登場人物の時だけ出来事に振り回され反応的になる、登場人物を抜け出している時は自動的に無限を選択している、どんな時代になっても制限、制約からは逃れられない

情報システムについての動画考察7回目ですw 「この世の真実」、登場人物の時だけ出来事に振り回され反応的になる、登場人物を抜け出している時は自動的に無限を選択している、身体をアバターとして理解すると、身体をアバターとして理解すると余裕が出て選択の自由が広がる、自由がないからこそ選択が重要になるように設計されている、どんな時代になっても制限、制約からは逃れられない、肉体の④はゲーム内の1つの条件の中での体験が終了するだけでプレイヤーの消滅ではない、肉体の④は使う人は同じだけど携帯の機種と電話番号が変わるようなもの、などです。

 

こちらの動画を参考にして書いています。

【99%が知らない】『この宇宙は現実ではない??』🔸私たちの現実の正体🔸|トーマス・キャンベル

 

動画のまとめ、要点、考察7

この世の真実

前回の続きからです。

 

登場人物の時だけ出来事に振り回され反応的になる

身体に完全に同一化していると体験は制限されます。出来事に振り回され、反応的になります。

前回の話に含めてまとめると、 アバターレベルの登場人物の時だけ、恐れが出て、制限がかかり、出来事に振り回されるようになる ということです。

 「反応」は、アバターレベルの登場人物にだけ起きること だということがわかります。

これがわかると、「愛」か「恐れか」の選択はより一層簡単になります。というか、考える必要ありませんw

 

 

登場人物を抜け出している時は自動的に無限を選択している

今までの話からすると、登場人物しか「恐れ」の反応、選択にならないので、登場人物から抜けて、イデア界に出ている時は、自動的に「愛」を選択していることになります。

 そもそも「恐れ」自体が振り子です。 

「恐れ」の見分け方は、その恐れは、「音」か「落下」かどうかです。

人間に生まれながら備わっている生命を守る恐怖は、「音」か「落下」しかないそうです。

「音」と「落下」以外は、後付けで大衆の心に植え付けられた情報だということです。

なので、ほとんどの100%は 「音」か「落下」ではないので、行く方向は1つに絞られてきます 

これは、別の言い方をすると、シンプルに、 無限か、無限以外か。 ということです。

この世の「無限性」がわかっていないから、「恐れ」が出ているというだけです。

特に登場人物は、恐れの台本に動かされているので、「恐れ」を確かなものや真実だと思い込んでいます。

 

「体験が制限されている」なら、無限ではありません。

何らかの限界がある「有限」になっている状態です。

だから、制限がかかるのは当たり前田のクラッカーだということです。

能力がない、できない、金がない、出会いがない、結婚できない、などのあらゆる不足を感じる「ナイナイ病」が、体験が制限されているわかりやすい例です。

肉体の自分を本当の自分だと思って、それを基準にしている場合は、台本に自動操縦再生されるだけの登場人物なので、その登場人物の決められた能力や特徴しか出ないということです。

もし、肉体ではなくて、「意識」を本当の自分だと基準にしているなら、本当に意識はイデア界に出ています。

イデア界は無限の可能性があるので、その時点で「無限の選択」をしていることになります。

そうすると、まだこんなにある、なくなることもできないこともあり得ない、最初から全てが揃っていると感じる「あるある病」になってしまいますw

 

登場人物から抜けて、情報システム、たった一つの意識、宇宙、無限の力と一体化している、精神に則った状態では、意識が完全にイデア界に出ているので、良い悪いに関係なく反応しなくなります。

その状態は、振り子に引っかかることがない「空」の状態です。

たぶん、「自我」が振り子がひっかけるフックになっていると思います。

登場人物の自我から抜けて、イデア界に出てたった一つの意識、宇宙、情報システムと一体化した状態になっていると、フックがないから台本の影響を受けないということでしょう。

「空」の状態だと、振り子は気づかないので寄り付きません。

振り子は、「空」の状態の人の傍を通り過ぎて、他に引っ掛けらる人を探しに行ってしまうので、「空」の人が「反応」するきっかけすら起きないということです。

台本に悪い出来事が出てきたとしても、もちろん動じなくなります。

良いことが起きたとしても、バリアント空間に無限に全部最初からあるのがわかっているので、どうってことありません。

だから、登場人物のように大きな反応をしたり、バカ喜びしたりのろけたり自慢をする必要もないということです。

それは、無感情、無感動なのではなくて、インターフェースの中が感情に振り回されない凪の状態になっているからです。

 

身体をアバターとして理解すると余裕が出て選択の自由が広がる

しかし身体をアバターとして理解すると、余裕が生まれます。

余裕」があるかないかで、その先が大きな差になるのは、全てのことに言えます。

身体をアバターとして見ている「余裕」がある時は、情報システム目線なので、 映画のコマを一度に眺めて、好きなものを選ぶことができます。

身体を本当の自分だと思い込んでいる「余裕」が無い時は、登場人物目線なので、決められていて変えられない台本の中で、自動操縦再生されるしかないということです。

この差が全然違います。

 

ほとんどの人間は、今の肉体の自分が一人しかいないと思っていて、人生も1回こっきりで終了だと思っているから、余裕が出ないということです。

しかし、実際には、イデア界に無限の自分がいます。

 

あなたは一歩引いた視点で体験を見ることができます。この視点が選択の自由を広げます。反応ではなく選択が可能になります。

身体をアバターとして理解する一歩引いた視点では、「反応」しなくなるというのが大きな差です。

それは、自動操縦再生モードで、「恐れ」のパラレルワールドに行かされなくて済むということです。

 

この視点は、気づきの中心点、ハイヤーセルフ、メタ認知、イデア界視点、情報システム本体としての目線です。

この視点では、イデア界から一度に無限のコマを広げて見ることができます。

台本の中に居る登場人物だったら、出来事に即座に反応して「恐れ」のパラレルワールドにまっしぐらです。

しかし、一歩引いた視点なら、体験したい映画のフィルムに自由に選択できるということです。

 

自由がないからこそ選択が重要になるように設計されている

ここでもう一つ重要な点があります。アバターは体験のために設計されています。制限があることで、学びが生まれます。すべてが自由であれば選択の意味は薄くなります。

すべてが自由なら、たしかにその通りですw

情報システムは、制限、制約がある厳しい状態を作ることで、「選択」の質が上がる=情報システムが進化できるというところに目をつけていますw

これがこの世は悪魔っぽい存在に支配されていると、勘違いされている部分でしょうw

 情報システムの目的は、「選択の質」が上がることにより、意識、情報システムが進化することだけ なので、人間に幸せになってもらうことが目的ではないことがポイントですw

「全てが自由であれば選択の意味は薄くなる」ということは、好きなことだけをしていればいい、5次元珍地球のような状態では、選択の意味は薄くなるということです。

 

どんな時代になっても制限、制約からは逃れられない

これから、高額のベーシックインカムが到来して、働かなくても好きなことだけをしていて良い時代になると言われています。

しかし、今の話からすると、そうなったとしても必ずどこかに「制限」「制約」が出るはずです。

高額べしカムの本当の意味は、実験用の治験代なのではないかと思いますw

良すぎる話が出てくれば出てくるほど、チョコチップや電極入れるか入れないかの「選択」を迫られる可能性がありますw

いずれにしても、 この世にいる以上、「制限」「制約」からは逃れられないことは確実 ですw

もしこれから、時代の進化で宇宙時代到来!で火星に移住とかで、肉体がない世界になって「意識」だけになったとしても、この世という空間自体が、「選択の質」「情報システムの進化」の場なので、絶対に「制限」「制約」を入れると思います。

個人の「選択の質」が上がると、個人の意識も全体の意識も進化し、最終的には、情報システム全体も進化するということです。

「制限」と「制約」という2つの言葉が出てきているので、どう違うのかを調べてみましたw

AI による概要

制限は、量や時間などの「範囲や限度を決めて、そこから出さないようにすること」です。「制約」は、ルールや状況などの「条件を設けて、自由な動きや行動をおさえつけること」です。大きな違いは、数字や枠を設けておさえるのが制限、条件や事情に縛られるのが制約という点にあります。 

今の辞書の意味を含めて先ほどの文章

制限があることで、学びが生まれます。

を解釈すると、 「量や時間などの範囲や限度を決めて、そこから出さないようにすることで、学びがあります」 ということになります。

それがこの世の世界観の設定になっているということがわかります。

 

制約があるからこそ選択が意味を持ちます。この制約は問題ではありません。体験の条件です。

今度は「制約」に変わっていますw

これも辞書の意味で言うと、 「条件を設けて、自由な動きや行動をおさえつけるからこそ選択が意味を持ちます」 ということですw

スピとかでは、「私たちは制限がある場所に成長しに来た」「学ぶために来た」と言われていますが、実際には、単なる 「選択の条件」のためにそうされているだけ でしたw

「制約は問題ではない」というのは、もともと情報システムは全知全能で、全てを持っていて最初から解決しているからです。

私たちの意識は、その情報システムの枝分かれです。

登場人物という個の目線になると「制限」「制約」は、大問題ですw

しかし、イデア界、情報システムから見たら問題ではなくて、プレイヤーの体験の「条件」だということです。

それは、まさにゲームの体験の「条件」と同じです。

この世でのゲームで例えると、誰もがレベル1からスタートする、最初は限られたジョブしか選べない、つけられる装備が限られているなどが、そのゲームの条件になります。

レベルが上がったりストーリーが進んでいくと、ボス戦はレベル15からじゃないと入れない、キーアイテムを持っていないとその先に進めないなど、条件が変わってきます。

 

条件とは? 

1 約束や決定をする際に、その内容に関しての前提や制約となる事柄。 2 ある物事が成立・実現するために必要な、または充分な事柄。

この場合は、2の意味でしょう。

この世での「条件」は、選択の質、情報システムの進化が成立、実現するために必要な、または充分な事柄だということがわかります。

だから、イデア界は、結局情報システムのことしか考えてないんだってw

なので、私たちも情報システムの目線でいれば、何の問題もなくなりますw

 

人間たちは情報システムの目的を考えることなく、勝手に個に結び付けて、制限がある場所に成長しに来たとか、学ぶために来たなどの、都合のいい意味付けをしているというだけです。

それも間違ってはいませんw

この世はフラクタル構造なので、情報システムの進化のためであるなら、個の進化のためにもなるというのは全く同じですw

しかし、大金を毎月無料でもらえるから、仕事をしないで好きなことだけしてていいとか、どんな時代が来ても、「情報システムの目的」がある以上「制限」「制約」の中で、何らかの選択をしていくことには変わりがありません

 

あなたはその条件の中で選択をしています。その選択が意識の質を変えていきます。

個人の行った選択が、意識の質を変えるということです。

その意識の質というのは、個人の意識の質はもちろん、フラクタルなので、情報システムの意識の質にも影響します。

だから私たち個が質の良い選択をすればするほど、自分の人生も良くなるし、情報システムの意識の質も上がって、宇宙、世界全体が調和してくるということです。

個人という小宇宙と情報システムという大宇宙は、お互いにウィンウィンになるようにできているということです。

 

あなたは死を終わりだと感じています。この感覚はとても強く根深いものです。身体は機能を停止することを存在の終わりだと考えています。しかしこの理解は身体を本体と見ている前提に基づいています。

④を終わりだと感じるのは、身体が自分だと思い込んでいる登場人物目線のことです。

 

肉体の④はゲーム内の1つの条件の中での体験が終了するだけでプレイヤーの消滅ではない

もし身体がアバターであるなら見え方は変わります。アバターが機能を停止することは体験の終了を意味します。しかしそれはプレイヤーの消滅を意味しません。

肉体終了は、ゲーム内での1つの体験が終了したというだけだということです。

1つのゲームをコンプしたという感じです。

その初期設定を持って生まれたことになっているアバターに入っての疑似体験が終了するというだけです。

しかし、ゲームをクリアしたからといって、プレイヤーが④ぬわけではないのと同じですw

 

この構造は、ゲームに例えるとわかりやすくなります。

ゲームの例えが一番わかりやすいと思いますw

学者がガチで言っているところが面白いところですw

 

キャラクターがゲームの中で終了してもプレイヤーは存在し続けます。プレイヤーは別のキャラクターを使い別の体験を始めることができます。同じように、身体の終了は体験の一区切りです。意識そのものが消えるわけではありません。

外見、環境が変わっても、登場人物から目を覚ましてイデア界に出て、映画のコマを一度に眺めて好きな映画を選ぶという、やること一緒w

 

ここで重要なのは何が終わるのかという点です。終わるのは特定の条件の中での体験です。

初期設定や、マネキンの設定による映画が特定の条件でしょう。

 

身体というインターフェースを通した体験が終了します。しかし、体験している側は残ります。

この話からすると、インターフェースだけ交換という感じでしょう。

 

この理解は恐れの構造を変えます。多くの恐れは終わりに対するものです。消えてしまうことへの不安です。

肉体という自分が終わること、この人生1回こっきりで消えることへの不安でしょう。

 

肉体の④は使う人は同じだけど携帯の機種と電話番号が変わるようなもの

しかし、終わるのは形であって本質ではありません。形は変わります。条件は変わります。しかし、体験している意識は続いています。

終わるのは、電話番号だけであって、電話を使う中身の人は同じなのと同じです。

電話番号は変わりますw

インターフェースである機種も変わりますw

しかし、それを使う人(意識)は今のままと変わらず続いているということです。

別のアバターになって、性別、外見、国籍、生まれた環境、初期設定、趣味、好みや嗜好、興味が湧くものなどは変わっても、それを大切にしたり、物を丁寧に扱ったり、食べ方がキレイ汚いとか、世界や出来事に対しての捉え方、意味付けなどの内側から発している周波数は同じなのではないかと思います。

それこそ、中身は同じ人(意識)状態なので、「反応」「選択」は今と同じでしょうw

ただ違う条件の中で、今と同じ周波数の「反応」「選択」が行われるのではないかという気がします。

だから、今この瞬間に常に無限の道に進んでおくことが大切です。

そうすれば、肉体が④んでも、中身はそのままその周波数が引き継がれると思います。

それが昔考察したマジで④にそうな1秒前に地獄道、畜生道、餓鬼道、修羅道、人間道、天道のどこにいたかで、次も同じところに移行するロシアンルーレットの話ですw

 

この続きは次の記事になります。

 

 

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