今回は長老動画ですw 「業」と「借り」は別、地球が刑務所だと言われる理由はもしかしてこれ?、借りがある親は子育で借りを返している、「借り」とは業を説明するときに使う言葉、たぶん借りは命に係わる看病や介護レベルが発生する、共同業とは、業には悪と善があるので悪を恐れるよりも善に目を向ける、業や借りというのも陰陽プログラムのことなので気にしなくていい、などです。
こちらの動画を参考にして書いています。
「親は善人なのに、なぜ子供が病気に?」仏教が説く『業(カルマ)』と『借り』の仕組み【スマナサーラ長老切り抜き】
「貸し借り」ってどういうことだろうと思っていたところ、ちょうど長老が話していたので取り上げましたw
これは仏&教の中だけで言われていることであって、本当かどうかわからないので、エンタメ感覚で見た方がいいと思いますw
業と借りは別
自分の「業(ごう)」が分けられないというのは、あたり前田のクラッカーですw
しかし、フラクタルからすると、親は自分の前世なので、親と自分に共通していることや関係していることや、似ている部分を持っているなどの何かがあるはずです。
フラクタルだから自分の家族は、似たような問題をもっているということです。
この質問もある程度で…共同業なんです。例えば良い業の両親に難病の子供が生まれたとしたら、難病で苦しんでいるのは子供ですから、子供が苦しまなくちゃあかんだからね、だからそれは子供の業なんですね。
でも子供が病気で苦しんでいると、親も楽しいわけがないでしょうに。親のノーマルな人生は全部なくなっちゃって、子供中心に親が生きようとするんです。そこで、これはお坊さんたちがこれ説明しにくいんだから、別な単語を使うんです。借りがあるのだと。
この「借り」という単語は業のために使うんです。
だから両親は善業で生まれたかもしれませんだけど、ちょっと「借り」が残っているんです。それ返さなくちゃあかんです。
「業」と「借り」は別だということでしょう。
この貸し借りも前世から引き継がれているものなので、初期設定に入っているはずです。
だから普通はそういう難病かなんかの病気抱えて、子供が生まれると両親が一生懸命もう頑張るでしょう。それでもう「借り」を返したことになるんです。
介護とかも同じでしょう。
「借り」があると、自分の人生どころじゃなくなって誰かを介護して面倒を見ないといけないような状態になるということだと思います。
これで生まれる場合でもGandhabba(ガンダッバ)と言うんです。
Ganbatteみたいw
何でしたっけGandhabbaは日本語で。
(日本語はないです)。
人が死んだらどこかに生まれ変わらなくちゃいかんでしょ。人間界に生まれる場合はなかなかチャンスないんですね。だからこの誰かの母胎に入り込まなくてはいかんですね。その母胎にもやっぱり細胞が合成していないと入らないんです。その細胞が合成した細胞が自分の家になるんだからね。だからその入る生命にGandhabbaという言葉を使ってますよ。
ネットでその言葉を調べたところ、人間として新しく生命が受胎するときに言う言葉みたいです。
前世で肉体が滅びた後、次の新しい母体(子宮)に入って新しい肉体を形成しようとする「生命のエネルギーや意識の流れ」を表しています。
そこでたくさん生命が人間界に生まれる徳がある生命がずーっと待っているんです。チャンスがないんです。
これも本当かどうかわかりませんw
ヒズストーリーと同じで架空の言い伝えみたいな感じがしますw
私は今までの仮想現実の話からして、人間は人間にしか生まれてこないと思っていましたが、情報システムのことを知ってから「意識体」として、二次元に入ったり、風、水になったり、虫、動物、植物や物にも生まれることができるかもしれない気がしてきました。
もしかすると、人間界、畜生界とかどこに行くか選べるかもしれません。
自分が信じていることが真実になります。
この世は情報だけでできているので、信じたい好きな情報を採用しましょう。
長老の話も信じるか信じないかはあなた次第です!
地球が刑務所だと言われる理由はもしかしてこれ?
なかなかもう女の子がいたからといってね、せいぜい子供を産んだっても二人に終わっちゃうしね。一万人待ってるのにね。二人しかチャンスがないという。そこでこの入り込むこと可能なのは、借りがある時だそうです。
これも本当かどうかわかりませんが、もしそういうのがあるとしたら、地球が「刑務所」と言われたり、生きづらい、悪い事ばっかり起きて苦しいとか言われるのは、「借り」がある人ばかりが入ってきてるからとも考えられます。
「借り」があると優先して地球に入れてもらえるということだと思います。
しかし、地球に入れたとしても、「借り」を返すために誰かを介護したり人のために生きないといけないから刑務所のように辛いというのもあるかもしれません。

借りがある親は子育で借りを返している
この生命というのは、Gandhabbaというのは、このGandhabba…あぁこの二人借りがある、では入りますと。
入ったらあの二人が一生懸命我が子やーってことでね、育てるわ育てるわやるべきことは何でもやってあげる。それで親がそこまでやってあげたんだから、大人になっちゃうと、おかげさまで立派な人間になりましたよということで親孝行をしなくてはいけない。そうしないと自分がどれぐらい借りをしているかと言うと、だから親の借りっていうのはもうすぐ返して終わっているんです。子育ての過程で。
子育てが「借り」を返す行為で、子育てすることで借りを全部返し終わるとするなら、子供いない人はもともと「借り」がない可能性が考えられます。
他のことに出るかもしれませんがw
でも親は命と同時に面倒を見るんだから、わが命はちょっと後回しにするんだから、そこまでやってくれるんだから、子にはたくさんまた新たな借りができているんです。それをサッササッサと返さないと輪廻転生するわするわするわ、きりがないんです。
これは、親が自分の命後回しで子供の面倒をみることで、親が持っていた「借り」以上に世話を焼いてしまうということだと思います。
そうすると、余分な分がこんどは子供のほうの「借り」になってしまうということでしょう。
もし子供が最初は「借り」が0だったら、プラスになってしまうということです。
しかし、数値が見えるわけではないので、やりすぎてしまう可能性大ですw
「借り」があると、返すために輪廻転生しないといけないのかもしれません。
そうなると、また生まれてくる場所は、地球なのかもしれません。
スピ系では、地球卒業!今回が転生最後!とか刑務所地球を抜け出す!とかいろいろ言われていて、かなり嫌がられていますが、輪廻転生でまた地球に生まれるほうが嬉しくないでしょうか?
物質世界こんなにおもしろいのに、それ以外でどこに行きたいの?w
透明になってなにすんの?w

だから数字で言えば、100万円借りちゃって、100万円の借りでしょ、だから100万円もらっちゃえばいいのに、じゃあ2000万ちょうだいと。あんたから借りたのは100万円でしょうにと。でも2000万あげたらこちら膨大な借りが現れてるでしょうに。そういうことです。
これはちょっと意味がわかりませんねーw
比喩で介護という行為で「借り」を返すと例えてみましょう。
例えば、100万借りたら、借りたほうが100万円分の介護しないといけなくなります。
たぶん、2000万円ちょうだいといってるのは、介護してもらう側の発言でしょうw
本来なら、100万でいいはずなのに、欲深くなって2000万介護してもらったら、今度は、介護してもらった人の方に借りができるということかもしれません。
逆に介護してもらう側が1900万返さないといけなくなりますw
そのことを膨大な借りが現れていると言っているのかもしれませんw
「借り」とは業を説明するときに使う言葉
だから「借り」という言葉、大体一般仏教で使っている一つの業を説明する時使う単語なんですね。
なるほどねw
だから親が幸福な親、親がすごい知識人のエリートの夫婦とかそんな関係ないんですよ。借りがあって入った生命はもしかすると、認識的な問題があることもが生まれる可能性もある。
「入った」というのは、地球に入った、母親のおなかに入ったということでしょう。

だからそんなに知識人でもない親には、抜群天才みたいな能力のある子供が生まれるでしょ。超知識人のとんでもないバカが生まれることもあるでしょう。
なんとなくわかる気がします。
病気、障害などで手がかかる子が生まれると親が自分の命を後回しにして世話をしないと行けなくなります。
それが借りを返している状態だということでしょう。
うちの親は知的障害の子持ちなので、かなり大きな「借り」があったのではないかと思います。
今までの話からすると、親になっている時点で、それとは別の「借り」もあったこともわかります。
フラクタルの話からして、親が自分の前世です。
なので、自分に「借り」があったのと同じです。
そこで清算されているから、子である私には「借り」がなくなったのかもしれませんw
たぶん借りは命に係わる看病や介護レベルが発生する
これは業は借りということになってくると、だから迂闊に他人のお世話になることっていう、そんなに…気を付けていつでも慈悲の気持ちでお世話になってもらってまたそれなりにまた自分の方から何かしてあげなくちゃいけない、
長老言葉に詰まってますがw
うかつに人のお世話になると、「借り」ができて来世大変になると言いたいのかもしれませんw
しかし、それを防ぐために、人からいろいろやってもらうことから逃げるわけにもいかないでしょうw
人からいろいろお世話になって借りができてしまっているかもしれないから良いことをしないといけない!という回避型過剰ポテンシャルになほうがもっと危険だと思いますw
たぶん、今までのは病気とかの命に係わる看病や、日常生活ができない人の介護レベルの話なので、通常人から優しくしてもらったりお世話にになることでは借りはできないでしょう。
しかし、ホスト、キャバ嬢、港区女子に何千万も貢いで、自分のご飯はコンビニのおにぎり1個とかカップラーメンとか、もやし育てて生活しているような人は、その行為を通じて前世から持っていた「借り」を返していると思いますw
この場合も、さっきの話と同じで、貢がれる方は、相手が借りを返したよりも多くもらってしまうと借りができると言えますw
見極めポイントは、自分の人生で自分の人生のことや、やりたいこととか何もできなくなるくらい、介護みたいなことをやらなければならない状況になるところでしょう。
人生の中でそんなことが起きてそれだけで一生が終わらせたら、それは本当に地獄、刑務所とも言えます。

毒親の元に生まれた人も地獄、刑務所だと感じていると思います。
しかし、それは自分から奉仕する形とはちょっと違うので、たぶん「業」です。
毒親の元にいた時にもしかすると、業を解消していた可能性があります。
そう考えると、後になって悪い事ではなかったことがわかります。
いずれにしても、親は自分の前世なので、毒親の元にいる時は自分の毒意識を処理していたという感じでしょう。
共同業とは
この共同業っていうのは、例えば業によって…
これ実際にあった出来事だから言いづらいんだけどね。建物屋根がつぶれちゃって④んじゃったと。で、そこで屋根が頭の上に落ちてつぶれて④ぬっていうのは業でしょ。その行為を一緒にやった人々はそこに集まるんです。例えば4人で過去世で何かに押さえて殺生したとしましょう。さあ4人で「せーのはい押しちゃった」「はい④んじゃった」とかね。それで4人も殺生を一緒にやったでしょ。そうやったらあなたは屋根が頭の上に落ちて④ぬ結果になるんだよと言ったらちょうど4人がそこで集まってる時、屋根が落ちるんです。結構そういうこと起きますよ、世の中で。関係ない人が紛れ込んだということじゃないんです、その場合は。
昔のニュースですけど、何かどっかヨーロッパかどこかで日本のグループが旅行して電車かなんかのところで他の観光客もみんな乗っていたら事故が起こっちゃって、結構亡くなったしその場合はもう同じ事故で、日本人も何人か亡くなっちゃって、ヨーロッパ人も何人か亡くなっちゃってとかね。だから今の世の中で付き合い何もなくてもその時ちゃんと一緒になる。
こういうのは全部台本です。
そういうストーリーの映画を体験するマネキンに入っていたということです。
台本に書かれていないことは起こらないそうです。
トランサーフィン1にこういうことが書かれていました。
飛行機かなんか忘れましたが何かの大事故で一人だけ助かったという人がいたそうですが、なぜ助かったかは、その人の台本にはそれがなかったからだそうです。
いくら自分の周りで悲惨なことが起きていたとしても、自分の台本にそれが書かれていなかったらその人は影響を受けないそうです。
なので、無限個ある中の理想マネキンに入って、理想の台本を選ぶに越したことはありません。
トランサーフィン的には、業とかそういうことよりも、普段からの小さな選択の習慣の結果で、そういうのを引くかそうでないかの確率が決まってくると思います。
しかし、嫌なことや怖いことを避けることに必死な回避型になってしまうと、裏にある恐れを強調して逆にそれを引いてしまうので、それも注意が必要です。
回避型というのは、そのことが起こる前提で事前に準備や予防をしたり、対策をすることです。
意識しているということは、そのことを観測しているのと同じなので、波動だったものが粒子になって確定し、物質化、現実化してしまいます。
深刻な場合は、過剰ポテンシャルによる平衡力もやってきてしまいます。
長老の今の共同業の話は、その人たち全員の台本の中にそういう結末になるというストーリーが入っていたと言えます。
それが共同業だったかどうかは確認のしようがないので不明です。
しかし、五感で確認できる範囲にいる他人は全員自分の前世ですw
その視点で考えると、共同業というか全員自分なので、自分だけの単品の業と同じだということがわかります。
それで…今は悪業の説明…
業には悪と善があるので悪を恐れるよりも善に目を向ける
業は悪だけではなくて善もありますからね。
悪を恐れるのではなくて、善に目を向けましょうw
量子的にも、焦点を当てているものが確定します。

共同業の場合は、共同善もありますからね。例えばコロナが始まった時は安部さんがみんなに10万円配っちゃったでしょ、私ももらいましたからね。
あへちゃんなつかしいw
私の場合はもらう前に誰かが20万かなんかお金を持っていっちゃったんだから、あまり私にとってはプラスにならなかったのだけど。
だからそういうことで、日本人が10万円もらう業があって、私もこちらに入り込んでいたんだからもらいましたという。もし私はその時自分の国にいたならば何ももらえません。代わりに政府にいじめられるだけのことになる。
そういうことで良い業、悪い業、両方あります。共同業の場合は不幸になる時はその関係ある人は一緒に不幸になる。幸せになる場合は関係ある人は一緒に幸せになる。はい、以上です。
「共同業」というのは、初耳でした。
それは、そんなに気にしなくてもいいと思いますw
自分の単品の業のほうが起こる割合は大きいでしょう。
「借り」の話は出てきたけど、「貸し」については出てきませんでした。
無条件の愛は見返りを期待しないので、貸しは関係ないのかもしれませんw
返してもらおうと思って、貸しまで気していたら条件付きの愛で商取引になってしまいますからねw
業や借りというのも陰陽プログラムのことなので気にしなくていい
今回は、どんな話なんだろうという軽い感じで見てみた動画ですが、
最終結論、今回の話は、そんなに気にしなくていいと思いますw
結局は、「陰陽プログラム」だなという感じがしますw
陰陽プログラムというエッセンスが、仏&教では、業、借りという形で色付け、意味付けされて表現されているから全くの別物に聞こえるだけです。
別の言い方をすると、「業」も陰陽プログラムでバランスを取られているだけです。
結局は、宇宙の大法則の陰陽プログラムで自然にバランスがとられているので、 何かしらのエネルギーが過剰になって偏ればバランスを取られる というただのそれだけですw
自分で何とかしなくても、宇宙が自然に直してくれるということです。
重要なのは、前世からの情報が引き継がれていて、今のアバターがその念に動かされているから、今世にその影響が出ているという点です。
前世の考察の時も話しましたが、罰されるとか、罰を受けなくていけないとかは絶対にありえないので、何が起きたとしても罰ではありません。
「業」や「借り」というのは、陰陽プログラムで、自分が人にやったら次はやられる立場を学ぶことになるだけだと思います。
Aが誕生したら、それと同時に正反対のZが誕生しているのと同じで、どちらも自分のにある要素だということです。
私たちは、交互にその現象を体験しているのでしょう。
