地球茶番 地球は悪魔の目?の続き ヨハネの福音書6の56を理解する

平清盛地図深堀り動画、前回の続きです。

こちらの動画を参考にして書いています。

前回の記事(動画前半のまとめ、要点、考察)はこちらです。

地球茶番 地球は悪魔の目?天蓋の中は、悪魔概念盛りだくさん

動画のまとめ、要点、考察

地球は巨人の眼球の中

地球が巨人の眼球という話の続きです。そこにもう1つあったヨハネの福音書6の56の意味を理解するために1つの話を全部読んでみたいと思いますw

こちらを参考にしています。

ヨハネによる福音書 6

イエスは命のパン

22その翌日、湖の向こう岸に残っていた群衆は、そこには小舟が一そうしかなかったこと、また、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたことに気づいた。

舟が一そうしかなかったので、イエスは乗らなかったそうです。聖書は全部比喩なので、イエスというのは、自分自神をあらわしています。自分自神は、群衆、大衆の心に合わせて行動しなかったということになります。素晴らしいw

 

23ところが、ほかの小舟が数そうティベリアスから、主が感謝の祈りを唱えられた後に人々がパンを食べた場所へ近づいて来た。

さっき1そうしかなかった小舟に満員電車のギューギュー詰めのように無理矢理乗らなくてラッキーだったということでですw 奇跡的にほかの小舟がきたそうですw

こういうのよくありますねw 後の方がいいことが起こるというw ドクチンに飛びついて慌てて打たなくてよかったというのと全く同じですw

 

主というのは、神、無限の力でしょうか。たぶんイエス=自分自神が無限の力に従って善行を行っているので、無限の力が感謝として自分自神を信じてくれた人に近づいてきたということです。奇跡とは、そうやって起こります。

パンというのは、山崎パンとかの食べ物のパンではありませんw 普段の思考、信念のことでしょう。人々が無限の力で思考した場所、無限の力を信じた場所にまた近づいてきたということです。無限の力を信じているとそうやって善良なものや自分が助けた人たちが近づいてくるということを表しています。

 

24群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。

大衆の心は、イエスも弟子たちもいないことを知って探しまくったのですw

大衆の心は、自分自神を持っていないので、探したり焦ったり不安になったり迷ったりするという意味でしょう。

 

25そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。

ラビというのは、先生や教師、私の大いなる先生という意味があるそうです。

誰が見つけたのかわかりませんが、誰かが自分自神を見つけたということです。

 

26イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。

自分自神から見ると、自分自神を捜している人は、無限の力のことを心底理解していないのに、表面だけでやっているということを見破っているということだと思います。

 

27朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」

その場しのぎのトカゲ気質のようなイキッテドヤッテマウントをとって人を支配し、服従させて自己陶酔をするような思考、信念ではなく、いつまでもなくならない永遠の魂にも良い思考、信念を持ちなさいということです。

人の子がというのは、何なのかわかりませんが、人間を作った人の中にある無限の力という意味でしょうか。無限の力である神が、人の子というのを認証しているので、無限の力が通っている人かなにかということですw 神に認証されている高次元の存在みたいな意味かもしれません。それらが与える食べ物が無限の力に基づいた善良な思考、信念ということになります。

 

28そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、

彼らが誰なのかよくわかりませんが、またイエスにこういうことを聞くと長ったらしい説教が始まっちゃいますよーw

 

29イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」

無限の力が通っている者を信じること、それが神の業であるということです。

 

30そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。

質問の内容からして、彼らというのは、無限の力のことをわかっていない信じていない野郎ども、3次元思考の大衆の心ぽいですねw 大衆の心の野郎どもが「自分たちから見て自分自神を信じることができるように自分自神は、どのようなしるしをつけてくれますか、どのようなことをしてくれるんですか?」と言っています。しるしというのは、3次元的に物質的に目に見えてわかることを言っている可能性があります。

自分自神は、自分を通してしか気づけないので、外側に見せてくれとか目に見えてわかるようにしてくれと言われても無理ですねw 目に見えることでしか判断できないなら、無限の力とは無縁なのです。

 

31わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」

マンナというのは、神の賜物という意味がある食べ物だそうです。私たちの先祖は、ひどい荒れ野のようなことがあった時に、無限の力の神と同じ思考をするように導いた、天が彼らに無限の力と同じ思考を与えたという意味でしょう。

32すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。

イエスは、「はっきり言っておく」と言うのが好きですねw

モーセというのは、モーセの書という言葉だけは有名ですが、意味は知りませんでしたw ネットで調べたところによると、天地を創った唯一の神らしいです。いろいろ創った神が多すぎるし、歴史は捏造なのでどれが本当かわかりませんねw とりあえず、本物の神は、無限の力1つだけだと覚えていれば良いでしょうw

モーセという天地を創った唯一の神が天からの思考をあなたがたに与えたのではなく、自分自神の中にある無限の力が、天からの本物の思考を与えるのだということです。人が言っている宗&教の神ではなく、自分の中の無限の力という神が本物だということを言いたいんだと思います。

 

33神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」

無限の力の思考は、突然やってきて、世にあらゆる可能性を与えるものであるということでしょう。

 

34そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、

大衆の心の野郎どもたちが「神様、その思考をいつもわたしたちにください」と言いましたw

 

35イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。

自分自神が何にでも可能性を与える生きている思考である。自分自神に気付く者は、決して解決しないことも手に入らないものもなく、自分自神を信じる者は決して不満になることはない。ということです。

 

36しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。

3次元思考の大衆の心の野郎どもたちは、自分自神を見ているのに信じていない、それは前にも言ったはずですが、まだ信じないのですね、ということです。3次元思考の大衆の心の野郎どもたちは、自分自身が自分自神だということを全然わかっていませんw

 

37父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。

無限の力が、自分自神に与えてくれる人は皆、自分自神のところにやって来る、自分自神のもとに来る人を自分自神は、決して追い出さないということです。わかりやすく言うと、無限の力が、自分の願いをかなえてくれる人を自動的に引き寄せて、出会わせてくれますよという意味でしょう。その人たちを大切にすることで、叶うということです。だから「目の前の人を大切にしましょう」なのです(もちろん悪魔以外ですw)。

 

38わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。

自分自神が生まれて来たのは、自分の意志を行うためではなく、自分自神を動かしている無限の力の心の一部として自分が活動をするためであるということです。自分は、無限の力、神の一部として生まれて来て、無限の力、神が表現したいとおりにその創造を手伝っているということになります。

 

39わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。

終わりの日というのが、一体何なのかわかりませんが、キリストが処刑される日のことか、アヌンナキが言っていた創造の期間が終わる時のような締め切り的な意味か、文明リセットのことかもしれません。

どっちにしろ聖人ストーリーを含む歴史は全部ウソ、捏造、改ざんなので、本質さえわかれば、細かいことはどうでもいいと思いますw

自分自神を動かしている無限の力は、自分自神に湧き上がるアイデアを一つも失うことなく、何かが崩壊したとしても復活させることができるということでしょう。

とにかく、無限の力は、リセットだろうが何者かに破壊されて全部失い全てが終わったと思うような日でも、欲しい時に、必要な時に、自分自神を通していつでもアイデアをくれて、終わる前と同じ状態に立て直すことができますよということです。

創造主は、自分が創造をしたので、いつでも元通りに修復可能だということが言いたいのでしょう。

 

40わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」

自分自神の中にある無限の力は、自分自神に気づいている人を見て信じる者が魂として永遠の命を得ることであり、自分自神がその人も終わりの日に復活させるということです。終わりの日というのは、肉体を終える日のことかもしれませんね。もうちょっとシンプルにまとめると、自分自神がわかっていれば、肉体を終えても無限の力の中で永遠に生きているということでしょう。

 

41ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、

ヨハネの福音書の中では、ユダヤ人は、どうやら群衆という意味があるそうです。3次元思考の大衆の心の野郎どもということでしょうw

大衆の心の野郎どもたちは、自分自神が無限の力からきた思考であると言ったので、自分自神のことでつぶやき始め、

 

42こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」

こう言った。「これは、無限の力の息子の自分自神ではないか、我々は、無限の力を知っている。どうして今、『自分自神は無限の力から来た』などと言うのか」

大衆の心の野郎どもは、無限の力を知っているんですねw 本当かなー?w

 

43イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。

自分自神は、「つぶやき社はコーチャクインのウソだらけです、真に受けて戦い合うのはやめなさい」と言ったw

じゃなくて、

人間には、自分自神がいるので、くだらない論破をやめなさいという意味だと思いますw

 

44わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。

自分自神を導いてくれる無限の力が引き寄せてくれなかったら、誰も自分自神のもとへ来ることはできない。自分自神は、その人を終わりの日に復活させる。

無限の力が引き寄せてくれた人は、終わりの日が来ても無限の力と一緒に生き残らせるということだと思います。

 

45預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。

無限の力から直感を得て学んでいる人は、自分自神に気づいている人のところに来るという意味でしょうかw

 

46父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。

あれー? 前回は、イエスが、私を見た者は父を見たっていってませんでしたっけ?w 父を見た人は誰一人いないと言い出しましたw 聖書わけわかりませんねーw わざと意味が分からないように、捏造、改ざんされまくっているからさっきと言っていることが違っておかしな話になっているのではないかと思いますw

父を無限の力として考えた場合、無限の力は見えないので当たり前ですw 自分自神の直感を通してしか知ることは出来ません。神のもとから来た者だけが父を見たというのは、神から生まれた人だけが無限の力を見たということでしょうかw

 

47はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。

このセリフからして、イエスが言っていますねw 無限の力を信じる者は永遠の魂を得ているということです。

 

48わたしは命のパンである。

自分自身は、生きている思考です。

 

49あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。

あなたたちの先祖は荒れ野で神の賜物を食べたが死んでしまった。無限の力の思考をしたけど死んでしまったそうです。

 

50しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。

天から降って来た思考なら死なないということです。でも死んだというのが意味わかりませんねw

 

51わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

自分自神は、天から降って来た生きた無限の力の思考である。この思考でいるならその人の魂は永遠に生きる。自分自神が与える思考とは、世を生かすための自分自神の知恵のことである。

肉を勝手に知恵に置き換えてみましたw

肉も比喩なので、こっちの肉ではないはずですw

52それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。

3次元思考の大衆の心の野郎どもたちは、「どうしてこの人は自分の知恵を我々に入れることができるのか」と互いに激しく議論し始めました。

 

53イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。

自分自神の知恵使い、アイデアを使わないなら、あなたたちの内に魂はないということでしょう。

血も比喩です。レレレノクロムではありませんw

前からそう思っていましたが、自分自神がわかっていない人、気づけない人は、魂との接続がないので魂ナシ人間だということがここでも表されているような感じがします。

 

54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。

自分自神の知恵、アイデアを使うものは、永遠の魂を得て、肉体が終わってもまだ生きることができるという意味でしょう。

 

55わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。

自分自神の知恵、アイデアは正しいということです。

 

56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。

やっと動画に出てきた56ですw ここまでが長かったーw

自分自神の知恵、アイデアを使うものは、いつも自分自神の内にいて、自分自神もその人のうちにいるということです。

いつも自分自身=無限の力という同じような意味ばかりなので、全部読む必要ありませんでしたねw

動画では、こういわれています。

この地上にある生物を食べている間は、この地上世界から抜け出すこともできないといった意味合いがあるかのように感じますが、この前後も含めて読むと、単に、イエスの血と肉を食べれば、永遠の命を得られるという意味にしか取れないないようです。しかし、そもそも、この世界にある生物というものが、単に巨人の体の一部でしかないとしたら、それを食べている間は、そのまま巨人の体の中に永遠に残っていくことになるように思えます。

悪魔崇拝ナチョスのことなので、本物の食べ物とかけている可能性もありますが、私は、「食べる」と言う意味は、思考をするという意味ではないかと思います。マーフィーに出てくる聖書の解釈がそうだったと思いますw イエスの血と肉というのは、無限の力来る考え、思考、信念みたいなものことでしょう。

永遠の命というのも、寿命とかの命ではなくて、それも比喩で、無限の力からくる思考でいる限り、永遠不滅の無限の力と一体化して、永遠に無限の力を得ることができますよという意味のほうが近いと思います。

しかし、悪魔組織ナチョスは、それとは絶対に違う概念でやっているはずですw 何かしら悪魔的な意味を付けているはずですw

しかし、イエスがもしもこの世界の巨人の分身ではなく、創造主そのものの分身だったという事であれば、そのイエスがもたらすものを食べることによってイエスの一部になっていく、この世界の外側の存在に自分の体が変わっていくという事があり得そうに思えます。

動画の図からすると、十字架やロンギヌスの槍まであって、それが神という神の領域までつながっているので、イエスが創造主の分身という感じがします。もしかすると、この図は、ただのキリストファンのクリスチャンが妄想で描いただけかもしれませんが、もし創造主の分身だったら、マーフィーが解釈する聖書の無限の力の意味に近づきますw

 

57生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。

生きている無限の力のが自分自神を動かし、また自分自神が無限の力によって生きるように、自分自神で思考する者も自分自神によって生きるということです。

 

58これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

これは、天から降って来た思考である。先祖が食べたのに死んでしまったものとは違う。この思考をするなら無限の力と一体化し永遠に生きるということです。先祖が食べたものは、神の賜物ではなく、偽物だったということになります。光のふりをした偽光の集団が言う悪魔組織ナチョスの悪魔概念である偽占星術を基準にした悪魔に導く甘い言葉と同じだったのでしょうw

 

59これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。

カファルナウム食堂と読んでしまいましたw

カファルナウムというのは、イエスが活動をしていた町のようです。今までの話は、そのときにイエスが話していた時の内容だそうです。

 

エノク書には、ヤハウエによってこの地上が地獄にされているような様子が描かれている。ヤハウエは、目玉の持ち主で、私たちはヤハウエの目の中に生きているのかもしれない。

最後に出てきたこの話が、この動画の中で一番重要なポイントですw

呪いに満ちたヤハウエが、人々や天使たちを呪いにかけて、永遠に支配するような時代は、ヤハウエではない、その目玉の巨人の外側に存在する創造主によって遣わされてきたイエスによって終止符が打たれたようです。その終止符とは、このロンギヌスの槍が目玉に突き刺さり、その上に十字架が置かれたことで実現されたようです。正に、この時、イエスは贖罪したのでしょう。

これが終わりの日のことかもしれません。しかし、歴史は全部ウソなので、イエスが本当にいたかどうか、贖罪があったのかどうかもわかりませんw 歴史が全部ウソだから、こういうのも単なる美しい絵の作り話の可能性が高いですw

しかし、悪魔組織ナチョスは、作り話を自分たちの悪魔の力を上げるために本気で悪魔崇拝のオカルトにつなげるので、遊び半分だとしても、その概念に従うことは非常に危険です。悪魔の概念を信じてしまうと、無意識的に見えない世界の4次元の悪魔に力を与えてしまっている可能性があります。

 

イエスは、ヤハウエという目玉の巨人の中の世界にとらわれた天使たちや様々な魂、人間の魂を救うために、同じような巨人、あるいはそれよりもよぼど格の上絶対的な創造主の化身としてこの目玉の中の世界を訪れたようです。そして、今私たちはどうやら終末の時期を迎えていて、悪意あるこの世界の持ち主のヤハウエによって、滅びを志向した人たち、絶滅を志向した人たちが暗躍し、悪辣の限りを尽くす凶暴な人たちがこの世界の実権を握ってきたように思えます。

悪辣の限りを尽くす凶暴な人たちというのは、まさに、イキリドヤリマニピュレータートカゲのことです。

 

その絶滅を志向する人たちや、悪辣の限りを尽くす狂人たちに被害を受け、輪廻転生を繰り返す仲間たちを取り返すために、ヤハウエの外側から訪れてきた人たちが、この動画を見ている人たちの多くなのだと思います。

私もそう思います。今世生まれてきた人の中には、地球を救おうとして人間の姿でこの目玉の中に入り込んできた元高次元の神々がいるはずです

高次元の神々が人間の姿に転生しなくては地球に入ってこれなかったという話はこちらの記事をご覧ください。

悪魔たちは非物質化して地中に隠れている、アヌンナキは時間をねじ曲げ人々と生きた宇宙を切断をし地球の周波数を下げた

人間に転生して地球に入るしかなかった高次元の存在は地球に来てから自分が元は何者だったのか忘れてしまい元に戻れなくなった

 

その魂が、ソースのエネルギーにつながることを封じるために、幼少期からのワクチン、肉食、小学校から始まる洗脳教育、様々な悪癖、神社の鳥居による滅ぼされた魂の封印等が行われているようです。しかし、この終末の時期、ついに状況は、ひっくり返り、私たちの仲間の多くが、その本当の力を取り戻しつつあるように思えます。

元高次元の神々は、何もかも封じられっぱなしですw コロナ茶番があったおかげでその封じ込めも解除できるようになったので、気づけて良かったこともありますが、まさか地球がこんな場所だったというw

自分の中に、自分自神、無限の力、真実の光を感じるなら、元高次元の神々の一員の可能性が大です。

 

聖書は悪魔の書だった ナチョスはそれに従っている、主は自分のために地球の支配者を作った、人間と人の2種類がいる

 

命令が多い悪魔の書は、闘争、スキャンダル、死しかもたらしていない ナチョスは、悪魔と契約しそれをリアルで実行している

 

 

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