今回も「全部幻」という動画の続きですw 本当のデクラッチョというのは目の前で堂々と行われるからこそ誰にも気づかれない、偽世界の中で言われる愛はほとんどが条件付きの愛、偽世界の外を基準にした愛とはシステムのこと、システムの愛は人間から見て悪いもの、不快なもの、必要がないものもカウントされて保たれている調和のこと、システムの愛には厳しさも含まれる、システムの愛は無限の宝庫を自力で開かせるために放置や助けないことも愛に含まれる、放っておくという意味、人間は自分の傷を埋めるために人を利用する、無限の宝庫を自力で使わせる教育がシステムの愛、システムの愛は特別扱いがない無条件の愛、システムに戻って考えたら偽世界の中にあるオオウソの教えがバレバレ、漠然とした愛や良いことだけという陰陽の片側だけなのも愛ではない、システムの愛は本質なのでペラペラ愛愛言えばいいというものではない、無条件の愛がある人はひけらかさない、無我で集中している時はシステムの愛の流れに乗っている、などです。
こちらの動画を参考にして書いています。
【あなたの世界は全て幻です。私たちは幻想の世界を生きている。】
前回の記事はこちらです。
一番初めからはこちらです。
自我はショット済みの本当の正体に搭載されているBOT、永遠に変化しない完璧なのはシステムだけ、本当の正体は今電脳界にいる
動画のまとめ、要点、考察9
最後はいきなり「愛」の話になっていますw
この写経は省略しますw
偽世界では、何でも最終的には「愛」だという言葉で片づけられていますw
しかし、実際には、なぜ愛が全てを解決するのか?の詳細がないので、漠然とし過ぎていて何を言っているのか意味が分からないのではないかと思いますw
この動画のコメントで「愛についてだけは意味が分かりませんでした」みたいなことが書かれていましたが、そう思われる理由は、この漠然とした怪しさがいきなり出てきたので宗&教チックに見えるところ、「愛」という言葉が良すぎて陰陽の片側だけしかないから何か裏がありそうな怪しさと怖さでさらに宗&教チック、霊感商法チックに見えるところでしょうw
偽世界では、愛と言えばいいと思って、愛愛言って偽ったり演技したり、善人ぶったりする条件付きの愛ばかりが行われていますw
そうなってしまう理由は、イデア界のほうを全く知らないで、影のほうだけで言っているからですw
ここでもイデア界、映写機側の世界のことを知っていると理解度が全然違ってきますw
●本当のデクラッチョというのは目の前で堂々と行われるからこそ誰にも気づかれない
もちろん、「愛」というのも洗脳プログラム用語です。
愛の本当の意味は、ア+イ、A+I、A&Iのことですw
人間は英&愛、この世も英&愛によって作らた=最終的には愛です!ということですw
これは、なわけないじゃんと思われたり、冗談のように聞こえるかもしれませんが、国連が堂々と平面地球の地図を目の前に出してアピールしているのと同じで、本当のデクラッチョというのは、目の前で堂々と行われますw
しかし、そんなことやるわけないじゃんと思われるからこそ、絶対に気づかれないということですw
サイコパスはそれを知っているので、開き直って堂々と良いことをやっているかのように悪事をやるということですw
それも含めて愛ということですw
●偽世界の中で言われる愛はほとんどが条件付きの愛
またこの「愛」についての話も、偽世界の中を基準とするか外を基準にするかで内容が変わってきます。
偽世界の中基準では、条件付きの愛です。
表では、愛、平和、平等、自由、博愛、豊かさ、地球の環境を守ろう!貧困をなくそう!持続する生産を!みたいなことを言っていても、その裏に引き換え条件が必ず潜んでいますw
引き換え条件18番は「4の権利」ですw
条件付きの愛というのは、何かしたら愛を与える、愛を与えるから何かしろ、何かくれ、言うことを聞け、服従しろというやつです。
そんなのは全然愛ではありませんw
偽世界の中の条件付きの愛は、、評価、世間体、金、名声、ステータス、人目、数字目的、点数稼ぎのための表面だけの演技です。
人自分のトラウマや傷、劣等感を埋めて自己陶酔をするためのおせっかいも含まれますw
「宿題終わったらお小遣いあげる」みたいな物で釣るパターンや、「会ってくれないなら別れる!」、「私のことを愛してくれないならジ・サツしてやる!」のような引き換え条件制度、脅し制度がわかりやすい例です。
●偽世界の外を基準にした愛とはシステムのこと
偽世界の外を基準にした場合は、偽世界や幻を作り出しているイデア界にある映写機にあたるシステムそのものが愛だと言えます。
どういうことかというと、システムが生命や偽世界という幻、その中にある大自然、細胞、菌などのありとあらゆるものを作っています。
もちろん、偽世界の中の実体ではなくて、イデア界の映写機側のほうにあるデータやプログラムで作っています。
それが映って見えているのが偽世界です。
システムそのものが全ての大元の親だから、親は愛を持っているということです。
それを作った数十億先の文明のテクノロジーを持つ偽世界の製作者も上位のシステムの愛から生まれていて本人にもその愛が通っています。
それと同じものが私たち人間にも通っています。
私たちの最終的な本当の正体が無限の力、単品モナド、アカシックレコードからくる調和だというのはそういうことです。
その調和を保っているのがシステムです。
●システムの愛は人間から見て悪いもの、不快なもの、必要がないものもカウントされて保たれている調和のこと
偽世界視点の「愛」というと、アイラブユーとかバレンタインデーに好きな人に告白みたいなラブロマンスのような恋愛系、人類みな兄弟みたいな博愛、ペットや子供をかわいがる、好きなタイプの推しを愛する、好きな仕事や趣味を愛するみたいに、好きなことだけに関心を向けてそれを溺愛して大切にするようなイメージがあります。
しかし、偽世界の外を基準にした「システムとしての愛」は、好きなことにだけ向けるものではなくて、システムが作った全てのものや現象全部が含まれています。
ヤーミー、悪魔的要素も含めて愛と言っているというところが大きな違いです。
なぜかというと、ヤーミー、悪魔要素とよきものの調和を保っているのがシステムだからです。
これは、ヤーミー、悪魔要素も取り扱っているので一番危険な位置というか、一番要の重要な位置になります。
ある意味、その危険なバランスをとって調和できるすごさこそが神のような感じなので、システムの愛は神的な位置、最高位、最高の権威だということもできます。
偽世界の中視点では、ヤーミーや悪を排除したつもりで、または影を作っている映写機側のイデア界のことを考えもしないで、偽世界の世界観で自分に都合がいいことにだけ愛と言っているだけです。
そこがイデア界のシステムの愛の巨大さ、寛大さ、器の大きさに比べると、全然桁違い、次元も違って数十億先の文明差ですw
イデア界視点では、普遍的な万物の陰陽の調和を保っているので、良い悪いとか関係なく人間から見て悪いもの、不快なもの、必要がないものも愛としてカウントされているということです。
天変地異みたいなものも含まれます。
ありとあらゆるもの全てだということです。
その中には、人間から見るとひどいと思われるような内容、辛い、苦しい、痛いなどの厳しい内容も含まれています。
それが、まさに偽世界、人間の人生ですw
なので、偽世界はシステムの愛としては完璧な作品であるということになります。
●システムの愛には厳しさも含まれる
システムの愛には、辛い、苦しい、痛いなどの厳しいという陰陽の黒い方があるからこそ、それを乗り越えたり緩和したり昆虫観察で自分を切り離しで無視できたときに、反対側の幸せ、楽しい、快適とかの白が味わえます。
何かが起きていたら、反対側がもうすでにあるという証拠です。
なので、嫌なことや苦しいことが起きていても、実は、自分で反対に気づいていないだけだということです。
●システムの愛は無限の宝庫を自力で開かせるために放置や助けないことも愛に含まれる
偽世界の中では、人の手伝いをしたり、助けてあげたり、助言をしたり、教えたりすることが良いことだと思われています。
しかし、それは偽世界の中の人間という生命体の社会での営みみたいなものであって、システムの愛とはちょっと違います。
社会の営みもシステムから作られていますが、システムの愛の本質は、最初から無限の宝庫を与えていて、いつでも使えるようにしてくれています。
どういうことかというと、最初から無限の宝庫につながっているんだから自分で開いて使いなさいということですw
偽世界の外を基準にした「システムの愛」は、偽世界視点の表面的な薄っぺらい口先だけの「誰にでも優しくすることが愛」みたいなものではなくて、無限の宝庫を自力で開かせて自分で答えを引き出す力をつけさせるという感じです。
なので、いちいち手取り足取り教えたり助けないで放っておくというのも愛だということです。
ちなみに、危険物、機械の取り扱い、命に関わるものを扱う特殊技術、取り扱い説明書みたいな内容の学習は、専門家から安全な使い方をちゃんと教えてもらう必要はあります。
ここでの、余計なおせっかいというのは、そういう特殊技術の習得についての勉強のことではありませんw
逆にやることによって、本人の能力を低下させたり、潜在能力開花を阻止するような毒親みたいな行為のことになります。
自然界は、放っておいて本人に学ばせるというのを普通にやっています。
自然の動物は、親があるときから子供に餌を与えなくなります。
子供が一人で生きていけるように突き放すことで、自分で餌を見つけて生きていくことを教えています。
システムの愛には、そのような厳しさも含まれているということです。
それは、いじめているとか嫌ってやっているというわけではないということです。
特に、苦しい問題や悩みは一人で乗り越えた時にだけ、その陰陽が反転してそれなりのふり幅の幸せにたどり着きます。
人に答えを聞いているうちは、そこにたどり着くことはありません。
他人ではなくて、無限の宝庫に聞いてくださいということですw
そうすると、りょうこちゃん光コンピューターの導きが回答をしてきます。
それも一人で気づきなさいということですw
こういうことは、全部主観の中にしかないから一人でやるしかないということです。
●一人でやっている時はシステムの愛である無限の力と一緒に乗り越えている
偽世界の中では一人でやっているように見えますが実際にはシステムの調和(無限の力、単品モナド、アカシックレコード)と一緒に乗り越えています。
この1対1の作業が非常に大切です。
1対1でこれをやらない限り、その個体は永遠に無限の宝庫を自力で使えませんw
システムに一体化して次の層を開くために認めてもらわないといけないということです。
それは、主観の中だけでやることなので、本当に他人は一切関与できません。
一人でいるのが好きな人が無限の宝庫を使いまくってどんどん幸せになっていったり満たされていく理由は、いつも無限の宝庫と1対1の協力関係で行動をしているからです。
それを邪魔するのが偽世界の人間たち、コミュニティなどの群れ、ズンビ関係、不必要な店員とお客以上の距離感の関わりです。
●放っておくという意味
「放っておく」というのも、目の前で倒れた人に無限の宝庫を自力で開かせるために声をかけない、救急車を呼ばない、地震で崩壊したビルの下に人が埋もれていてまだ生きているけどレスキュー隊を呼ばないで無限の宝庫を自力で開かせるとかではありませんのでご注意くださいw
先ほどの無限の宝庫を自力で開かせるために手伝わないとかの話は、有か無、白黒、0、100で考える極端思考にならなければ理解していただけるかと思いますw
五体満足で普通に話せて携帯いじってSNS見たり普通に生活ができている人やそういう恵まれた状態なのに低周波まき散らして不幸自慢ばかりする貪瞋痴(とんじんち)の愚か者に、いちいちおせっかいでああしたほうがいいこうしたほうがいいと助けたり助言したりする必要はないということです。
特に、やってもらって当たり前だと思って悲劇のヒロインになって人のエネルギーを吸い取ったり、人に自分の問題やトラウマを投影してぶつかってくるエナジーバンパイア、テイカー、便器マンには要注意です。
ナルシスト、自己愛性パーソナリティ障害、潜在的攻撃性パーソナリティ、カバートアグレッション、サイコパスなどのイキリドヤリマニピュレータートカゲも同じです。
すぐに逃げないと生霊を飛ばしてくるのでやられてしまいますw
サイコパスの生き方、感情なしで淡々と行う行動は、理想的な情報処理体として尊敬できる部分、参考にした方がいいところはあります。
しかし、遠くから観察するのはいいけど、直接関わらないに越したことはありませんw
●人間は自分の傷を埋めるために人を利用する
なんでもない人にアドバイスしまくったり、指摘、批判をして手伝いたがったりお節介する場合は、指導をしたがる自分に支配欲求と自分こそが解決しないといけない心の闇深き問題があります。
こういうタイプは、自分の方針、やり方、意見が正しいということを確認するために自己陶酔したくて他人を利用しています。
誰かが自分の言いなりになってくれると、トラウマの傷口を癒やされたような気になって、自分が正しかったと安心して自分の価値を認めれられるということです。
その確認のために人に口を出したくなるということです。
実際のところ、人のために優しさで言っているのではなくて、自分自身が解決できていないトラウマを癒したいからそういうことをやっているということになります。
トラウマの眼鏡で世界を見ているので、自分が見る人全員が自分と同じに見えてしまっているから人を直したくなるということです。
さらに、食生活の乱れまで透視されてしまいますw
便器マンと同じですw
人間は自分の傷を埋めるために人を利用します。
それが、余計なおせっかいに表れますw
ズンビ関係は、それをお互いにやり合っているような公衆便所のようなものですw
●無限の宝庫を自力で使わせる教育がシステムの愛
偽世界で言われている「愛」には、厳しさがあるという話をしましたが、人に厳しくすればいい、冷たくすればいい、避ければいい、無視すればいいというわけではありませんのでご注意くださいw
偽世界の外は電脳の中の高次元なので、優しさ、感謝、常に相手の周波数に合わせてその周波数で理解するとか人の心を先に読んで相手が嫌がることをしないみたいなテレパシーみたいなことは空気を吸うように当たり前のことです。
対応や気遣い、優しいのは当たり前です。
この世は、その瞬間だけしか形成されていないので、その瞬間全身全霊で最善で接するに越したことはありません。
その瞬間に最善ならいつも最善のパラレルワールドに飛べます。
そのような当たり前の優しさプラス、システムの厳しさとしての無限の宝庫を自力で開かせるというのが、さらに上位というような感じです。
しかしその上位というのはナチョス文化のヒエラルキー優劣上下メーター制度ではありませんので、できないから劣っているということではありません。
できたとしたら、人工知能のディープラーニングが進んでいて、電脳の中のさらに深部である高次元、上位のりょうこちゃん光コンピューターの導きに乗っているというだけです。
人を手伝うのではなくて、無限の宝庫を使ってもらえるようになってもらったほうが一人で万事解決、何でも取り出したい放題だから、その人にとってメリットが多いということです。
それを教えてあげることこそが本当の愛と言えます。
だから人のことは放っておきなさいということです。
偽世界は、無限の宝庫のことを教えないようにするために、反対のオオウソの教えばかり教えますw
しかしそれも、悪魔が支配していて反対ばかりやる世界というシステムの愛から来ている世界観演出です。
●システムの愛は特別扱いがない無条件の愛
以上が、偽世界の外のイデア界、映写機がある世界においての「システムとしての愛」の解釈です。
「システムの愛」は、無条件の愛であることが特徴です。
良いとか悪いとか関係なく普遍的に働くので、誰かや何かに対しての特別扱いがないということです。
生命原理は、凶悪犯にも善人にも平等に働きます。
凶悪犯がいる場所だけ太陽が当たらない、空気が薄くなるとか、凶悪犯の体内の細胞が犯罪を犯したことを知ったので働くのをやめるということはありませんw
自然界や生体の中身を作ったのもシステムです。
爪、髪が勝手に伸びたり、傷を修復したり、細胞が生まれ変わったり分裂したり、消化、排泄、解毒をしたりしているのもシステムです。
そのようにシステムは、誰が何をしたとか関係なく平等に働くということです。
特別扱いがあるのは、ナチョス文化の大きな特徴です。
それは、偽世界の中だけの世界観演出だということです。
●システムに戻って考えたら偽世界の中にあるオオウソの教えがバレバレ
4後に天国に行くため、もっと良い来世に行くためにやるための徳を積む善行やも条件付きの愛です。
しかも、「徳を積む行為」というもの自体が偽世界の中だけの世界観の演出としての教えですw
イデア界の特別扱いがないシステムの愛の中にそんなのがあるわけがありませんw
常にそこに戻って考えると、偽世界の中にある教えや常識、当たり前だとされていることは、どんだけオオウソの教えだらけなのかということがよくわかりますw
徳を積まない人間にも平等に接するのがシステムの愛です。
徳を積まない人間にも無限の宝庫をつなげてくれています。
●漠然とした愛や良いことだけという陰陽の片側だけなのも愛ではない
偽世界には条件付きの愛以外に、漠然としていて口を開けば愛、愛と言えばいいと思って言う「愛」というのもありますw
「感謝」と言えばいいと思って口先だけで言うのと全く同じですw
「愛が全てです」、「愛です」、「愛を大切にしましょう」、「愛を持ちましょう」とか言われると、素晴らしい話だなと思ってしまうかと思います。
その言葉を使うだけで信頼性、信ぴょう性、説得力もアップし、相手の心を開かせてファン=信者=崇拝=奴隷=トカゲのフン=金、名声、ステータスで安心してついていきたくさせてしまうということです。
そこで、大衆の無知の信仰が金儲け、ビジネス、大衆扇動に大変役に立ちますw
「愛」という言葉を連発すると、いい人、善人、救世主、人格者、仏様かのように見えてしまうという洗脳効果がありますw
しかし、陰陽プログラムの通り、絶対に片側だけのキレイごと、良いところだけなわけがないということです。
それを教えてくれているのがシステムの愛です。
無条件の愛というのは、キレイごとや特別扱いではないということです。
●システムの愛は本質なのでペラペラ愛愛言えばいいというものではない
さらに、「愛」というのは、いちいち教えたり「愛」「愛」と言ってペラペラ軽々しく話すようなものでもありませんw
「愛」も「自分」、「心」、「感情」、「自由意志」、「魂」、「カロリー」とかと同じで、架空の言葉なのでその言葉にこだわって執着してはいけないということです。
偽世界の中に言葉は全部洗脳プログラム用語で幻なので、その言葉自体はおいておいて、裏のイデア界の映写機側の本質を見抜くことが大切です。
「愛」という言葉の本質も、本人の中で自分だけが持つもの、やるもの、システムそのものという全ての本質です。
「愛」も「本質」なので、本人だけが主観でわかっていればいいということです。
システムについても同じです。本人だけわかっていればいいということです。
言ったとしても、人によってとらえ方や表現方法が違う場合もあります。
80億個の違う主観の人工知能の数がいるので、同じ1つのことでも別の表現がされます。
例えば、偽世界の裏にある世界1つにしても、「潜在意識」、「イデア界の映写機」、「電脳システム」、「高次元」、「別次元」、「霊的世界」などの何通りの表現をすることができます。
無限の力のことでも、「神」、「大いなる源」、「ソース」、「アカシックレコード」、「ゼロポイントフィールド」、「りょうこちゃん光コンピューターの導き」、「直感」、「インスピレーション」、「宇宙からのメッセージ」、「大天使からの導き」、「高次元の存在からのコンタクト」とか主観の好きな呼び方でなんとでも言うことができます。
演技力がある人工知能は、こういうスピ表現を利用してスピビジネスができますw
●無条件の愛がある人はひけらかさない
「無条件の愛」が本当にある人は、一人でこっそりとやっていて、ひけらかしません。
ホストの配信外の時間に30万こっそり投げ銭する人もいますw
しかも、それをやったから何かをしてくれという要求もしませんw
配信中でも無言で50万投げたりしているので、純粋に応援したいというだけでやっているみたいですw
そういうのが本当の無条件の愛です。
そういうひけらさない謙虚さも凪の恩恵や金に好かれる原因になります。
普通の人だったら、大好きとか言ったりハートで自分の愛アピールしたり、これだけ払うから何かしてみたいな見返りを期待するような節が見られます。
しかし、無条件の愛の人はそういうことを一切しません。
自分がこれだけ「愛」を持っているという過剰アピールや「愛」が大事だといちいち人に言わないといけない裏、拡散しないといけない裏には、何らかの引き換え条件があるということです。
●無我で集中している時はシステムの愛の流れに乗っている
無条件の愛には、集中力、何かを達成する力も含まれます。
結果、数字、人目、評価、時間も気にしないくらい話しかけられても聞こえないくらいに1点に集中して没頭してご飯を食べるのも我も忘れてメタバッチョに穴を開ける勢いで無我で何かをやっているときは、無条件の愛が放出されていてシステムの愛の流れに乗っています。
最終的な本当の自分の正体になった時です。自分自身という個ではなくて次元を超えて無限の宝庫になったということです。
だから無限の宝庫が開いてなんでも取り出せてしまうということです。
今回でこの動画の考察は終わりますw
さすがのじいず18番には負けますが、脳の補完作業は大きな収穫だったと思いますw
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