今回は、あるゲームのストーリーからのデクラッチョの続き14回目です。「他のマトリックスでは、光と闇が反対だった」の続きになります。本当の自分を持つ人の心の力には高次元の力が混ざっている、悪魔は幻影でおびき寄せて快楽に溺れさせ、自分たちに服従するバカを量産している、ナチョス文化の刺激、緊張を乗り越えると快感になりもっともっと中毒になって憑依されて取り返しがつかなくなる、ヤーミーしか何かを始めることはできない、「凪」の心は、ヤーミー時代を通過しないと得られない、などです。
このシリーズは、あるゲームの中のストーリーから見つけた地球上のことと一致する内容について書いていますw
前回の記事はこちらです。
ゲームからのデクラッチョ13 この世では、過酷な環境に耐性のある意識、生きたいと思う気持ちを確かめられている、悪魔は人間の本気を見たがっている
一番初めからはこちらです。
今回も「他のマトリックスでは、光と闇が反対だった」の光の話からの続きです。
「他のマトリックス」というのは、今いるこのメタバッチョの世界ではない、別の世界のメタバッチョのことです。
その話に出てきた闇と光の内容の簡単なまとめ
「闇」
「活発」「発展をつかさどるもの」「たくさんの色が混ざると黒になる」「星」「激動」「混乱」「活性」「全ての生命を奪う存在」
「光」
「鎮静」「停滞」「平穏」「凪(波風がない)」「霊」
前回は、この世が地獄のようにオオウソと毒と偽物で構成されている過酷な環境な理由は、悪魔は生きたいと思う本気の人間を見たいからだという話でした。今回も「凪」の「命があることが最高でそれ以上はない」という話の続きになります。
あるゲームからのデクラッチョの続き14 本当の自分を持つ人の心の力には高次元の力が混ざっている
ヤーミーに命をもらえただけでも奇跡的ですごいことなんだということがわかると、不思議なことに、今どんな状況だろうと物質、見た目、現状に関係なく、質素な最低限の生活でも満たされるようになってしまいます。
それが「心の力」というものです。
実は、「心の力」というものは、今、高次元にいる本当の自分から来ている力になります。
ちなみに、マトリックス専用NPCは、心がないので、プログラムから来ている力です。
マトリックス専用NPCは、心がないから心無い言動をしたり、物を大切に扱わないし、命があって五体満足で食べ物があって、今日生き延びることができるありがたさを感じていない態度になって表れていますw
「心の力」というと、よくある精神論やスピのように、当たり前の話で何も珍しくも特別なすごいことでもないとか、大したことがないように聞こえます。
しかし、これこそが偽世界攻略に一番大事なものになります。
「心の力」を通して、今、メタバッチョの外の別次元にいる本当の自分を知ることになります。そこからすべてが始まるからです。
ほとんどの人は、右から左に聞き流して、「心の力」についてまともに真剣に考えません。
ナチョス文化、トカゲ気質で汚染されて魔物化した人間たちは、「優秀で選ばれた人がやっている特別なこと」じゃないと耳を傾けないという特徴があります。
ナチョス文化で公認されたものじゃないと受け入れないという洗脳にひっかかっているからです。
洗脳者たちは、生きる上で当たり前のこと、日常の生活に必要なことのような小さなことを無視したりバカにします。
しかし、実は、バカにしている目の前の小さなことほど、自分をプログラミングして導いているプログラムなのですw
小さなことをバカにする症状も、メタバッチョの世界感演出のための「特別なもの」が「あるもの」として扱われている、「ありもしない理想」を追いかけさせるオオウソの洗脳からきている習性です。
「心の力」というのは、実際には、本当の自分を持っている人にとっては、この偽世界メタバッチョの外にいる次の命の権利をもらえた第三階層を突破した高次元の自分から来ている超常的な力なのです。
歴史的に、人間で誰一人超えたことがない、第三階層を突破した意識の存在から来ている力だという時点ですごいことです。
本当の自分は、人間ではない超人レベルの意識だということになります。
人間たちがメタバッチョの世界観の演出の洗脳話の中で「神」だと思い込んでいるのは、今現在メタバッチョの外の別次元にいる本当の自分でしたw
ちなみに、「超人」という言葉も特別扱いをするメタバッチョ内専用のプログラム用語です。
実際には、この偽世界メタバッチョを出たら、本当の自分の不可能がない全知全能の高次元の状態のほうが普通でしょう。
それだけこの3次元の偽世界のレベルが低い、最低最悪の世界だということですw
この偽世界は、不可能がない力を持つ高次元の存在たちが、意図的に周波数レベルを最低にして作った実験場+遊び場の空想の世界だということです。
人間たちは、最低最悪の世界で悪魔に操られて、ありもしない幻想、枯れ葉の蜃気楼を追いかけさせられて、本来の姿を忘れさせられて魔物化してしまうゲームの中で、魔物にならずに本当の力を発揮してやりくりする遊びをしているということになります。
その世界にいる世界観演出のために、幻想を真実だと思わせるサクラがマトリックス専用NPCです。
悪魔は幻影でおびき寄せて快楽に溺れさせ、自分たちに服従するバカを量産している
悪魔が偽物、幻想、蜃気楼を見せて誘惑してくる理由は、快楽に溺れさせると、バカになって思考停止にできるからです。
SD爺ズで自由、博愛という言葉を使って、恋愛対象を広げたり性的快楽を追及させるような方向に導くのも、快楽追及のアホザルのバカにして操るためですw
相手を中毒にさせて快楽にさせるものを差し出せば、簡単に釣って操れます。
「快楽」というのは、性的なことだけではありません。トカゲ気質からくる承認欲求、自己顕示欲を満たす自己陶酔も快楽です。
ナチョス文化の中で何かを獲得したり、上に上り詰めて達成する快楽は、やめられない止められないおいしい添加物入りのジャンクフードや麻薬と同じなのです。
一度やったら「次も次も!」「もっともっと!」という欲が出て、麻薬中毒者のように止められなくなっていきます。
一番重要な命の事を忘れて無視して、「次も次も」「もっと上へ上へ」しか考えない快楽追及のバカになるということですw
ドクチンを1回やると、もっともっと打ちたくなるのとまったく同じですw
ドクチンが出て来た頃には、SNSでは、「3回以上やるやついないでしょー、さすがに3回前には気づくんじゃない?」「5回は死ぬに決まってるじゃん」といって笑っていたのに、6回も本当にやる人が出てきてしまっていますw
また打ちたくなる成分のプログラムが入っているからそうなるということですw
始めの話からしたら、6回はあの世後ですw
そのうち10回超えをするツワモノが出てくるでしょうw そこまでいったらさすがに作り話レベルですw
5,6回の時点でコーチャクインの作り話という感じもしますw
ナチョス文化に洗脳されて「もっともっと病」になると、
「豊かになることは良いこと」だというオオウソの教えを信じて、偽世界のありもしない理想像を目指してもっともっと豊かになろうとします。
それは、奴隷教育の場であるナチョス文化から抜けられなくする洗脳の仕組みです。
「もっともっと中毒」にさせるのが、ナチョス文化の正体なのです。
「もっともっと中毒」になると、与えられている最低限のありがたみ、今あるものを邪険にし始めて、「不足」に着目する思考になっていきます。
「不足に着目する思考」は、「悪い所しか見えなくなるあら捜し思考」になっていきます。それは、悪魔にとって最高の操り人形状態です。
実際に、真実系の情報発信をしている人でも、世界や富裕層の悪口、金への文句ばかり言ってそうなってしまっている人がいますw
いくらドクチンを打っていなくても、ありがたみや良いところが見えない目になってしまったらもう終わりですw
そのような状態では、命があることが最高の状態でそれ以上はないという「凪」による無限の宝庫の恩恵にたどり着くわけがないので、世界なんかもっと変わるわけがありませんw
「金がないない」「足りない足りない」とか、あら捜し、悪いことが起きた不幸自慢ばかり言っている人は、ナチョス文化のもっともっと中毒になってしまった症状です。
あら捜し好きだったり、悪いことが起きた不幸自慢をしている時は、今この瞬間という一番大事なものを拒否して、ナチョス文化のプログラムのありもしない幻想の理想の完璧な何かを求めているから、自分の立場や今の周りの環境が低く見えるだけなのです。
外側と自分を比較しているからということです。その比較ばっかりしているトカゲ気質を捨てれば、すぐに楽になりますw
外側を気にするということは、トカゲ気質からくるプライド、高すぎる理想、自分を低めて罵倒しておきながら実はナチョス文化での完璧を求めている卑しさが高まっているという証拠です。
ないない病、あら捜し病が悪化すると、生かしてもらえている立場でありながら、何様かのような態度になってつけあがり、トカゲ気質が上がって魔物化していきますw
「豊かになることは良いこと」というのは、捉え方を一歩間違えると、金の支配から逃れられなくするための洗脳になります。
悪魔は、意図的に、その一歩間違えた方向に導いていますw
「凪」の本当の自分から見ると、支配のツールの金に頼らずに心を満たすことが本当の豊かさにあたる良いことです。
しかし、悪魔は、「金が増えることで豊かになる」というように、なんでもかんでも金に結び付けてオオウソを教えているところがいやらしい所なのです。
「金がないと満たされない」というのは、自力で心を満たす力を持つ本当の自分から来ている命綱が完全に切れた状態です。
または、本当の自分がいないプログラムだけでできたマトリックス専用NPCです。
マトリックス専用NPCが金に頼るのは当たり前なので、致し方がありませんが、本当の自分持ちの人が、命綱が切れた状態では、本当の自分からくる凪の恩恵を受けられないのは当たり前です。
そして、完全にマトリックス専用NPC化しているということです。
この偽世界では、「豊かになることは良いこと」のように、表向きは良いことに聞こえる内容でも、言葉の捉え方を別の意味に持っていく「ミスリード」がたくさん使われています。
悪魔はその洗脳方法しかやりません。
この世での良い言葉や良く見えるものには、必ず裏があります。
ナチョス文化の刺激、緊張を乗り越えると快感になりもっともっと中毒になって憑依されて取り返しがつかなくなる
ナチョス文化には、緊張感、不安、恐怖、辛さ、苦しみという刺激がつきものです。
ナチョス文化の刺激を乗り越えることで、悪魔の世界に引きずり込まれて、トカゲ気質エゴまみれの勘違い文化の自己陶酔という快感に変わってしまいます。
それで「もっともっと中毒」が悪化して、魂を乗っ取られた状態になっていきます。
実際に、そうなったときには、本当に悪霊トカゲに憑依されているはずです。
憑依というのは、スピ的な表現ですが、実際には、霊がどうのこうのではなくて、霊なんかいなくて、偽世界を構成している悪魔のプログラムから抜けられなくなった状態ということですw
偽世界の外の本当の自分から見ると、コンテスト、競争、レース、審査、試験、検定、面接、オーディションなどのナチョス文化の入り口の緊張の刺激は、乗り越えてはいけないものですw
「試験や審査のドキドキ感がたまらない」「緊張を乗り越えて完璧に表現することがプロ」「緊張を乗り越えて高得点や高評価をもらって選ばれることが自分の価値」などと思っているなら、完全なナチョス文化の洗脳者です。
今、困難や悩みを抱えていて、それがナチョス文化から来ているものなら、乗り越えた先は悪魔の領域ですw
全然なにも乗り越えていないということですw
乗り越えるとかではなくて、その悪魔文化から早く抜け出さなくてはなりませんw
一生懸命悪魔文化中にある壁を乗り越えてしまったら、もっともっと中毒のバカのトカゲ気質MAXの魔物になって戻ってこれなくなってしまいますw
悪魔たちは、快感を刺激するというエサを出すだけで、快楽を求めるバカたちを簡単に釣ることができるということです。
その結果、オオウソで騙して金儲けのいいカモや実験用にして、思い通りに自由に動かしてやりたい放題やっているのです。
ほとんどの人間は、それに騙されてありもしない蜃気楼の中で溺れてズンビ化して、悪魔サイドの魔物に進化しているということになります。
ヤーミーしか何かを始めることはできない
ちなみに、ヤーミーじゃなくて光に生命を作ってもらいたかったと思うかもしれませんが、ヤーミー要素しかすべてを始めることはできないので、ヤーミーがいなかったらこの世も生命も誕生しなかったということになります。
私たちの命は、ヤーミーが遺伝子操作や実験、生命体作りに興味を持ってくれたおかげで誕生したということです。
何かを生み出して活性させて混乱をつくっては破壊をして再生、発展させたりして、全てのきっかけを作ってくれたのがヤーミーです。
それが行き過ぎたので、ヤーミーが暴れるのを抑えるために、「凪」が後から出てきました。
これは、また光と闇などの神の正体の話で、別に詳しく書こうと思っていますが、実は、凪が最初からあったのではありません。
ヤーミーが先ですw
「全ては闇から始まった」というのは、本当でしたw
私たちは、ヤーミーの子ということですw だから全員にトカゲ気質、トカゲのDNAが入っているのですw
この世の全てがヤーミーから生まれているので、全部ヤーミーの子で、闇の力の配分の方が大きくて強くてかなわないのは、当たり前だということです。
この世で表に出ていることが5%以下で、まだ見知らぬ世界が95%も隠されているのは、全てにおいてヤーミーがメインだからです。
ヤーミーの持ち物である地球からヤーミーがいなくなるわけがありませんw
ヤーミーがいきなり出てきて、何かを作り出して発展させたのはいいけど、心や愛がなくて精神性が低いから子供みたいな感じでやりたい放題やって作っては壊してを繰り返して混乱だらけにして、言う事を聞かなくて暴れているところに、大人の「凪」が登場したという感じです。
ヤーミーは、英&愛のように頭脳的、機械的な受験勉強みたいなことや、ナチョス文化の技術とか知的なところだけはズバ抜けているけど、精神的に非常に未熟で冷酷だし、すぐにボロが出てわかりやすいバカなところがたくさんありますw
凪は、それに比べると非常に賢くて頭が良く、器が大きくて精神的に大人です。
この2つはちょうど子供と大人の関係みたいなものです。実は、凪は、ただヤーミーを抑えているだけだったのですw
もし、ヤーミーが余計なことをしなかったら、凪は必要なかったはずですw
しかし、余計なことをしてやりすぎたり被害を出すので、後から大人の凪が出て来たということです。
人間の誕生、発明、製品開発、新製品が全てヤーミーから出てくるように、何でも「始まりはヤーミー」だということになります。
「凪」の心は、ヤーミー時代を通過しないと得られない
今、心の中が「凪」モードの人たちも、始めに荒れ狂うヤーミー時代があったから、気づきを得て「凪」になれたということですw
始めからきれいにうまく「凪」になろうとしては、なれませんw
思う存分完全にヤーミーを表現すると、トラウマも同時に解消されるので、自然に「凪」になっていきます。
今、撃沈したり怒り狂って吠えて人にからんでいる人たちは、自分の中のヤーミーを吐き出している時代なのですw
彼らは、本当は、辛くて周りに助けを求めています。
しかし、どうしていいかわからないので、バカ犬のように吠えるしかないのです。
吠えたり怒鳴ったり、人に突っかかって嫌味を言ったり、愚痴、文句、泣きごと、不幸自慢を言ったり、怒り散らしている行為は、自分でトラウマの解消をしようとしてもがいているということです。
そのような経験を通じて、ヤーミーの自分の中で気づいて、大人の精神の器が大きい「凪」を作って、自分の凪で自分の幼稚で自分の機嫌も取れないようなヤーミーを処理することでだけ、無限の宝庫の恩恵をもらえる本当の「凪」になることができます。
ヤーミーが先で「凪」が後から出てきたのと同じで、自分のヤーミーの中に「凪」を自分で作るということです。
それは、自分一人でしかできません。
自分以外に、誰も精神的に他人を助けることはできないというのはそういうことです。
自分一人でやらせないで、手とり足とり「私があなたの悩みを解決しましょう!」とか言っている精神的指導者みたいなのは、ファン=信者=崇拝=奴隷=トカゲのフン=金、名声、ステータスで自己陶酔をしていて、自分こそがまだまだヤーミーの時代で解決するべきことがあるから、人を解決することで人の中に自分を見て自分の解決をしています。
一人孤独になって、誰からの助けもないまま、苦しんで苦しみまくって辛さを噛みしめて味わって辛さ、悲しさ、寂しさを感じまくって、地獄の底に落ちた生活を通さないと「凪」の心の状態にたどり着かないということです。
いったん地獄の底の一番下まで落ちたら、それ以上の下はないので、そこで初めて、重荷がとれて本当の自分が目覚めます。
本当の自分持ちならば、落ちた時に、絶対に助けが来ます。
傷つくことを恐れて避けて上手くやろうとしていたり、本当の原因を改善しないでうわべだけで傷をなめてごまかしてうまくやり過ごそうとしていたり、世間で言われている成功者のお手本通りになろうとしていたり、人に助けてもらおうとしている時は、首の皮一枚で崖に引っかかっていて完全に一番下まで落ちていないので、もっと苦しくなるということですw
全ては、本当の問題を隠して、表面だけ取り繕ってうまくやることはできないようになっています。
蓋をしているだけなら、必ずどこかで本当の問題があぶりだされてしまいます。
だから、やるなら人生の命があるうち、早い方がいいということです。
いつまでも大事に問題の核を温めていると晩年になって、まだヤーミーの時代を満喫して通過していなかったということになってしまいますw
しかし、うまくやろうとして途中の崖に引っかかっていたり、悲劇のヒロインになって不幸自慢を一生やっている人生が悪いわけではありません。
マトリックス専用NPCは、マトリックス専用NPCなりの真実と人生、低周波拡散装置という機能もあるので、それはそれで良いこということになります。
このままじゃいけない男のように自分を否定して変えようとしないで、今のありのままの自分に合った生き方をしていて良いのです。
【偉業】ついにここまで来た男、あらわるhttps://t.co/BYcdqMbNfr pic.twitter.com/ORi3Fp4vcP
— 滝沢ガレソ (@tkzwgrs) July 15, 2023
ナチョス文化、添加物、毒食品や薬、ドクチン、嫌なことを全然やめないでやり続ける自己虐待がやめられない人は、ナチョス文化が合っていて、そこで生きることが決まっているからか、その経験が必要だからやめられないということです。
この続きは、次の記事になります。
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