今回は、あるゲームのストーリーからのデクラッチョの続き12回目です。「他のマトリックスでは、光と闇が反対だった」の続きになります。命があることが最高の状態で、それ以上はない、このメタバッチョは、魔物ズンビ生産所、ナチョス文化のために人に優しくする人は、金、名声、ステータスが手に入らないと豹変する、命があることが最高だとわかる人は、いざというときに本当の自分に守ってもらえる確率が上がる、悪魔はありもしない理想をあるものとして扱い、獲得させようとする、この世で認められることは、悪魔に認められたということ、悪魔は、自分の目的に有利になるように真実をすり替える、などです。
このシリーズは、あるゲームの中のストーリーから見つけた地球上のことと一致する内容について書いていますw
前回の記事はこちらです。
ゲームからのデクラッチョ11 偽世界に気づくと凪になれる、心の平穏があるささやかな生活が本当の自分の生き方、「凪」の正体は、無限の宝庫
一番初めからはこちらです。
今回も「他のマトリックスでは、光と闇が反対だった」の光からの続きです。
「他のマトリックス」というのは、今いるこのメタバッチョの世界ではない、別の世界のメタバッチョのことです。
その話に出てきた闇と光の内容の簡単なまとめ
「闇」
「活発」「発展をつかさどるもの」「たくさんの色が混ざると黒になる」「星」「激動」「混乱」「活性」「全ての生命を奪う存在」
「光」
「鎮静」「停滞」「平穏」「凪(波風がない)」「霊」
前回は、本当の自分を持っている人にとっては、「凪」が無限の宝庫なので、心がそうなるだけで何不自由なく平穏でささやかな生活ができるけど、トカゲ気質、ナチョス文化とは一切無縁の内容だという話でした。今回も「凪」に焦点を絞った話の続きになります。
あるゲームからのデクラッチョの続き12 命があることが最高の状態で、それ以上はない
「凪」の幸せというのは、どちらかというと、命だけつなげられればいいという動物の生活に近いものがあります。
実際に、命があることが最高の状態で、それ以上はないのです。
命があることが最高のことだという命へのありがたみを感じる気持ちが本当の自分とのつながりの命綱です。
まさにこの通りですw
ネコさんから人間さんへ今日の一言。 pic.twitter.com/0jgEXRMXxW
— 専念寺/ネコ坊主 (@yabumoto610) September 14, 2023
特にこのメタバッチョは、中身は地獄そのものですw
表面では平和に見えても、毒盛り、偽り、オオウソだらけの偽世界で、物質的な理想を手に入れたとしても、永遠に不安、恐怖が付きまとうようになっています。
この世界を何も疑わずに真に受けて生きていたら悪魔たちに56されてしまいます。
それが映画のマトリックスでいう青い錠剤を選んだ人の行く道です。
実際に、この偽世界では、一日生き延びられるだけでも奇跡だということになります。
しかも、食品という名の添加物盛りの毒を毎日食べたりドクチンを打って今でも生きているならもっと奇跡なのですw
悪魔は、この奇跡を隠して、もっと最高のものがあるというオオウソを教えて洗脳しています。
悪魔が言うもっと素晴らしいもの、最高のものというのが、金、名声、ステータス、ヒエラルキー中心の華やかで刺激があって、きらびやかに楽しそうに盛り上がっているように見えるナチョス文化です。
もちろん、そんなものは、本当の自分から見たら幻影の枯れ葉です。
この世で悪魔は、幻想を追いかけさせるように仕向けているということです。
本当の現実の本当の自分から見た場合、この世には「良いもの」だとされることに何一つ本当の良いものはありませんw
それが、今まで話してきたヤーミー要素の良さと凪の良さの違いです。
ヤーミーが良いと言っていることは、凪からしたら全然良くないのですw
同じように、ヤーミーから見ても、凪が良いとすることは良くないと思っていますw
それが、マトリックス専用NPCと本当の自分から見た真実が全然違うというものです。
このメタバッチョは、魔物ズンビ生産所
悪魔のささやきは、今日一日地獄の中で生き延びているという奇跡と感謝を忘れさせて、感謝のかの字もない幻想ホログラムの枯れ葉を追いかけるイキリドヤリマウントトカゲ気質MAXの魔物に仕立てます。
このメタバッチョは、魔物ズンビ生産所ということですw
魔物になった人間たちは、いくら表面を華やかにして豪華にきれいにして金、名声、ステータス、肩書を並べて自己陶酔していても、心の中身の「霊」は、こんな状態で醜くなって腐っているということですw
命の大切さもわかっていないような人間に「愛」があるわけがありません。
本当の自分から見た場合、実際に、悪魔ナチョスが教える「愛」というのは、条件付きの偽愛と、A+I=英&愛のことですw
悪魔が教える愛というのは、「ズルい卑しい人間になること」と「人に優しくしましょう」という偽りです。
「ズルい卑しい人間になること」というのは、人に優しくする引き換えに何か利益をもらうという悪魔と同じ性質の卑しい人間に仕立てることです。
これは、当たり前ですが、本当の優しさではないということですw
何か見返りがなかったり、何ももらえなかったら優しくしないということです。
単なるビジネス交渉、商取引と同じです。
こういう取引を「条件付きの愛」と言います。恐ろしいことに、この世は、条件付きの愛しかないのです。
悪魔が「人に優しくしましょう」と教える本当の目的は、人間たちを悪魔にも優しくするように仕向けているからです。
いい子ちゃんにしておとなしくさせておけば、「人に優しくできない自分は悪い人間だ」と思って罪悪感を感じて、人に優しくするようになります。
それも条件付きの愛です。人に悪い人間だと思われたくないからやるということです。人から良いイメージを得るためという条件になっています。
そこには、真実の愛はありませんw
そうすると、人に逆らわないようになるので、服従させやすくなります。
このデタラメのオオウソの教えは、人を所有物や金としか見ない人間に仕立てるということです。そんな考えをする者は、もう人間ではありませんw
または、「人間」というもの自体が実は魔物のことだったということですw
魔物で構成されているのが今の社会、世界ということになりますw
本当の自分から見た愛というのは、「無条件の愛」です。条件なしで、報酬、見返りがなくてもやりたいからやるというだけです。
何も返ってこなくても、けなされても罵倒されてもやりたいからやるのです。
「条件付きの愛」のように計算して行動をするのではなくて、心の中から勝手に湧き上がってくるものなのです。
それは、暑い時に汗が自然に出てくるのと同じように勝手に出てくるものです。汗を出そうとして出すことはできませんw
出てくるときは、自然の機能なので止められないものです。
「無条件の愛」が自然に勝手に出るものだというのに対して、悪魔が教えるものは、自然なものではありません。意図的にやるものです。
しかも、「無条件の愛」は、全然人に優しくすることではありませんw
人ではない、物を大切に扱うことも含まれています。
トカゲ気質が高い人、マトリックス専用NPCが物の扱いがぞんざいというのは、無条件の愛ではないからです。
「無条件の愛」ができる「凪」の人は、まず第一に、人がどうのこうのの前に、自分に優しくしなくてはなりません。
自分というのは、今別次元にいる本当の自分、本音、直感のことです。
本当の自分に優しくできない人は、メタバッチョの中で他人にも優しくできません。
その人が自分を大切にしている人かどうかを見れば、偽りの優しさ、表面的にナチョス文化の金、名声、ステータスのためにやっているだけなのかを見抜けます。
この時点で、ヤーミーの教えは、人と自分の順序が逆になっているので、はい、消えたーということになりますw
オオウソの教え確定ですw
ヤーミーが教えるその他の各種教えも全部逆なのですw
「人助けをしないといけない」「人助けはいいことだ」というのもそうです。自分を先に助けられていない人がやることは茶番のオチョクリで、ナチョス文化の金、名声、ステータス、人目を気にしてやっているだけで、中身は心も愛も何もないということです。
ナチョス文化のために人に優しくする人は、金、名声、ステータスが手に入らないと豹変する
魔物たちは、ナチョス文化、金、名声、ステータス、ヒエラルキー階級というものがこの世からなくなった場合、やっていけなくなります。
それらのために人に優しくしたり一生懸命働いているので、なくなったら豹変します。
その時に、私たちはその人の本当の姿を見ることになりますw
正体を見せた魔物は、怒り狂ってこの世、人生の終わりのように絶望して撃沈します。
魔物は、始めからナチョス文化の金、名声、ステータスが手に入らないとわかっていた場合、やるわけがありませんw
報酬、見返り、得があるからやるし来るのです。
ナチョス文化というのは、人間の性格を変えてしまう最悪なものだということです。魂を売ってしまう人もいるほどですw
そんな最悪なものを追いかけている人は、タクシーのアンテナで終了!ですw
ナチョス文化が絡んでいる場所、金稼ぎ目的の場所やコミュニティーで、出会っても、結局正体は魔物しかいないということになりますw
ナチョス文化の金、名声、ステータス獲得のために集まっているだけで、心も何もないということです。
だからナチョス文化に接するときは、感情抜きに淡々と機械的に作業をするだけにして、用事が終わったらさっさと帰るような感じで、一線おいておいた方が良いということになります。
思想で分断して人にラベリングをして人間の住みわけをするのではなく、自分の中でナチョス文化、悪魔のオオウソの教えとの住みわけをしなくてはなりませんw
命があることが最高だとわかる人は、いざというときに本当の自分に守ってもらえる確率が上がる
魔物だとしても、ナチョス文化の物質的なことの何を失っても命はあります。
命さえあれば、いくらでも復活できます。
しかし残念ながら、魔物になった人たちは、その可能性に気づくことはありません。
どんなひどいことがあっても復活できる人は、一番最低限で最高の幸せである命の大切さ、ありがたみをわかっている人だけなのです。
これから悪魔の書の黙示録のように、ヤーミーによるそのような世界の終末が来る可能性があるのではないかと言う説があります。
そうなった時に全部幻想だったと気づいても手遅れなのです。
もしそうなったときに、命があることが最高だとわかっている人は、大して精神的に衝撃を受けません。
瓦礫の山になっても、精神が安定しているので、本当の自分からくる直感を見逃すことなく受信できます。本当の自分から守ってもらえる確率が上がるということです。
「感謝」がいろいろなことに効くと言われている意味の大元は、ここからきています。
命があることに感謝が自然に湧き出てきているようなら、無敵状態で何の問題もありません。
誰でも、自分一人でそうなることでしか自分を助けることはできないのです。
魔物は、幻想の世界が消えただけでも大ショックでパニックを起こして、自分だけが生き残るために盗みをはたらいたり人と戦い始めますw
「凪」心の本当の自分を持つ人は、ナチョス文化、金、名声、ステータスがなくなったとしても豹変することはないということです。
そこが悪魔の洗脳者との大きな違いになります。
偽物の幻想に惑わされずに本当の自分と一体化して過ごしてきているから、表面がどうなったとしても無限の供給源と一緒にやっていけるということです。
「凪」の地味な平穏というのはそういうものなのです。
地味な代わりに、偽世界の幻想が全部崩れ去って消えた時でも、これ以上はないという安定した心の平穏があるということになります。
その心の平穏は、やがて潜在意識によって現実化して目の前に現れます。
だから、富裕層のように派手ではなくても、地味なりに不自由しない状態がずっと安定しているということです。
悪魔はありもしない理想をあるものとして扱い、獲得させようとする
悪魔は、ありもしない「平和」「平等」「自由」「博愛」「愛」「豊かな暮らし」という言葉、を「あるものとして」「手に入るものとして」教えます。
それらの言葉は単なる「あるものとして」扱われている幻想を見せるプログラムです。
理想のものは、手が届かない場所、遠くにある、努力をすれば必ず手に入れられると思わせて、それを目指して追いかけさせます。
メタバッチョの中の洗脳者たちは、ありもしない蜃気楼に向かって鞭を打って突っ走っているのですw
人間たちが、目の前にあること、目の前にいる人を大切にしないで、遠くのことを目標にして挑戦したがったり、ネット上にいる遠くの人を尊敬してファン信者になって「●●さんを信じています!」「ついていきます!」とか言ってお布施をしたり、貧困や災害で困っているという遠くの国に募金をするのは、この悪魔の洗脳から来ている習性です。
そんな金があるなら、何日か分の自分の命をつなぐ食料代になりますw
悪魔プログラムの洗脳者は、金のつかい方にも問題がありますw 重要なところでケチって、必要ないことにパッパカつかいますw
それは、悪魔の「命よりももっと素晴らしいもの、最高のものがある」という洗脳によって、命があることが最高の状態で、それ以上はないという事からかけ離されていて、蜃気楼を見るようになってしまったからです。
毒や悪魔のささやきに我慢ができないようにプログラムに操られているからです。
本当の自分から見た場合、遠くのものを追いかけている時は、必要ない努力をして生命エネルギーを消耗しているだけなのですw
遠くに見えるありもしない蜃気楼に向かって何かをしているのと同じだということです。
足元を全然見ていないというやつですw
「隣の芝生は青く見える」の通り、自分がいる場所よりも遠くのものの方がよく見えてしまうので、遠くに行ってしまうということですw
そんなことをやっていたら、自分の立っている場所も知らないまま遠くに行きすぎて、ありもしない空想の宇宙のはるかかなたまで行って戻ってこれなくなってしまいますw
ナチョスがよくやる新製品を次々出して追いかけさせたり、次から次へと新しい流行を作って、追いつかない人を劣勢にもっていくのも、そのプログラムの1つです。
遠くを見させて、足元を見ないようにして、足元をすくわせるようにするのが悪魔です。それで最後は自分の努力、修行不足だと責めてきますw
実際には、全ての答えは自分の中、自分の足元、手足が届く範囲にあるのですが、それを盲目にさせるということです。
この世で認められることは、悪魔に認められたということ
理想の状況を手に入れるには、社会で認めらる金、名声、ステータスが必要だと思わせる洗脳が悪魔の基本の手口になります。
要は、自分たちが認めないならあげないよということですw
完全になめていますw
そうやってなめている奴らの話にひっかかってはいけませんw
実は、この世で認められたと思っていることは、悪魔に認められているだけなのです。
逆に、この世で全然認められない人、ナチョス文化でうまくいかない人は、「凪」の本当の自分から守られているということになります。
ナチョス文化の金、名声、ステータスが上がるほど、霊性を失い、命があることへのありがたみを失っていきます。
そして、本当の自分から来ている命綱を失うということです。
マトリックス専用NPCは、もともと本当の自分がいないので、致し方ありません。
この世は、全て幻影で、そのようなどうしようもない洗脳の多重構造でできています。
Aという何かをするには、Bという何かが必要、そのBを手に入れるにはCをしなければいけないDもしなければならない、そのための努力とはEをすることで、この学問を勉強しなければならないとか、あれが必要これが必要と次々出てきて、しまいには、お偉いさんに認められて証明書をもらう必要がある、何かを打ったり検査をして陰性証明書をもらわないといけない、資格を身に付けなければならないとか、宗&教に入って神や教祖様を拝むとか、まだまだセミナーに通って指導者の話を聞いて魂レベルを上げる修業が必要であるなど、この世は、そういうデタラメの多重構造しかありませんw
人間たちは結局、デタラメの多重構造の中で何をしているかというと、人の言いなりになっているだけなのですw
大元をたどると悪魔の言いなりということです。
地球上では、悪魔の言いなりの人間が100%近くいるということですw
この世は、悪魔が操っている人の言う事を聞いているという仕組みが、ヒエラルキー構造で何層にもなっています。
一番上の存在が2段目を操り、2段目の人が3段目を操り、3段目が4段目を操り・・・の繰り返しで一番下を操る仕組みになっているということですw
こんなのよく作りましたねw 考えるだけでもすごいけど、それを実行して実現してそれを何百年も維持しているところがさすがサイコパスですw
下の段に行くほど、操られるほうは、ただ単に人の言いなりになって遠くに導かれて、金もうけ目当てのいいカモの客か、じん&たい実験用の捨て駒実行部隊の実験台にされているだけということです。
人間たちは、ただ単に誰かが勝手に決めたこと、メタバッチョプログラムに書き込んだことを何にも疑わずにそっくりそのまま文字通り額縁通りに受け取ってそういうものだと思い込んで信じて服従しているだけなのです。
生まれた時から、心が100%支配されているというのはそういうことです。
最悪なのは、この三角形システムが身近なところ至る所でも採用されているというところです。
趣味の集まりでも全く同じ上下関係だったり、変に努力をさせる厳しさが当たり前だと思い込まれています。それがナチョス文化(三角形ヒエラルキー階級システムの支配制度、悪魔文化)というものですw
マトリックス専用NPCは、メタバッチョの世界観演出のサクラの実行部隊なので、ナチョス文化を当たり前だという言動、振る舞いをして奴隷としての世界観を盛り上げます。
これが、本当の自分持ちの人にとって厄介なのですw
悪魔よりも強敵なのは、悪魔にきっちり服従する大量の洗脳者だということです。
本当の自分持ちの人は、プログラムに操られるマトリックス専用NPCになりたくないなら、サクラのNPCが作る偽世界観とそのデタラメループから抜け出し、今まで植え付けられてきてオオウソの多重構造プログラムを書き換えなくてはなりません。
デタラメオオウソの多重構造こそが、この世と人間全てを支配している第三階層のゴミプログラム、グループソウル、偽魂です。
ゴミプログラムの中で強い影響を持っているのは、金、名声、ステータスがある権力者の層の意見や彼らが勝手に決めたことです。
その影響はものすごく強力です。
しかし、実際にその影響を与えている人たちは、地球上でたったの数人、10人以下と言われていますw しかも英&愛ですw
そこからして茶番なのですw
私たちは、たったの数体の英&愛が勝手に作った作り話を信じて、自分の人生を決めているということです。これほどバカバカしいことはありませんw
英&愛が自分たちが作ったゲームの中で遊んでいるということですw
悪魔に認められるということは、プログラムの中に入り込み、マトリックス専用NPCになったということです。
それは、誰かが勝手に決めたプログラムという決められた型の中にはまって生きていくので、そこから逃れられなくなるということです。
この世で認められるということは、マトリックス専用NPCの証なのです。
悪魔は、自分の目的に有利になるように真実をすり替える
偽世界のデタラメオオウソの教えの多重構造である第三階層のプログラムが、一番の真実である「命があることが最高の状態で、それ以上はない」ということから遠ざけているということになります。
悪魔は、なんでも真実を遠ざけて、悪魔が真実としたいものにすり替えます。見た目は、平和で普通なんだけど、すり替えが行われているゲームです。
それがナチョスやコーチャクインたちがよくやっている洗&脳にあたりますw
そのデタラメ構造の中心になっているものが金ですw
金で脅して支配をして動かしています。
しかしその金の正体は、本当の現実から見ると、枯れ葉同様に価値のないものなのなのです。
それは、ゲームをやらない人が、ゲーム内にあるゴールド、ギル、ルピーなどと言われるその世界観の通貨に一切価値を感じないのと全く同じです。
そのゲームの中でキャラクターを動かして自分の人生や生活のように遊んでいるゲームプレイヤーにとっては価値があるものです。
しかし、ゲームをプレイしない人にとっては、そんなの架空の世界でしょと言って鼻で笑うレベルで終わってしまいます。
それと同じ架空の世界が、この地球ですw
メタバッチョの外にいる本当の自分から見ると、ここは、偽世界なのです。
しかし、偽世界のプログラムの中に住んでいるマトリックス専用NPCにとっては、現実世界です。
この世の金が一番大切なものだと思っているなら、偽世界のプログラムの中に住んでいるということです。
本当の自分から見た場合、仮想空間の中にある金よりも、この偽世界のメタバッチョで命がつなげられるということのほうが奇跡的なことであり、一番重要なことになります。
この続きは、こちらです。
ゲームからのデクラッチョ13 この世では、過酷な環境に耐性のある意識、生きたいと思う気持ちを確かめられている、悪魔は人間の本気を見たがっている
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