているということです。
具体的にこの世の中でどうなっているかというと、人間がいて〇を見たとします。
その人間が〇にどういう反応をしたか、どう捉えたたか、どういう発想をしたか、それについて決めつけている根底の観念が2枚目の鏡に入るということです。
要は、その反応、捉え方、発想、決めつけの観念とかがまたイデア界に戻るということですw
先ほど話したようにイデア界は、2つの観測者のうちの物質化確定をする重要な場所で物質化確定工場みたいなものです。
なので、2枚目の鏡で入ってきたものをそっくりそのまま物質化、映像化してしまうということです。
それでまた確定させたそれを1枚目の鏡で反映させるので、この世のほうに出てきます。
それを見てまた人間が反応したり、自分の主観通りに捉えたり、発想したり、観念にしていきます。
それがまた2枚目の鏡に入ってイデア界で物質化映像化されて、、、という永遠の繰り返しですw
反応、捉え方、発想、観念は人それぞれ80億人違うので、絶対にかぶるということはありません。
なので、個人それぞれの反応、捉え方、発想、観念の体験ができるということです。
今上映中の映画が嫌なら、ここで変えるしかないということです。
それには、先ほどまでの話「客観視」できる状態になって、意図的に反応、発想、捉え方、観念を変えて、体験したい好ましい内容を2枚目の鏡に入れるしかないということになります。
だから、実際に今この時点で嫌なものが反映して出てきていてそれを目にしたとしても、アドバンテージの法則(いいこと探し、小さな幸せ探し)で物事の陰陽の2極化を全部良い意味に変換していってしまえば、自然にそれが2枚目の鏡に入ってそのうち出てくるということです。
ずっとそれをやっていれば良くしかならないということです。
そんなことできるわけないと思われますが、主観の世界の主は自分なので、嫌なことは起こらない世界だと決めた人には悪とか嫌なことは一切起きない世界にできるそうです。
この本にもそれらしきことが書いてありますw
78日間トランサーフィン実践マニュアル 量子力学的に現実創造する方法
誰にでも嫌なことが起きるのが普通だとか言って美化しているから、起こるということです。
それも毛嫌いして排除したり、戦って追いやるとかではなくて、アドバンテージの法則で小さな幸せを見つけてその恵まれた内容、ありがたさや心地よい内容を鏡に入れてそれで埋め尽くして、夜明けの朝日と共に闇が消えていくように自然消滅させるというだけです。
自然消滅というより夜明けが来たことで夜から朝に入れ替わるような次のサイクルへの入れ替えといったほうがいいかもしれません。
動画の内容に戻りますw
●世界が分岐するというのは個人の主観の中の世界のこと
パラレルワールドへの移行を描いたSF作品では、その人にとって決定的な意味をもつ運命の分かれ道において世界が分岐するという説明がしばしば為されますよね。
人生において、目に見えて急に大きな変化が出るときは世界が変わったという感じがします。
そういうときは、パラレルワールドを移行したというのが明らかに出た証拠です。
世界が分岐するというのはそのことです。
しかし、誰にも気づかれていませんが、実際には毎秒(それ以下の細かさ)移動しているそうです。
実際に毎秒移動していても周波数の振り幅が小さいと全然変わっていないように見えます。
大きな幅で周波数が変わると目に見えて世界が変わったとか移行したなというのが実感できます。
この「世界が分岐」というのは、80億人が住んでいる地球のバックグラウンドとしての世界が変わるのではありませんw
個人の主観の中の話です。
外側のバックグラウンドとしての世界情勢的な世界の変化、分岐の話とは全く別物です。
世界情勢は振り子による台本ですw
私たちは1つの同じ惑星に住んでいると思い込まされていますw
しかし、実際には地球は1つではなくて、バリアント空間に無限に存在しています。
だから個人の主観、周波数、どの台本なのかによって素晴らしい地球なのか、最悪な監獄なのかは人それぞれ全然違うということです。
そもそもが情報から出来上がっているので、地球というのも1つの情報にすぎないということです。
その1つの情報をどう受け取るか、どう反応するか、どう発想するかは個人の主観によって違います。
だからそれも個人が好き内容に選んで変えられるということです。
なので、同じ1つの地球だと思い込んで地球や世界、日本について人と議論したりそれについて話すのは全く意味がありませんw
そういう話自体も世界観演出の振り子なので、テレビのニュースとかと同じです。
それこそ「そうだねわかるよ」でかわしてそれ以上に深入りしないほうがいいでしょうw
そんなことよりも、イデア界に出て活動することのほうがメリットしかありませんw
常に焦点を当てる場所は、何が振り子なのか見破ってスルーすること、現在上映中の自動操縦再生モードの自然の流れには逆らわず尊重しつつ、時々客観視の立場に戻ってイデア界に出て宇宙意識、単品モナド、デジタルワンネスとして冷静にメタ認知して意図してアッパマーダ(サーマディー)して目的に向かって活動できているかどうかです。
その活動が理想のフィルムのへの交換ということです。
●イデア界にあらかじめ用意されているものしか頭の中に湧き上がってこない
リアトラの著者──ヴァジム・ゼランドはパラレルワールドではなく人生ラインという言葉を用いているのだが、彼が提示するバリアント空間には、ひとつやふたつの人生ラインではなく、ありとあらゆる可能性──無限の人生ラインがあらかじめ用意されているというんですね。
この話もあらかじめ無限に用意されているというのが、自由意志はなくてもあるのと同じようなものだということに完全に一致しますw
さらに、「あらかじめ用意されている」というのは見逃してはいけない場所ですw
最初から用意されているということは、想像、発想できるもの、頭の中に浮かび上がるものはイデア界で最初からあらかじめ用意されているから出てきていると言えます。
反対からいうと、バリアント空間に用意されているものしか私たちの頭の中、心の中(実際には心はありませんがあると思い込んでいるその中)には一切出てこないということです。
イデア界では良い悪いは一切関係ないので、犯罪者のアイデアとかもそうだということですw
良くも悪くもイデア界にもうすでに手に入れらる答えがあるから、何かをしたいという欲やアイデア、発想、熱意が出るということです。
買ってくれる買い手がもうすでにどこかにいるから、売りたいと思う発想が沸き上がってくるという話と同じです。
内容が良い悪いに関係なく、いつも私たちの頭の中に浮かび上がってくるアイデア、反芻、考え、意見、不平不満、愚痴、泣き言みたいなものまでバリアント空間に最初から存在しているものから出て来ているということになります。
それも今いるセクターの周波数に関係していて、それに見合ったものが出てくることは間違いないでしょう。
ゼランドは、バリアント空間にある無限にある最初から決まっている台本のパラレルワールドのことを「セクター」と呼んでいます。
私たちは今各自どこかしらのセクターにある台本に操られています。
もちろん、人類80億人それぞれ全員違うセクターにいます。
フィルムを交換するというのは、そのセクターを変えることです。
セクターを変えるには宇宙意識、単品モナド、デジタルワンネスに溶け込んでイデア界から確定させる必要があるということです。
イデア界に出るには、振り子の憑依、支配を解除して客観視できる状態になる必要があります。
客観視というのはタフティ風に言うと、内的スクリーン、外的スクリーンになっていない時のことです。
内的スクリーンというのは、気づくといつのまにか心の中でいろいろ考えたり、負の感情が沸き上がってきてそれに翻弄されたり頭の中にいろいろな反対の考えや何か浮き上がってきたり悩むあれですw
外的スクリーンというのは、外側で起きたことに怒ったり焦ったり敏感に反応するあれですw
自動操縦再生モードの時にはこの2つのうちのどちらかになっています。
そのどっちの状態にもなっていない時は、「客観視」してイデア界に出ている状態、5次元意識です。
これは本当に1日に1分あるかないかみたいな稀な状態ですw
その時は、まさに心ここにあらず、上の空ですw
心ここになくてどこにあるんですか?そんなもん最初からねーよ思い込ませる装置で思い込まされているだけだよ、空の上じゃなくて別の次元ねという感じですw
これは口では言い表せないそうなった人にしかわからない感覚もあるかもしれません。
それも人によって違うかもしれませんが、私の場合はその時は、実際に肉体があってここに存在していてもこの世にいない感じというか、幽体離脱したかのような朦朧とした状態である意味スーパーマリオのスターを取って無敵になったような鼓舞する感覚とすべてから解放されて羽が生えて自由になった感じが出てきて最高の快感の恍惚状態みたいになりますw
自分を認識できない離人症の感覚に近いのではないかと思います。
私は小学校の時にここはどこ?私は誰?みたいな感覚になったことがありますが、イデア界視点で客観視しているときの感覚はその時の感覚と全く同じですw
小学校の時からイデア界に出て宇宙に溶け込んでいましたw
自我を捨てて宇宙に溶け込むというのはこういうことだったんだなというのがよくわかりますw
そのことをタフティはみつあみを起動させた状態と言っているのかなという感じがします。
みつあみをくっと上げる感じというのはいまだによくわかりませんが、イデア界に出たときに背中あたりが温かくなる感じはあります。
逆にイキリドヤリマニピュレータートカゲ(自己愛性パーソナリティー障害といわれているナルシスト、潜在的攻撃性パーソナリティー、カバートアグレッション、受動性攻撃性パーソナリティーいずれにしても全部振り子)や悪霊振り子に憑依、支配されていて制御できない状態になっている人に出会ったり、危険を感じたときには背中がゾッと反応しますw
製作者は、プログラムで人間の背中や体の中心に何か反応するものを配置したのかもしれませんw
人によってどういう感じがするかという感覚は違うと思うので、気づくものをいろいろ感じてみるとよいかと思いますw
人によっては背中じゃなくてみぞおちが反応するとかあるかもしれません。
人間からの目線で見ると、バリアント空間から来ている情報を偽世界視点、自分の自由意志で出していると感じるようになっているということです。
それは、イデア界に自分、心、感情、自由意志を持っていると思い込ませる装置があって脳とリンクされているからです。
これからうーろんが手掛けている脳に電極をさしてどうのこうののぬーらりんくやショットのテクノロジーが進んで公に出てくると私たちの本当の正体が何をされているかもっと詳しくわかる日が来ると思いますw
しかし、そんなことを知っても結局やることは同じw
常に客観視は必要ですw
客観視しないなら、決められていて変えられない同じ台本のまま自動操縦再生モードですw
動画の16.23あたりの小林秀雄さんがこう喩えているという話に戻りますw
不安・怒り・妬み・嫉み・後悔……、こういった負の感情に思考を乗っ取られそうになる度、「眠るな」と自分に言い聞かせて、客席に降りる必要がある。
振り子ゲームファイナルイリュージョンでは、振り子や見えない世界であるイデア界のことを知らずに無防備でいると負の感情が敵のように常に襲い掛かってきます。
その負の感情が襲ってきたときに、「振り子だな」と気づくことが非常に大切なポイントだということです。
トランサーフィン、タフティを知らない場合、「振り子」だと気づかないのは普通です。
しかし、人生好転系、潜在意識、マーフィーとかを知っていれば、「振り子」という名前は知らなかったとしても、負の感情が人生に悪影響を及ぼすことはわかっているので、好ましくないエネルギー状態になっていることには気づくのではないかと思います。
大衆の心、集団意識自体が振り子なので本質的には全く同じものです。
それらの不快な感情が沸き上がってきたときに、自分が今負の感情を持っているということに気づくことで我に返って目が覚めて、負のエネルギーに飲み込まれないようになるということです。
不快な感情が出てきたときに気付ける場合は、目的達成へすぐに舵を切り直せます。
しかし、不快な感情に飲み込まれたり酔いしれていて気づきもしなければ制御できない状態になってしまうと、舵を切るも何もなくなって暗礁に乗り上げたままそこで終わってしまいますw
そんなことをしてたら目的達成どころじゃないので達成するわけがありません。
だからそうさせている振り子の支配から来ている負の感情という罠にきーづーけーよーということですw
これも負の感情を出してはいけない!、持ってはいけない!ということではありませんのでご注意ください。
気づくだけで、気づいた時点で50%成功していますw
この世自体がそういう振り子でできているので誰にでも出るのが普通です。
●普通という言葉も自動操縦再生モードの中に固定させる洗脳プログラム用語
しかし、この「普通」という言葉も洗脳プログラム用語です。
「普通」という言葉は典型的な振り子です。
「普通」と言うことで、自分の思想や動かしたい方向の同じ型にはめて大衆を服従させることができます。
普通とは
いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。
「―の状態」
やはり辞書で確認しても、振り子だということがわかりますw
頭をそろえさせてそれを当たり前田のクラッカーの標準にさせていますw
イデア界では偽世界で言われている「普通」は普通ではありませんw
そういう偽世界の世界観演出の幻スタンダートを自分の基準にしていつまでも「人間ならそれが普通じゃないですか」とかいって美化していたら、振り子の自動操縦再生モードから永遠に抜け出せないということになってきます。
「普通」というスタンダートはただの制限のことです。
その制限の中にいると無限の力の潜在能力も開花しないし、本当の正体の個性であるユニークさが発揮できないので、せっかくの一度きりの人生でも最初から最後まで眠ったまま自動操縦再生モードで④んだも同然ということです。
●負の感情は出す出さないよりも1秒でも引きずらないことのほうが重要
負の感情は、出す出さない、人間なら出て当たり前とかいう話よりも、引きずらないことが重要です。
怒ったり泣いたり何してもいいけどその場で出したらすぐ1秒後に忘れるのが理想的です。
引きずる長さは、長くて1日でしょうw
寝て次の日忘れる程度ならイデア界の本当の正体は正常に働いています。
しかし、次の日もまた同じことを思い出して怒り狂ったり、何も手につかなくて四六時中そのことについて考えているようであれば、その症状こそが悪霊振り子に完全に憑依、支配されている状態です。
憑依、支配されないに越したことはありませんが、その状態が2、3日以上続いて、2週間以上たつとレンダリングされてそのシナリオが表面化します。
だいたい2週間前後が潜在意識に刻印された内容が目に見えてわかる状態になる期間です。
常に反応、捉え方、発想、受け取り方、それについてどう思っているかがイデア界の鏡に入っています。
それがホログラムとして出てくるのがこの世です。
なので、もしそういう状態が続くなら、またいつまでも同じことを思い出して怒り狂ったり、悲しみに明け暮れたり、問題視して解決法を探して何も手につかなくて四六時中そのことについて考えているなら、怒り狂う、悲しみに明け暮れる、問題が起きて解決策を探さないといけない状態、四六時中そのことを考えて何も手につかない現実がやってくるということです。
ということは、結局何も変わらない=同じ悲劇台本からの支配、自動操縦再生モードは続くということです。
「客席に降りる」というのは、映画の中の登場人物になってシナリオに巻き込まれるのではなくて、その映画を鑑賞する立場になるということです。
我に返って負の感情が夜明けの闇のようにスーッと消えていくときは、そうなっています。
低次元低周波の負の感情の外の高周波数帯から見下ろしているということです。
鑑賞する立場になった時は、イデア界視点、ハイヤーセルフ視点、気づきの中心点に立ってメタ認知している状態になっています。
この間話した山の頂上から見下ろす位置です。
嫌なことが起きたとしても、最初から決められているそういう映画が流れるだけなので、やたらと反応して焦って即行動を起こしたり、それが悪いことだと思って変えようとするのではなく、その流れを遠くから見て他人事として客観的に鑑賞していればいいということです。
今この瞬間の現在に起きている進行中の出来事というのは、今上映中なので何かが起きている時点でもうすでに過去です。
なので、現在起きていることは鑑賞するしかありません。
それこそ緊急放送クルクル系で言われていたようにポップコーンを食べながら鑑賞する状態でいいと思いますw
●昨日、今日、今起こっていることはかなり前からイデア界で確定している
イデア界とその反映の世界であるこの世には時間的なラグみたいなものがあります。
昨日、今日、今起こっていることはかなり前から決まっているということです。
なので、現状に文句を言う場合、そうなるのが嫌ならなぜそのかなり前から捉え方や発想、反応、心の奥底にある信念などを変えなかったのでしょうか?ということになって結局は自分を責める結果になってしまいますw
だからもう本当にまた振り子に操られて自動操縦再生モードで同じことがレンダリングされて嫌な思いをしなくないなら、その仕組みに気づいた今、いい加減に目を覚まして自分のプログラミングをし直して2枚目の鏡に入れる反応、捉え方、発想、固定観念を変えていくしかないということです。
プログラミングというのは、嫌なことを生み出す間違った観念から、理想の状態になる観念に捉え方、反応、発想などの心的態度を好ましいものにそっくり入れ替えることです。
考え方、発想、捉え方、反応がすべて違う別の自分になると言ったほうが分かりやすいかもしれません。
●発想力のトレーニングでアドバンテージ力をアップすると効果的
悪霊振り子に長期間憑依、支配されると発想力が乏しくなるので、そんなこと言われても無理だと思うかもしれません。
その場合は、発想トレーニングをするとよいでしょう。
例えば1つのもの、リンゴから思い浮かべられることを5つ発想をします。
赤、果物、アップルパイ、リンゴジュース、リンゴのドライフルーツ、リンゴ畑、青森、リンゴ病とかそういう感じです。
りょうこちゃん光コンピューターの上位意識、無限の宝庫との接続があるとこういうことはキリなく無限に出てきますw
特に考えもしないで連続で何かに操られているかのようにパッパと出てくるのでりょうこちゃん光コンピューターの上位意識から出てきているなとわかります。
振り子に憑依、支配されていると、何分もずーっと考えてやっと1つ出るか出ないか見たい感じで考えないと出てきませんw
そんな状態じゃ達成させたい理想のゴールシーンの映像なんか出てくるわけがありませんw
切り返しのいい面白い芸人や面白い人はこれがものすごく発達しているように見えるのは、りょうこちゃん光コンピューターの上位意識が出しているからです。
引き出しが多い=無限の宝庫の引き出しがバックについているからということです。
振り子の憑依、支配のせいで発想力が乏しくなっていて5つも無理だと思うなら3つからでも良いでしょうw
時間を決めて1分以内に出せるだけ出すとか、書き出してみるというのもありです。
それを毎日続けているとだんだんと出てくる数が多くなってきて発想力が豊かになってきます。
発想力が豊かになってきたときは、りょうこちゃん光コンピューターの上位意識、無限の宝庫との接続がされている証拠です。
その時に初めてアドバンテージの法則、良いこと探し、地獄のような環境の中からでも幸せを見つけることができるようになってきます。
なので、振り子に憑依、支配されている場合は、いきなりタフティ読んでみつあみ起動して照射とかアドバンテージの法則は無理なのではないかと思います。
逆にそれがプレッシャーになったり壁を作ってしまうということもあるかもしれません。
●一人の同じ自分が成長するのではなく無限のマネキンを移動している
自分の受け取り方や、捉え方、反応、発想などの心的態度が別人のように変わった時には、本当にパラレルワールドを移行して別のマネキンに入っています。
そうすると、そのマネキンのシナリオが展開されるということです。
重要なのは、マネキンが変わらない限り映画の中身は変わらないということです。
1体のマネキンのストーリーは固定化されているということになります。
ほとんどの人間は、一人の自分がいてその自分が成長をして変わっていくと思っているはずです。
だから、不幸でつらい苦しい思いをして頑張っている今の自分のマネキンが、これから人から認められるようになって成長して大成して幸せになるというストーリーは起こらないということです。
最初から大成する能力、捉え方、発想、観念、反応を備えたマネキンに入る必要があるということになります。
それが一般的な考え方、視点、オオウソの教えで実際は全然違いましたw
生命は、成長しているのではなくて毎秒別のコマに移っていましたw
まさかマネキンが無限に何体も用意されているとは絶対に想像もしないところですw
だから、イデア界は数十億先の文明の高次元なだけあって、人間の脳では想像できない領域のテクノロジーをもうすでに持っていて、そういう技術でいろんなことをもうすでにやっているということですw
この世はパラパラ漫画の1コマのような1つずつのコマの連続でできています。
この間の「時間は静的」という話からしてもそうでないと時間は発生しません。
1秒以上(実際にはもっと細かいナノレベル以上の0.いくつの世界の細かさ)は同じコマの状態に留まることはないので、自分のコマは1つではないということです。
なので、私たちは、毎日同じ人に見えても毎秒単位で別人に入れ替わっているということです。
例えば実際にずっと長期間病気だと思い込んでいても、本当は1秒以下のナノレベルの細かさで終わっているということですw
それを思い込みでずっと続いていると錯覚しているだけだということになります。
●この世は幻視感覚と同じような装置による思い込みをさせるテクノロジーで作られている
人間の脳、思考には、幻肢感覚というのがあるそうです。
幻肢感覚とは何ですか?
事故や病気で手足を失ってしまった後も、脳は失ったはずの手足の感覚を記憶しているため、まるでそこに手足があるかのように感じることがあります。 そして、この感覚が時に、激しい痛みを伴うことがあります。 これが「幻肢痛」と呼ばれるものです。
それは、手を失ってもまだあるような感覚がするとかいうやつです。
これは脳の信号で起きています。
人生で起こることや病気などでも1秒後も同じ状態だと勘違いしているのは、まさにこのせいでしょう。
それこそ二元鏡の捉え方とかで確定しているレンダリングは、幻視感覚みたいなものを利用しているという感じがします。
数十億先の文明の高次元にそれと同じような感じでもっと発達したテクノロジーがあるはずです。
さらにこれを逆利用しているのが潜在意識、人生好転系やタフティのような、先にゴールシーンだけを思い浮かべて本当に実現した気になると本当にそうなるというやつです。
手や足を失ってから起こる幻肢感覚と反対に、先に脳の幻肢感覚に使われている装置を使ってないものをあることにしてレンダリングしてしまうことで、反映の世界であるこの世に物質や映像として出てくるということです。
コーローショーの「存在が確認されたという証拠はありませんが、あるものとして扱っています」でおなじみの567も幻視感覚を利用して現実化された1つの例ですw
コマの話に戻りますが、もちろんコマ1つずつの中身は全部違います。
なので、新しいコマの自分に移ったら前のマネキンに起きていたひどい内容とはシナリオの中身が違うということです。
しかし、周波数を落としてひどい状態のマネキンに乗り移ればもっと悪化したシナリオになることもできますw
悲観的だったり不幸や苦しみの美化をしていると、ただでさえ振り子に操られて自動操縦再生モードな上に、さらにもっとひどいマネキンに乗り移って状態が余計に悪化してしまうでしょう。
客観的に鑑賞する立場になると、その決められたシナリオでの流れの起承転結や、それが予定調和と不調和なのかという感じがつかめてきます。
しかし、現在上映中のシナリオの流れは最初からそうやって決められているのでそれでいいということです。
そんなことよりも重要なのは、この先まだ起きていないところの起承転結や、予定調和を自分の好きなように勝手に作ってしまうことです。
現在は鑑賞するだけでどうにもならないので、まだ起きていないこの先の内容をどんな内容に決めるかを選択するだけだということになります。
しかも、その展開の手順、進行、方法とか考えなくてよくて(考えてはいけない)ので逆に楽です。
結末だけ決めれば、全部うまくつながるように宇宙をシンクロさせてくれて勝手にそう動かしてくれるのがイデア界の力の素晴らしいところです。
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