アダルトチルドレン、機能不全の家庭とは?

アダルトチルドレンとは、毒親機能不全の家庭で育ったため、幼少の頃に必要な人格形成ができなかった子供のことをいいます。「機能不全の家庭」とは、いったいどんな家庭なのでしょうか?

機能不全の家庭とは?

機能不全の家庭というのは、無償の愛無条件の愛がない家庭です。無償の愛、無条件の愛とは、愛することと引き換えに見返りを期待しない、心底湧き出てくる純粋な愛情のことをいいます。普通、人を愛することに、「●●してくれたら愛してあげる」「愛してあげるから●●してくれ」なんて言いませんよね?条件付きの愛情というのは、それくらいアホらしいことなのです。

機能不全の家庭の毒親は、子供のことをとして見ています。子供の気持ちという一番大切なものを無視しています。自分を人に良く見せるための物、ストレス発散をする相手、自分の自尊心を高めるために優越感を感じられる相手として見ています。

本当に愛があれば、愛する我が子に時間やお金を遣うことは、気になりません。親ならば、なんでも喜んでやるはずです。しかし、毒親は、子供のことよりも自分のほうが大事なのです。例えば、子供にお金を出して、良い学校に入れて人に自慢できて、「●●さんのお子さんってすごいのね」などと言われて、満足するような自分の利益になるなら、出すでしょう。しかし、自分にとって使えない子だとわかるとお金は出しません。食事や生活面でも同じです。死なれたら自分が困るから、食事を与えたり最低限の世話はするのです。実際に、殺害に至るケースもありますが、子供に対しての憎しみや自分の本性が現れるとそのようなことが起こります。

毒親の子供は、親に見捨てられないように、親の前では、いい子を装うようになります。つまり、本音で接しなくなるということです。そうすると、親の前で、ウソをつけばいいということを習得します。それが、外に行ったときにもそうなるのです。人間関係では、いい人を装って、自分を偽ったり、怒られないように失敗隠しだけに必死になります。また、演技が悪い方面に出ると、地位や物を獲得するために人を騙したり、ウソをついて盗みを働いたり、行き過ぎた場合は、詐欺師にもなります。恋愛面でも、好きでもない人に金品や体目当てで気のあるそぶりをしたり、損得勘定で動くようになります。子供がそうなってしまうのも、脅して本音を話せない状態を作った毒親の責任です。

毒親は、自分が精神的に未熟なうちに子供ができてしまい、だんだん大きく育ってしまい、どうして良いかわからない人ばかりです。子供の成長とともに自分が学んで育つことができないので、イライラして子供に八つ当たりをします。

機能不全の家庭では、親という立場を利用して、子供をコントロールし、自分の言いなりにしたり、勝ち負け、損得勘定で接したり、何かしら条件付きでのみ愛情を与えます。暴言、体罰などの暴力、過保護、放置など、とてもじゃないけどまともにあたたかい家族と言えないような状態です。小さな子供を相手にまるで大人の他人とビジネスや、取引をしているような交換条件が入っていたり、恨み妬みなどの意地悪な感情が混ざっています。親子という関係だから、犯罪にならないけど、もし他人だったら、犯罪行為だということが平気でされています。

そのような家庭で育った子供は、当然ですが、性格が歪み、人生がうまくいかなくなります。無意識的に、心に刻印された型を投影しているので、恋愛結婚、仕事、金銭面や人間関係で、辛い問題続きの人生になってしまいます。

人生で、多少、誰にも悩みはつきものです。しかし、何十年もの長年の間、異常なほどいつも問題が起こる、いつも嫌な目に遭う、ずっと幸せになれない、心に傷や寂しさ、悩みを抱え続けている場合は、毒親、機能不全家庭で育ったアダルトチルドレンである可能性を疑ったほうが良いでしょう。

簡単に言うと、愛がない、心に傷を持った大人になり切れていない心の容量の小さい子供のような人間が子供を作ってしまったので、子供に対して、純粋な無条件の愛を注いで、人格形成をさせることができなかったということになります。問題を抱えていて心に余裕がない親に育てられると、人生で一番大切な人格形成をする時期を失ってしまいます。当然、子供時代に、精神的な成長が止まってしまいましたので、いくつになっても子供の時から、成長していないままの精神状態の上、抑圧と恐怖の観念に取りつかれている大人になってしまいます。

そのような、大人のことをアダルトチルドレンといいます。

アダルトチルドレンの心には、子供のころに親から植え付けられた寂しやや恐怖、怒りが蓄積され、人格に問題ができてしまったため、人生で多くの障害が出てきてしまうのです。

幼児期の子供は、何も疑いがなく、素直で純粋な受け身ですから、潜在意識があらわになっています。そのような状態は、潜在意識に刻印する最大のチャンスだったのです。そんな重要な時期に、毒親に異常な恐怖を刷り込まれてしまいました。毒親からの洗脳を解いて潜在意識に刻印されたパターンを変えない限り、生涯、恐怖を引きずることになってしまいます。

 

毒親と厳しい教育・厳しい躾けは違う

 

教育や躾けというのは、教えて理解してもらうことです。教える側に、感情的なものは、一切入らないことを言います。

毒親は、人間として未熟なので、教えるのも躾けも下手ですが、なぜかというと、個人的な感情がたっぷりと入っているからなのです。毒親の教育や躾けの裏は、破壊的感情に満たされています。嫉妬や意地の悪さ、不安、恐怖、自分が一番偉いんだという大きな勘違い、自分の言うことを聞かないと罰を与えるぞという独裁体制、いじめて相手が苦しむのを楽しむ、未熟な精神があります。自分の容量が小さいために、自己コントロールができないから、すぐイラっときて言葉の暴力をつかったり、体罰を与えてしまうのです。

毒親なのか?、だた厳しいだけなのか?は、子供に対して「個人的感情が入っているか?」「物として見ているか?」を見ればわかります。

厳しい教育にも、個人的感情が入ってはいけません。厳しいというのは、裏を返すとがあるからです。愛がなかったら、厳しくする必要もないし、どうにでもなーれーという感じで、興味ないしどうでもいいのです。厳しいとは、相手が自立できるように、良くなることを思って、トレーニングとして厳しくするというだけです。野鳥は、今まで毎日エサを与えていたヒナでも、ある一定の時期が来ると、突然突き放して無視します。それは、自分でエサを取れるようになってもらわないと、親鳥は、自分のほうが先に死ぬし、一生そのヒナにエサを運んであげて面倒を見ることができないからです。そのように、本人の能力を伸ばすためにある程度の厳しさは、あるほうがよいことがあります。

実際に、学校でも、厳しい先生のほうが、生徒が伸びるので最終的には、信頼を得て好かれることが多いです。そのような人の、毒親と違うところは、個人的感情を一切入れていないことです。自分の精神が安定しているから、やるべき仕事だけをきちんとできるのです。

毒親がいう、愛とは、ただの口先の言葉です。真の愛ではなく、自分のために使う都合が良い言葉です。宇宙の真理の本当の愛が通っていたら、毒親にはなりません。

 

 

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