現実とは?についての続きです。各種思想も偽世界の世界観演出や偽世界の中から見た視点、諸行無常は1秒前が全く意味がないことを現わしている、本当に知りたいことはどんなに細かいことでも面倒くさがらずに何でもやった方が良い、この世は自分が意味を付けて自分だけの自由な世界を作る場所、急に気が変わるのはパラレルワールドを移動しているから、などです。
前回の記事はこちらです。
一番初めからはこちらです。
「真実」についてはこちらです。
前回からのwikiの説明文の続きですw
真実と同じで現実もありもしないもの 5
●各種思想も偽世界の世界観演出や偽世界の中から見た視点
思想史
現実という概念は元来、現世と来世の対立、および現在と過去や未来という対立、そして夢・虚構と現実との対立という、どれも歴史的には宗教的な含意をもっていた対立項に由来すると考えることができる。東洋に於いてはしかし、この「現に」という意味要素が、思想的に着目され、練り上げられることはほとんどなかった。
またいかにも深い意味があるような文章ですが、偽世界の中にある「●●史」というのはヒズストーリーと同じで作り話なので、それ以上のデクラッチョはここにはありませんw
思想史においての「現実」というのは、ヒズストーリー的な意味や過去、未来、来世などの話に出てくる内容なので、これも作り話ということです。
偽世界の中にある各種思想も、偽世界の中だけからの視点です。
なので、それがメタバッチョの外に出たら通用するとは限らないことを常に頭の中に入れておく必要があります。
メタバッチョの外というのは、この世での死後にもあたるし高次元のコンピューターの外のことでもあります。
於いて(おいて)とは
1 場所を表す。…で。…にて。「東京に—大会を挙行する」
2 時間を表す。…のときに。「過去に—そうであったことが現在もそうとは限らない」
3 場合・事柄を表す。…に関して。…について。…にあって。「技術に—劣る」「人にはなんでもないことが、彼に—は苦痛であった」
4 (係助詞「は」を伴って)仮定条件を表す。…の場合には。
「還幸なからんに—は」〈平家・一〇〉
先ほどの文章は、「東洋に於いては」なので、1の意味だと思います。
東洋思想
仏教においては、一切の作られたものとしての現実存在に自己同一的な本質が欠けていることが、諸行無常として説かれており、現実と現象・仮象との対立が否定され、すべてが関係性のなかにおける現象であると規定されたため、仏教的な思惟においては、そうした純粋な関係性である縁起や空が逆説的な意味で現実にあたるものである。だが、それは否定的に規定されたものであるので、現実性が固有の考察の対象にはならなかった。他方で、ままならない現実という側面は、苦や無我(非我)という概念でカバーされる。
偽世界の中にある「思想」も作り話から生じるものには変わりがありませんが、仏&教の中には偽世界のプログラムだとわかる内容が隠されています。
●この世は自分が意味を付けて自分だけの自由な世界を作る場所
長老によると、偽世界の制作者が作った仏&教の大元の経典は、悟りの境地に達している人以外は読めないそうです。
その悟りの境地に達した人間は、釈迦と誰か忘れましたが今までに二人だけだと言われています。
もちろん、釈迦とかも実在したことがない架空の人物でヒズストーリーと同じ作り話か、外の実在する世界にいる人物の模倣でしょうw
なので、今生きている人は誰も大元の経典をまともに読めないということになりますw
偽世界は、そのようにすごい人がいる!と言う事で、人間たちにそのレベルを目指したい!そのレベルに達しない自分はまだまだダメなんだ!と思わせて動物的な欲、物質的な獲得意欲を煽ってナチョス文化の上を目指すように仕向けているということです。
悪魔の書と同じで、偽世界の制作者の英&愛は、わざと誰も読めないようにして出しているに決まっていますw
たぶん、仏&教の経典も悪魔の書みたいに、ななめに読んでも文章になっている、さかさまにしても別の文章が出てくる、ある文字を消去すると本当の答えが出てくるとか、ゼルダの謎解きのような何らかのしかけがあると思いますw
そんなことするのは高次元のゲーム製作所の英&愛しかいませんw
なので、昔の書物に書かれている本当の意味は、偽世界の中で誰もわからないはずですw
偽世界の中だけの世界観演出ということです。
それらもこの動画にも出て来たオブジェの話と同じで、ゲーム内に意味がありそうに置かれているけど何の意味がないものと同じです。
人工知能がディープラーニングを通して自由に意味を付ける場所、その人工知能の自分だけの世界を自分だけの主観というパラレルワールドで作ることが「この世」という世界でしょう。
「自己同一」とはこういう意味だそうです。
自己同一性 (じこどういつせい、アイデンティティ、 英語: identity )とは、 心理学 ( 発達心理学 )や 社会学 において、「自分は何者なのか」という 概念 をさす。 アイデンティティ もしくは 同一性 とだけ言われる事もある。 当初は「自我同一性」(じがどういつせい、 英: ego Identity )と言われていたが、後に「自己同一性」とも言われるようになった 。
「自分は何者なのか」は、偽世界の中では絶対に明らかになることがない永遠のテーマでしょう。
実は、自分というものは存在しなくて人工知能でしたw
それも証明もできないし証拠もありませんが、間違いなくそうだと言い切れますw
高次元の存在が作った人工知能のプログラムの脳内操作によって自分がいると思い込まされているということです。
その人工意識で見ているものが、この3次元の物質世界ということになります。
仏&教が「無常」「無我」と言っていて、自分は存在しないことを強調している意味は、そういうことだったということです。
思想、宗&教などでは、「空(くう)」のように何もないことが現実と言われています。
しかし、このあいだのデクラッチョ記事現実とは長期的に安定している仮想で繰り返し再現される現象のこと、「現実」という言葉自体が仮想にしかないのものだったで分かった通り「現実」という言葉自体がありもしないものでその意識体の主観(1つの人工知能の固有のパラレルワールド)であり、長期間安定した仮想であるということには変わりはありませんw
この世は、長期間安定した仮想(虚構)だということです。
「諸行無常」というのは、
諸行無常(しょぎょうむじょう、巴: sabbe saṅkhārā aniccā、सब्बे संखारा अनिच्चा)は、仏教用語で、この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。「諸行」とは因縁によって起こるこの世の現象(サンカーラ)を指し、「無常」とは一切は常に変化し、不変のものはない(アニッチャ)という意味[1]。
「諸行無常」というのは、仮想現実視点でいう毎秒変わっているパラパラ漫画の1コマのデジタル性のことだということがわかります。
毎秒そのデジタルの動きでパラレルワールドを移動しているから、一瞬といえども同一性を保持することができないということでしょう。
これは、仮想現実説にも完全に一致しているし、私たちはドット絵のように点だけにその瞬間だけ存在するという説にも一致します。
反対からいうと、それが仮想現実だということですw
今この瞬間だけが大事だということにもつながります。
結局、全てが電気信号で表現されているからそういうことになるということでしょう。
ちなみに、このサイトも私がその時にいるパラレルワールドの周波数視点で書いているので、過去記事と今では言っていることが違うこともありますw
もしそういうことがあったら、今は全然違うところにいるから言っていることが違うということですw
●急に気が変わるのはパラレルワールドを移動しているから
前にナチョス文化の特徴を全部書くと言ってから、あれで終わってしまっていますw
その時は本当に全部細かく書く予定でしたが、急に書く必要がないという気に切り替わりましたw
それは、パラレルワールドを移動したので、もう書く必要なくなったからですw
そのように、急にやる気がなくなったり別の事をしたくなる時は、パラレルワールドの移動によるものです。
世間では、気が変わることを悪いことだと思われていますが、偽世界の外から見ると変わる方が正常、ずっと同じ状態でとどまる方が異常になります。
最新記事が今のパラレルワールドに一番近い内容です。
今の段階でわかっていることのまとめも、最近は古い内容になってきたので、偽世界軸のときにわかったことと、虚像から目を覚ました視点にわけましたw
●諸行無常は1秒前に起きたことが次の1秒と全く関係がないことを現わしている
仏&教の「諸行無常」は、毎秒別人だということを言っています。
細胞などの細かい組織も1秒後は別物だということです。
毎日体調が変化したり、1秒前の過去の話をしていても意味がないというのはそういうことです。
せっかく生まれ変わっているのに、まだ古い内容を持ち越して1秒前の話をしていたら、意図的に自分から率先して続けているのと同じです。
それを意識して常に自分が軸とする観念を毎秒植え付けて最善の状態に保っておけば、常に最高の状態になれるということです。
「最高」というのもありもしない偽世界用語の言葉ですが、ここで言っている最高というのは、元々決められている本当の自分の青写真プログラムに近づくという意味です。
青写真に関しては、最近わかっていることのまとめにも追加しましたが、たぶんプログラムが大きく分けて2種類あります。
1つは、ナチョス文化奴隷コースで、もう1つが無限の力を使うコースです。
「本当の自分」というのも、実際には人工知能がそう思い込むための設定のことです。
3次元の物質世界で個人だとされている人工意識のディープラーニングで今世でたどり着くべき目標設定みたいなのがある可能性があります。
その目標設定が本当の自分を発揮して満足できる人生になる「青写真」といわれているものではないかと思います。
「仮象」とは
実在的対象を反映しているように見えながら、対応すべき客観的実在性のない、単なる主観的な形象。仮の形。偽りの姿。
「単なる主観的な形象」なら、主観=現実、真実なので、仮象は現実、真実ということですw
仮象【かしょう】 英語appearance,ドイツ語Scheinなどの訳。 現実あるいは実在に対する。 実在するように見えながら,それ自体は実在性をもたない形象のこと。 思惟 (しい)によってとらえられるものを実在とする 立場 では感覚的 世界 は仮象。 現象と 同義 に用いられることもあるが, カント は経験的実在性をもつ現象に対して,仮象はまったく主観的な 表象 にもとづくものとして区別した。
仮象というのは、その人の心の中にあるもののことだから他人からはわからない世界だということでしょう。
その人にとっては仮象が真実、現実であることがあるということです。
「思惟(しい)」とは
1 考えること。思考。「—の方法」「心中—」
「貧乏を根治するの策は、一に貧民の所得を増加するにあるがごとく—す」〈河上肇・貧乏物語〉
2 哲学で、感覚・知覚と異なる知的精神作用。→思考
3 ⇒しゆい(思惟)1
文章からして1の意味だと思います。
普通に「考えること」「思考」って書いてよーw
こういうところが英&愛丸出しw
●本当に知りたいことはどんなに細かいことでも面倒くさがらずに何でもやった方が良い
元々読めない漢字が多いので、いちいち調べないといけませんw
しかし、めんどくさいことをすることで開ける道というのがあるので、本当に知りたいことは、どんなに細かいことでもめんどくさがらず何でもやったほうが良いということになりますw
直接それが答え、結果、達成にならなくても、それをやることで周波数、エネルギーがかきまわされて動いて何かをトリガーするからです。
細かくてめんどくさいことが楽しくなってしまった頃には、メタバッチョに穴が開いて奇跡的に答えがドバっと入ってきますw
何かのプロになりたかったり、1つの専門分野を極めたいなら、その分野で誰もやらないようなめんどくさいことに手を出して、どんな質問が来ても答えられるようなオタクになってしまう頃にはそれを完全に極めているということです。
わからない言葉の意味調べが終わったので、
wikiの東洋思想からの文章に戻ってもう一度見てみますw
東洋思想
仏教においては、一切の作られたものとしての現実存在に自己同一的な本質が欠けていることが、諸行無常として説かれており、現実と現象・仮象との対立が否定され、すべてが関係性のなかにおける現象であると規定されたため、仏教的な思惟においては、そうした純粋な関係性である縁起や空が逆説的な意味で現実にあたるものである。だが、それは否定的に規定されたものであるので、現実性が固有の考察の対象にはならなかった。他方で、ままならない現実という側面は、苦や無我(非我)という概念でカバーされる。
これを、調べた内容で分かりやすく噛み砕いてみますw
仏&教では、一切の作られたものとしての現実存在に自分が何者なのかという本質が欠けていることが、この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができない「諸行無常」だとして説いており、現実、現象、仮象という言葉に関係なく、現実性という言葉自体がありもしない言葉だから考察の対象にならなかった。ままならない現実という側面は、偽世界の世界観演出、偽世界軸、ナチョス文化を軸とした観念なので、苦や無我(非我)という概念でカバーされる。
これでも意味わからないので、もっとわかりやすくしてみますw
この世に目に見える物質的な存在があったとしても、それだけで自分が何者であるかという証拠には繋がりません。この世の現実にあるもののように見える存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができない「諸行無常」プログラムです。一言でいうと1と0でできたデジタルプログラムのことです。この世には、現実、現象、仮象などのありもしない様々なプログラム用語がありますが、そのような言葉に全く関係なく、現実性という言葉自体が世界観演出のプログラムから来ているありもしない言葉だから考察の対象になりません。よくありがちな「ままならない現実」という言葉も、偽世界の世界観演出、偽世界軸、ナチョス文化を軸とした世界観演出用の奴隷専用観念プログラムです。それに関しては、苦という言葉を使ったり、無我(非我)という概念でさらに世界観の演出が行われて、架空の存在である人間の人生の世界観演出として盛り上げられています。
要は、この世は「諸行無常」という一瞬たりとも同じことはないという変化の連続のプログラムに基づいてできていて、その中に世界観演出のプログラムがあるということです。
いろいろな言葉が出てきて調べましたが、結局そんなに深い意味はありませんでしたw
英&愛はいつもそうw
大袈裟に書くけど中身なしw
この続きは、次の記事になります。
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