ゲームからのデクラッチョ9 本当の自分から見た「よきもの」の意味はトカゲ気質が高いと理解できない世界

今回は、あるゲームのストーリーからのデクラッチョの続き9回目です。「他のマトリックスでは、光と闇が反対だった」の続きになります。メタバッチョ内では、光、闇という言葉もプログラム、本当の自分の外に正しいという偽軸を作らせるのが洗脳プログラム、光の意味は、一見つまらなくて悪いことのように見える、本当の光の本質は、トカゲ気質がないからそうできるという証明、本当の現実世界を基準にした「よきもの」は、外側が一切関係ない、華やかで人が集まり賑わうところに真実の答えはない、目立たなくて地味であることは、守られている証拠、などです。

このシリーズは、あるゲームの中のストーリーから見つけた地球上のことと一致する内容について書いていますw

前回の記事はこちらです。

ゲームからのデクラッチョ8 表の世界は5%以下、95%ヤーミーの世界がまだある、見えない隠れている活動こそがメタバッチョのメイン

一番初めからはこちらです。

デクラッチョはSNSよりもフィクション作品の中にある、ゲームからのデクラッチョ1

今回も「他のマトリックスでは、光と闇が反対だった」からの続きです。

「他のマトリックス」というのは、今いるこのメタバッチョの世界ではない、別の世界のメタバッチョのことです。

前回までは、「闇」の本質と内容、「活発」「発展をつかさどるもの」「たくさんの色が混ざると黒になる」「星」「激動」「混乱」「活性」「全ての生命を奪う存在」についてでした。

今回は、「光」の本質、内容に入りますw

 

メタバッチョ内では、光、闇という言葉もプログラム

「光」の内容に入る前に、注意点についてですw

ゲームの中の話では、「光」と「闇」という言葉になっていますが、私たちが今いるこの世、メタバッチョでは、「光」と「闇」という言葉自体もプログラムなので、「光」の本当の意味はこうで「闇」の本当の意味はこうだというよりは、そういう内容の本質が2つあるというだけだと思ってください。

じゃあ、「光」と「闇」の中間地点に立つことが良いのか?というとそうではありませんw

中間地点には、よく「統合」という支配で利用されるプログラムがありますw

「どこに立つ」とか決めつけること自体が、ナチョス文化の極端に偏った白黒はっきり決めさせて奴隷思考にするための洗脳でもあります。

最終的には、本当の自分を持っている人は、本当の自分が快適な状態であれば良いというだけになります。

そして、その2つの本質は、自分の中にもあるし、細胞から宇宙的な規模まで、どのマトリックス内にもあります。

人類全員が自分の中に、全ての生命を奪う存在ガン細胞や、表面だけ良く見せようとするトカゲ気質も持っているということです。

自分の人生のシチュエーションにおいて、何かを打破しないといけない時は、このゲームの話に出てきた活性力のあるヤーミーのような要素を使う必要もあります。

辛い苦しいを活性化し続けることは良くありませんが、不幸自慢だらけの辛い状態の人は、長年苦しんできているダメなものを一度破壊して終了させて変化を起こすことも必要であることがあります。

破壊はヤーミー要素ですが、場合によっては、使わないといけない時もあるということになります。

マトリックス専用NPCやナチョス文化に接しないといけない時は、本音を隠して偽らないといけなくなりますw

そのようなときは多少「表面上の顔」「社交辞令」というヤーミー要素を使わなくてはなりませんw

今が快適で最高に幸せだという人は、今のまま安定していればいいのでヤーミー要素は、必要最低限のナチョス文化に関わるとき以外には、ほとんど必要ありません。

そのようにシチュエーションや人の心状態、時と場合によっても違うので、使い分けをする部分も出てくるという事も頭に入れておく必要があります。

結局は、よく考えて思考を使う事と、心の使い方次第だということです。

それは、日ごろから、本当の自分から来る直感に従っていれば、何も難しいことではありません。直感に従うということは、息を吸うのと同じくらい簡単で当たり前のことです。動物もやっています。

なんでも型に決めつける思考、極端に偏る白か黒か、有か無の思考だとメタバッチョで生きていくのが厳しくなります。

その思考になったときは、洗脳プログラムに操られているということです。

悪魔たちが大量の洗脳プログラムを作る理由は、混乱させて、何が正しいかわからなくさせ、正しいことを探すために議論でお互いを争わせるのが目的です。

 

このメタバッチョは、そういう不調和な世界が正しいことであり、当たり前の世界だからです。

 

本当の自分の外に正しいという偽軸を作らせるのが洗脳プログラム

人間は、悪魔プログラムの洗脳によって、思考がパターン化されているので、何にしても「正しい事」という軸を作りたがります。

それがもうすでに、本当の自分からの自分軸から離れているということですw

本当の自分の外に軸を作ったら、偽軸ですw

偽軸」は、他人や世間の噂、洗脳情報を頼ることです。

まさに、第三階層のプログラムの大衆の心、グループソウル、偽魂のことです。

本当の自分の外に「軸」を作らせようとするのがその洗脳プログラムになります。

「洗脳プログラム」は、数々の矛盾するプログラムの洗脳で心にゆとり、柔軟性をなくし、1つの思想に傾け、その枠にはめ込みます。

違う思想同士のお互いを争わせて常に神経衰弱、思考停止にしておけば、大衆は常に緊張状態になります。

緊張、不安、怒りがあると、ちょっと何かを言われただけでも揺らいで撃沈するので、自己暗示にかかりやすくなります。

それは、権力者が脅しで洗脳し、一発で支配するのに最高の状態なのですw

 

メタバッチョの中での「光」「闇」という言葉は、明るさを表現する以外では、「魂」「神」「救世主」「カロリー」「人間関係」と同じでありもしないものだということになりますw

この世で「魂」のように、深い意味があるのではないか?と思うような言葉は、実際には何に意味もなくて、ほとんどただのプログラムなのです。

言語自体がもうすでにプログラムなので、表現の仕方を変えるだけでまた別のプログラムになってしまいます。

ナチョスは、それを利用して、同じ1つのことでも全く別の表現に言い換えて「ヌーフールドオーダー、珍世界秩序、いまさら超監視社会」のことを「低次元珍地球」とか、「自由、平和、博愛、平等、愛です」などと言っているのですw

 

 

あるゲームからのデクラッチョの続き9 「よきもの」の意味はトカゲ気質が高いと理解できない世界

 

鎮静、停滞をつかさどるものは「光」

と呼ばれていて、

何かに染められる前の白、凪(海の波が止んで海面が静まる平穏をあらわす)

という意味があるそうです。

ヤーミーが、「星」だったのに対して、こちらは、

「霊」

という意味になります。

 

これは、まさに、本当の現実世界にいる本当の自分の自然な姿であり、本当の自分の最高の状態のことです。

これも、ヤーミーの表面と中身が全然違うのと同じで、表向きは反対に見えます。

鎮静、停滞」という言葉を聞いたら、誰もが反射的に悪いことだと思うでしょう。

見た目は、何も起きていないので、面白くないと思うはずです。

 

 

光の意味は、一見つまらなくて悪いことのように見える

ほとんどの人は、「鎮静、停滞、平穏、波風がないもの」「霊」について、見た目では何も起きていないから面白くないと思います。

そして、それは、悪いことだと決めつけてしまいます。

表向きは一見、静まり返っていて動きがなく、何もないように見えるからです。

 

しかし、「面白くない」と思ってしまう考えは、もうすでに悪魔のトリックで洗脳されたナチョス文化の思考です。

コロナ茶番も落ち着いて、今何も起きてないし生きていられる状態で、文句を言い続ける人は、完全に悪魔の洗脳で作られた思考になっています。

または、元々世界観演出のマトリックス専用NPCです。

 

マトリックス専用NPCやナチョス文化の思考というのは、始めの方で話したように、極端に偏った思考、白か黒、有か無、100か0で決めつける思考、見た目や数字、評価、成績だけで即決する思考のことです。

それこそが、トカゲ気質の反応です。

トカゲ気質が高いと、数字メーター的に判断するNPC、英&愛らしい機械的な精神になります。

本当の自分を持っている人に比べると鈍感なので物質、見た目でしか判断できません。

左側の青い方が本当の自分を持っている人、赤い方がマトリックス専用NPCということです。

赤い方を詳しくするとこうなりますw

そのトカゲ的反射は、生まれた時から心を100%束縛している洗脳プログラムによる植え付けから来ています。

私たちは、見た目、表面だけで判断する世界に生まれ、何もかもそう決めつけるように洗脳されています。

これは、本当の自分とつながる命綱である一番大事な霊性」「直感を失わせるためです。

それが、この世の中の良い悪いの意味が、全部反対だというところですw

 

マトリックス内に置いて、本当はよきものである「鎮静、停滞、平穏、波風がないもの」の表面上は、変化がなくてつまらない、華やかさ、刺激や魅力がなくて悪いことのように見えるので、大きな勘違いされているということになります。

勘違いをするように仕向けたのが洗脳です。

洗脳者は、勘違いをしているということすら気づきません。

 

本当の光の本質は、トカゲ気質がないからそうできるという証明

」もどんなに素晴らしい霊だとしても見えないし、気づかれることはありませんw

しかし、「鎮静、停滞、平穏、波風がないもの」「霊」の本当の意味こそが、実は良いことなのです。

ヤーミーが表面がよく見えて中身が混乱を作るだけだったというのに対して、本当の光の意味は、見た目が地味だけど中身が神のような状態だということになります。

 

「良いこと」という基準は、本当の現実世界にいる本当の自分を基準にしてということです。

トカゲ気質が高い人や悪魔が見たら、全然良くないと思いますw なぜかというと、そのような人たちは基準にしているものが悪魔プログラムのナチョス文化だからです。

だから、トカゲ気質が高いマトリックス専用NPCが90%以上を占めるメタバッチョの中は、本当の自分を基準にした良いこととは反対の事が「良いことである」と信じられているということになります。

本当の「よきもの」の地味さというのは、メタバッチョの中ではバカにされて、鼻で笑われて相手にされないほどひどいものです。

しかし、その地味な「よきもの」の状態は、裏を返せば、金、名声、ステータスのナチョス文化のために自分を変えてまでヒエラルキーを気にするトカゲ気質がないからそうできるという証明です。

中身に自信がある人しかできないのです。しかもその「自信」というのは、トカゲ気質からくるイキリドヤリマウントの自信とは全く別物です。

ナチョス文化、トカゲ気質の「自信」は、人より上に立ってイキッテドヤッテマウントをとることを自信と言いますw

「自信」という言葉もプログラムなので、使い方に注意が必要ですw

本当の「よきもの」のことは、トカゲ気質(エゴ)からくる見栄、プライド、承認欲求、自己顕示欲、自分は自分は~、自分は認められていないからもっとナチョス文化3点セット金、名声、ステータスをあげないといけないんだとか、金がないない足りない足りない、などというエゴまみれのナチョス文化の汚い心がなくならないと、理解できないということです。

実際に、このメタバッチョ内では、本当の自分を持っている人が人口の10%以下という少なさので、理解できないほうが当たり前という悲しい現状になりますw

 

華やかに偽るものは、全部トカゲ気質から来ています。

トカゲ気質がある限り、偽りだということです。

トカゲ気質で生きているなら、メタバッチョ専用の偽世界の中での生き方なので、本当の自分で生きていないのと同じなのです。

トカゲ気質、ナチョス文化で生きているなら、悪魔の操り人形として生きているということです。

しかし、例外があります。

マトリックス専用NPCが持っているトカゲ気質は、元々プログラムなので、偽りではありません。

それはどういうことかというと、マトリックス専用NPCには、本当の自分がいないので、裏がない100%純粋なトカゲ気質だということです。

プログラムが本人に直接影響しているということです。

それは、マトリックス専用NPCらしい正しい生き方になります。

だから、この世は、マトリックス専用NPCたちのものであり、マトリックス専用NPCにとっては「真実」で「本当の世界」だということです。

しかし、本当の自分を別次元(別のメタバッチョ)に持っている人からすると、この世は「偽世界」なのです。

本当の自分を別の場所に持っている人は、トカゲ気質をなくして心をあたらめるために変な場所にぶち込まれたということですw

 

 

本当の現実世界を基準にした「よきもの」は、外側が一切関係ない

本当の「よきもの」が地味な理由は、外側が一切関係ないからです。

本当の自分というのは、意識、エネルギー体です。心、精神、本音、直感が本当の自分ですが、それらには姿かたちがありません。

だから、このゲームの話の本当の光には、「」という意味があるのでしょう。

それに対してヤーミーは、外側こそが命ですw

外側が命の人たちは、いかに姿かたちや良く見せるかにこだわり続けます。

実際にメタバッチョの世界観を演出しているレプは、姿かたちが重要なので、イケメン美女、肉体美を持つ人、華やかな世界、金の亡者、名声、ヒエラルキーの亡者、外見、人からどう見られるかを気にする人、数字、成績、評価などの外側を気にする人、姿かたちにこだわる人に憑依しますw

トカゲは、自分と同じ気質を持っている人を自分の意思を遂行してくれる人だと思って取りつきますw

トカゲ気質が低い人に取りついても、自分の目的が達成できないので面白くないからです。

そういう話も第三階層のプログラムです。

 

 

直感以外全てフェイクのこのメタバッチョという世界では、直感以外は真実ではありません。

ここでいう「真実」というのは、本当の現実世界、「本当の自分」を基準にした視点です。

「マトリックス専用NPC」にとっての真実は「プログラム」です。

直感には、姿かたちがありません。だから、本当の現実世界では、姿かたちがあるものでは判断できないということです。

今肉体がある場所は、偽現実のメタバッチョという3次元の物質世界ですが、直感、本音は、本当の現実世界にいるので、本当の自分を持っている人にとっては、常に本当の自分で生きていくことが重要になります。

自分が本当の自分持ちなのか、マトリックス専用NPCなのかどっちなのか?によって真実も生き方も変わってくるということです。

 

 

メタバッチョ内での、本当の「よきもの」の見た目は、ナチョス文化の奴隷であるマトリックス専用NPCたちから見ると、貧乏そうに見えるかもしれません。

流行遅れで地味でダサく見えるかもしれません。しかし、中身は高次元の全知全能の無限の神のようなものということです。

本当の自分は、意識自体そのものなので、姿かたち、見た目、装飾、表に見せる看板は関係ありません。

そういう人は、ブランド物を1つも持っていなくても、着飾っていなくても内側からオーラが出ているので、若々しく見えます。

しかし、ナチョス文化の奴隷たちは、トカゲ気質が高くて鈍感なので、そういうことに気が付きません。

目に見える状態の形として、数字、結果が出ていないなら認めないのです。それがナチョス文化ですw

そのような人々は、外側を気にして見た目やオシャレに気をかけたり、人目や評価、数字を意識してナチョス文化3点セットの金、名声、ステータス獲得のためにかっこつけて過剰装飾をしようとします。

しかし、ナチョス文化の奴隷は、ブランド品で固めていても、霊的には死んでいて、肌はガサガサバサバサシワシワかアブラギッシュでターボ老化していますw

 

 

映画のマトリックスでは、本当の現実のごはんがシンプルなおかゆでしたw

その話はこちらの記事「マトリックスデクラッチョ16 本当の自分の世界は、命があることが最高の状態になるような質素なもの、洗脳の鎧を取り払う引き算」をご覧ください。

それは、ウソ偽りがない世界で生きているということ、命があるだけでも素晴らしいことだということをあらわしています。

ウソ偽りの世界マトリックスで、華やかに贅沢をして命をすぐ失うより全然ましなのですw

青い錠剤を選ぶとウソ偽りの偽世界で今と変わらない生活ができるけど自分か家族の命を失うことになります。

それは、まさに、この世で今起きている現状です。今の世界のシステムを信じて従っている人ほど命を失っています。

 

赤い錠剤を選ぶと真実しかない世界で過ごすことになります。しかし、真実は、今見ている偽世界と全然違うので、それが良いのか、気にいるかどうかは不明ですw ただ偽り、ウソがない、本当の自分でいられるというだけですw

それと同じで、本当の現実世界の真実は、過剰な装飾がなくてそうとう地味だということです。

 

 

華やかで人が集まり賑わうところに真実の答えはない

このことから、メタバッチョ内でにぎわっているような華やかで人が集まる場所には、本当の現実から見た真実の答えはないということがわかります。

そういう場所にあるものは、メタバッチョ内専用の世界観演出プログラムの洗脳情報だけです。

この世は、多数が集まるほど正しく、良いものに見えます。

しかし、それは毒エサが真ん中にあるゴキブリホイホイにゴキブリが集まってきているのと同じ状態なのですw

人がたかってくる有名人、SNSの大型アカウントなどがまさにそれであり、それこそが第三階層の大衆の心のフォルダなのですw

バズること、有名になることがすごいことだと思っていたらゴキブリホイホイと同じで、メタバッチョの世界観演出プログラムの奴隷だということですw

 

 

目立たなくて地味であることは、守られている証拠

本当の自分を100%発揮している純粋な状態でいるという意味でのすごい人というのは、外側の事はどうでもよいので見た目は地味に見えます。

だから、大衆に気づかれることはありません。

大衆に気づかれないということは、第三階層の大衆の心、グループソウルに気づかれていないので、高次元の本当の自分に守られているということです。

この世は、何かで目立ったらメタバッチョ内専用の世界観演出プログラムに巻き込まれているということになります。

 

メタバッチョという偽の華やかな世界は、ヤーミー要素が95%以上でメインなので、常に活発で、進化、発展、成長をし続けることが良いことであって、たくさんの種類や量や何かがあればいいと思われている場所です。

だから、こういう話をしても信じてもらえないし相手にもされませんw

地球上の合計でも気づく人は、物置の上に乗れる人数以下のほんの僅かというのが現状ですw

その理由は、90%以上の人々がシステムプログラム人間のマトリックス専用NPCで、第三階層のプログラムで完全に封じ込められていて、その中だけで操られているからです。

 

このゲームの話に出てくる光の意味「霊、鎮静、停滞、平穏、波風がないもの」、本当の自分を基準にしたよきものと同じ状態の人は、キツネに騙されて、幻想の世界で、金をバラまかれて華やかなパーティーでごちそうを出されても、それが蜃気楼で枯れ葉の束、泥の食べ物だと見敗れる人です。

これは、100%コーチャクインによる偽札のやらせでしょうw

こういうのにすぐ反応してしまう人は、ナチョス文化の奴隷で第三階層のプログラムに完全に操られているということです。

枯れ葉で人間性まで変わってしまうのですw

まさに、「霊、鎮静、停滞、平穏、波風がないもの」ではありませんw

それは、キツネに騙されて幻想のパーティーで枯れ葉の束と泥のごちそうを出されてもそれに気づかず、自分は特別な世界にいて特別扱いされている人だと思い込んで酔いしれてイキッテドヤッテマウントを取る可能性がある人たちだということですw

しかし、このメタバッチョを去る時は、今まで一生懸命築き上げたナチョス文化の何もその後に持っていくことはできません。

意識だけは、引き継げる可能性もあるし、ないかもしれませんw

それは、死なないとわからない未知の世界ですw 死んでもわからないかもしれませんw

もしかすると、マトリックス専用NPCは、プログラムなので自分が経験したこと、楽しかった記憶さえも消去されてしまう可能性もあります。

 

 

この続きはこちらです。

ゲームからのデクラッチョ10 すべてに打ち勝つ最強の力、3次元の世界は偽りの世界しかない、霊はありのままの姿なので偽る必要がない

 

 

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