「他人を支配したがる人たち」の復習の続き6回目です。
こちらの本を参考にして書いています。
毒人間完全攻略本
トカゲ気質のコントロールで人生が左右される
教科書 P22
よちよち歩きの幼児がお気に入りのおもちゃをめぐって争う
子供がこうやって天然で争うのは、トカゲの本能と自己主張のための良い意味での攻撃性が両方ともごちゃまぜになっているからです。
幼児が戦ってしまう理由は、その頃はまだトカゲ気質をコントロールできないからなので致し方ありません。幼児は、成長や人生経験とともにトカゲ気質のコントロールを学ぶことになります。
「トカゲ気質をコントロールする」ということは、自分の中に猛獣がいて、その猛獣を飼いならすことに似ています。
もともと悪魔の一部として生まれてきた悪役イキリドヤリマニピュレータートカゲ以外を除く、普通の人間は、成長過程で、自分の中にあるトカゲ気質のコントロールを学べないと、イキリドヤリマニピュレータートカゲという大人になってしまいます。
人間には、トカゲの悪い攻撃性と命を守って生きていくための良い攻撃性の2つがあります。そのうちの悪い方のトカゲの攻撃性をコントロールする必要があるのです。それについては、こちらの記事をご覧ください。
わざと人間同士を戦わせるナチョス三角形の社会システム
人間の文化もまたこの攻撃性に色濃く染められている。
ナチョス文化のことですw 色濃すぎますw
人間の文化が攻撃性に染められまくっている理由は、イキリドヤリマニピュレータートカゲ三角形ナチョスの洗脳で作られた文化だからです。
利益をめぐる政党間の熾烈な論争、企業社会では競合が当たり前、原告被告が双方で争う司法システムにいたるまで、人が生きているこの社会には、闘争の糸がおびただしい数で折り込まれている。
というのも洗脳により、わざと人間同士を戦わせたり、競争をさせているからです。それが三角形ナチョス文化なのです。闘牛のように、ナチョスがわざと戦わせるためにあちこちに赤い布を置いているというわけです。大衆はそれに洗脳されて騙されているのです。
しかし、政治の論争や世界的なことに関しては、「シナリオありの茶番劇場」なので、本気で論争をしているわけではありません。そう見せているだけです。「社会でこんなことが起きました!大変だ~!」「尾身クロン怖い怖い!」というウソの演技を見せることも洗脳の1つです。
そういうことをする理由は、裏で金儲けをしたいなどの何かしらの目的が必ずあります。わかりやすい例がコロナ茶番や、けーPOPハロウィン事件や、今、北のほうから何かが飛んできていてドンパチ始まりそうなやつです。それらは、大衆扇動以外の何物でもありません。テレビで劇場を見せている裏では、別の何かが行われているのです。
個人も人を相手にして訴訟を起こし、夫婦はひとたび離婚を宣告すれば、親権をめぐって闘いをくりひろげる。限られた職を求めて競い合うこともあれば、特定の目的や価値観、信仰や理念をめぐって人は争わずにはいられないものなのだ。
これらの争いだらけの社会からわかることは、訴訟、司法、結婚制度、家族制度などは、「わざと争わせるために作られたナチョスの洗脳でしたー。」ということですw それが闘牛でいう、あちこちに置かれた赤い布なのです。
ナチョス三角形が、わざと人間同士を戦わせるための制限や枠組みを作っているということです。ナチョスは、「人間は、半分トカゲの血なのですぐに戦うだろう」ということを知ってそれをやっています。大衆は、その制限や枠組みの中に入れられて、そこで人間同士が喧嘩するように仕向けられているのです。
イキリドヤリマニピュレータートカゲは、ターゲットを踊らせます。ナチョスという地球を支配しているイキリドヤリマニピュレータートカゲのトップ層は、それを社会的に地球上でやっているということです。地球規模大きすぎw すごいですねw こうやって開き直って堂々と世界を操って詐欺るところは、本当にすごいなーと感心しますw
「相手を踊らせる」話については、こちらの記事をご覧ください。
他人を支配したがる人たちの復習2 心理学、精神分析は、無効どころか逆に悪化をするイキリドヤリマニピュレータートカゲの被害
基本的に、規模が大きいナチョスの三角形社会だとしても、やることは、一般大衆の中に潜んでいて、神に選ばれし者をタゲっている個人のイキリドヤリマニピュレータートカゲがやる内容と手口は、まったく同じですw なので、一度イキリドヤリマニピュレータートカゲについてマスターすると、地球規模でも個人的な問題でも、どちらでも見抜けて解決ができてしまいますw
「限られた職を求めて競い合う」というのは、ほとんどの人間は、潜在意識の無限の力を知らないからです。無限の力を知っていたら、誰とも争わず、誰も傷つけずに、潜在意識の中にある無限の宝庫から自分の欲しいものを全部手に入れることができることがわかります。
教科書 P23
精神医学者のアルフレッド・アドラーはかつて、人間には社会的な優越性をかぎりなく追い求めてやまない一面があると指摘した。
それは、人間には、爬虫類のDNA、トカゲの血が入っているからです。人よりも優越性を追い求めたがるのがトカゲ気質です。それは、命を守るためや生存をするために全く関係ありませんw 命を守るためや生存に全く関係のない闘争心をトカゲ気質と言いますw
人は公私にわたる優位性を勝ちとるため、権力や名声、確固たる地位を求めてたがいにしのぎを削っている。
そうなってきてしまうと、完全にトカゲ気質丸出しですw まだそんなことをしているようであれば、悪魔から来ているエネルギーを全然手なずけられていませんw
人生を決定する究極の選択、「トカゲ気質でイキッテドヤッテ虚しい道に行くか、無限の宝庫に行くか。」
実際、日常生活のさまざまな面で人はかぎりなく争いをくりかえしているが、これが人間のうそ偽りない姿なら、人間とはつねに攻撃の機会を求めている存在であり、その唯一の例外のときこそ、人を愛している状態なのだと言ってもさしつかえはないだろう。
人間が、常に攻撃の機会を求めているか、愛しているかしかないのであれば、
「俺か、俺以外か。」のように
「争うか、愛か。」のどちらかしかないということです。
つまり、
人間とは、「トカゲか、神か。」ということになります。
素晴らしくわかりやすいですねw
トカゲの血50%が入っていることが、証明されましたw
人間が、何かを愛している時間が長ければ長いほど、攻撃の機会を求める時間がなくなるとも言えます。愛があふれている人には、トカゲ気質がない、出ていないということです。
これは、エネルギーの法則にも一致します。エネルギーは、1つだけあって1つの方向にしか行きません。それが悪魔の方向に向いているか、宇宙の神のよきものに向いているのか、どっちかということになります。泣くのと同時笑うことができないというのと同じです。
こういう話は、いろいろな精神論でも言われているしたくさん本も出ています。それを読んだり、こうやって考えると非常に簡単なのですが、実際に人間は、トカゲ気質であるエゴが邪魔をしているので、このシンプルで一番簡単なことができません。それだけトカゲ気質(エゴ)は、強力なのです。だから人生の成長過程や経験の中で、トカゲ気質の手なずけが大切になってくるというわけです。
「愛する」というのは、恋愛や人、動植物に対してだけではなく、仕事や、楽器を弾いたり歌ったり、サッカーをしたり、ゲームをしたり、旅行を楽しんだりすることなどの趣味や活動も含まれます。
人間は、趣味や活動で何かを楽しんで没頭します。没頭しているときの状態は、恍惚状態です。そのときは、内側から神のエネルギーである愛が出ています。何かを愛している状態の時は、トカゲ気質が下がっている、引っ込んでいる、消えているということになります。
人生は、毎秒、「トカゲのままでいて、いつまでも争いが絶えない悪魔の闘技場のような人生」を歩むのか、「宇宙の神と一体化してよきものの無限の宝庫の中で謳歌する天国のような人生」を歩むのか、という究極の選択なのです。
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