現実は無意識的な反応を含めた毎秒の細かい選択によって更新されている、反応の直前の余白に気付くことで選択が可能になる

情報システムについての動画考察10回目ですw 「この世の真実」、現実は無意識的な反応を含めた毎秒の細かい選択によって更新されている、頭で理解できても実践していないなら変化は起きない、エゴは無限の真実から遠ざけて仮想現実の世界観に引き込む、全ては気づいた時に方向を変えるだけ、反応の直前の余白に気付くことで選択が可能になる、意図はエゴの思い込みと情報システム(宇宙)から来ているものの2つある、などです。

 

こちらの動画を参考にして書いています。

【99%が知らない】『この宇宙は現実ではない??』🔸私たちの現実の正体🔸|トーマス・キャンベル

動画のまとめ、要点、考察10

この世の真実

前回の続きからです。

 

現実は無意識的な反応を含めた毎秒の細かい選択によって更新されている

あなたの現実は選択によって更新されています。

「選択」がパラパラ漫画のコマを動かしているのではないかと思います。

もちろん、「選択」というのは、会社を辞めて独立するかどっちの道に進むかみたいな人生の岐路のような究極の選択だけではなく、今トイレに行く、もうちょっと後でいいやなどの一見人生に関係なさそうに見える選択や、毎秒無意識で行われているパっと出る反応による選択も含まれます。

 

動画編集ソフトを使っている方はわかるかと思いますが、もうすでにこの世でも実際には、0.01秒以下の細かい小数点単位のF(フレーム)という数値があります。

1秒は、0.1が60個で形成されています。

さらに細かくすると、0.1は、0.01が60個で形成されています。

それをさらに細かくすると、0.01は、1F(フレーム)が60個で形成されています。

1秒の次は2秒なのではありませんw

実際には、こんなに細かいフレームというコマでできていましたw

まさにミクロの世界です。

その画像を貼ろうとしたら、このサイトでは拡大ができなくて見えなかったので、別の場所に画像だけ貼りましたw

0.01の間にあるF(フレーム)のメモリ画像

あっちのブログの方が画像キレイで、しかも拡大できるから便利w

その画像をクリックすると拡大して見れます。

 

最近、画像付き記事を別ブログに手作業でコピーしながら移すという一見時間の無駄みたいな余計なこと始めましたが、そのおかげで新発見がありましたw

あのブログ、これから細かい文字の画像を貼る時にも使えそうですw

しかも、そのブログの画像アップロード容量無制限らしいですw

そんなブログ他にないでしょうw

さすが情報システムGoogleがやってるだけありますw

 

バシャールが私たちは実際には秒より細かい単位のコマで別人に切り替わっていると言っているのは、こういう細かさ以上の細かさのことだと思います。

その話とトランサーフィンをつなげると、台本の中にあるコマのスキマがその細かさだということでしょう。

「スキマ」についてはこの後に詳しく話しています。

 

フレームは、ゲーム、プログラミング、動画編集などでは必ず使われているコマだそうです。

間違いなく、この世でもそれが使用されていることが透視されてしまいますw

イデア界では、この世の動画ソフトなどで使われている最小単位のFよりも細かいフレームがあるでしょう。

この世は高次元の作品なので、60という単位ではなく、動画編集ソフトよりも細かいはずです。

数字もこの世と違って、60進法ではなくて、見たこともない数値である可能性があります。

 

私たちは無意識で、そのような細かいフレームの選択までもしているということだと思います。

そのフレームの「選択」までを含めた「選択」が現実の「更新」になって何らかの変化として現れているということです。

常に「選択」によって、情報が上書きされて「更新」されているから、見た目で動きが出るということでしょう。

 

何にでも敏感に反応しやすい人は、無意識で反応している回数が多いはずです。

なので、自分でそのつもりはなくても、無意識の反応によって勝手に更新されているから、現実でおかしな出来事や体験が起きている可能性が大です。

それでそのことについてまた新たに敏感に反応しまくっていると、永遠のいたちごっこで、望まない現実が起こりまくるのは当たり前田のクラッカーになってしまいます。

 

頭で理解できても実践していないなら変化は起きない

この構造を理解したとしても、何をすればいいのかが分からなければ、変化は起きません。

頭ではわかっていても、何もしていないなら変化が起きないのは当たり前田のクラッカーですw

情報システムの話だけに限りませんが、頭では理解できたけど、なかなか実践できない、できるようになれないということがよくあるかと思います。

それは、実は エゴがその先に進むことを阻止している 証拠です。

 

エゴは無限の真実から遠ざけて仮想現実の世界観に引き込む

エゴは、本人が無限の真実にたどり着いてしまうと、エゴの敗北と捉えます。

なので、エゴはわざと無限の可能性があるという真実を見せないように必死になって壁を作り、真実から遠ざけ、仮想現実の世界観の中に引き込みます。

別の言い方をすると、台本に固定するということです。

それもエゴの仕事の一つです。

なので、理解したつもりのことが完全に自分の血肉となって、自然に体が動いてパっと出るようにならない時は、まだエゴに騙されているということです。

まだ登場人物のままです。

登場人物の時は、エゴによって真理から隔離されているので、本当の正体である無限の情報システム、インターフェースに戻れていない状態です。

なので、全身全霊で自分に落とし込んで体に染みついて自動で動く状態まで至っていないということです。

 

エゴは、登場人物のプライドを利用して理解したつもりに見せかけて、私はそれを知っていますとか、理解していますと表面上言わせて価値があるようにステータス看板を付けているけど、実際には中身は空っぽで実はエゴが本人の意識を台本の世界観の中に引き込んでいるだけだということです。

 

全ては気づいた時に方向を変えるだけ

ここでは選択の質を変えるための具体的な視点を扱います。難しいことをする必要はありません。特別な能力も必要ありません。必要なのは、気づきと方向です。

これも本質は、他のさまざまな説で言われていることと全く同じです。

どれも本質は、 ただ気づいて、理想の方向へ舵を取るだけ です。

現在上映中の映画の見た目がどんな地獄に見えたとしても、ひどい体験をしていたとしても、意識だけは毎秒常に無限の力の視点に立って、理想の状態に一致する内容、周波数を選択するということです。

しかし、いくら理想の選択をしたとしても、周波数が一致していないなら無効ですのでご注意くださいw

本当にそうかどうかの見分け方は、最も宇宙エネルギーに抵抗がなく、自然で安心、快適、リラックスできるかどうかです。

常にそれがあるほうを選びます。

その周波数の先が、もっとその内容が待ち構えているセクターへの移動だからです。

 

 

まず最初に必要なのは、自分が選択していることに気付くことです。多くの選択は、無意識で行われています。反応として起きています。

まずは、なにげない日常生活の中で、無意識的に行っている選択や反応も「選択」だと意識して気づくことからでしょう。

今椅子から立ったのも、一歩踏み出して歩いたのも、スプーンを手に取ったのも、息を吸って吐いたのも「選択」なんだなという感じです。

今細胞分裂が起こった、ATPがいくつ生産されたとかはさすがに気づけませんが、思考や行動面などでなるべく細かい単位でどういう選択が起きたのかを観察しましょうw

たぶんそのような細かい「選択」のに気付くことは、慣れないうちは難しいかと思います。

だいたいは気づくとしても、パっと無意識で反応して「選択」してしまったに気付くと思いますw

しかし、気づかないよりマシなので、慣れるまでは最初はそれでも良いと思いますw

気づくだけその先に伸びしろがありますw

 

これは、仏&教の「観察」や、トランサーフィン、タフティの気づきの中心点に戻る、プレゼンスを得る状態とまったく同じです。

 

 

しかし、反応の瞬間にも選択は存在しています。その瞬間に気付くことが最初の一歩になります。

無意識的に起こっている「反応」の瞬間にも「選択」が存在しているというのは高次元のスキマポイントです。

思考、行動、全ての何事かの間に、必ずスキマが存在しています。

「スキマ」というのは、イデア界視点でいうと、デジタルのパラパラ漫画のコマの間のことです。

この図でいうと。①と②の間の黒線のコマの区切りです。

さきほどの動画ソフトの例でいうと、秒よりも細かい単位F(フレーム)の間という感じです。

そのスキマからイデア界に出れます。

以前に、サーマディー(アッパマーダ)で目の前の何かを大切に扱って、愛情をかけて1点に集中していると、穴が開いてイデア界に出ると言う話をしましたが、その穴がまさにこのことです。

日常、そのスキマを意識するだけで、この世はかなりスキマだらけなことがわかります。

しかし、登場人物になって、出来事に翻弄されて振り回されて台本に支配されて完全な無力になっている時そのスキマに気付きません。

登場人物から抜け出して、意識だけはイデア界に出て、自分が情報システム本体の目線やインターフェースの目線になってみると、そのスキマで舵を取り、コマを変えられることがわかります。

これがハイヤーセルフ視点です。

ハイヤーセルフ視点になると、次のコマに進む前に、この間の伏線の話のように、逆転劇みたいに話をすり替えて別の路線に変えることができます。

 

反応の直前の余白に気付くことで選択が可能になる

例えば、誰かの言葉に対して強い感情が動いたとします。その時あなたはすぐに反応することができます。怒り不安、防御、そのような反応です。しかしその直前にわずかな余白があります。その余白に気付くことが重要です。

そのスキマが、先ほど話したイデア界とコンタクトできる穴です。

イデア界に出てマネキンを交換したり、映画を選んだりいろいろできる場所です。

 反応の直前にわずかな余白がある 」というのは、素晴らしい表現です。

 

 

その余白の中で、選択が可能になります。ここで二つの方向があります。恐れに基づく反応を選ぶか、それとも理解や受容に基づく選択をするか、この違いが体験の質を変えます。

二つの方向が出てきたら、常に、快適、自然、安心できる、ラクに感じる無限の可能性がある方に進みます。

それが理解や受容に基づく選択で、情報システムにとっても意識の進化になり、エントロピーを下げることにつながります。

「反応」任せにしておくと、自動操縦再生モードで恐れ、エントロピー増大の方向に進みます。

 

意図はエゴの思い込みと情報システム(宇宙)から来ているものの2つある

次に重要なのは、意図です。あなたが何を意図しているかが、選択の方向を決めます。

まず、世間では「意図」という言葉も勘違いされていますので、ご注意くださいw

「意図」は、本当は1つしかありませんが、勘違いされているものを含めると2つに分かれてしまいますw

 

どういうことかというと、本当の「意図」というのは、登場人物の個としてのエゴではなくて、情報システム、宇宙としての意思のような感じです。

実際には情報システムに意思もクソもありませんw

情報システム、宇宙の意思のようなものは、エネルギー、意識の流れ、たった一つの意識という感じです。

 本当の「意図」の時は情報システム、宇宙から勝手に動かされているので、考える間もなく自動的に動かされて動きます。 

なので、本当の「意図」の時に悩むとか迷う、考える、躊躇するということはないということです。

しかし、それとは別で、個としての登場人物のエゴで勝手に「意図」だと思い込んでいるものもあります。

その時は、悩み、迷い、考える、躊躇が発生します。

それで違いがわかります。

振り子は、偽の「意図」を見せてきます。

それに騙された場合は、悩み、迷い、考える、躊躇が発生しながらも、それが自分の意思、意図だと思い込んで、振り子、エゴに動かされて監獄の中でハムスターの輪の中で動いているつもりになっているだけで、実際のところはただエネルギーを吸い取られているだけです。

 偽の「意図」の場合は、宇宙エネルギーの流れに抵抗している状態なので、心身的に疲弊が発生します。 

それも見分け方のポイントです。

 

 

恐れを避けるために動くのか、それともより良い状態を生み出すために動くのか、同じ行動でも意図が違えば結果は変わります。

「恐れ」を避けるために動くというのは、まさに「回避型」のことです。

「回避型」というのは、~にならないように何々する、予防のためにする、~されたくないからやる、~になりたくないからやる、などの何らかの恐れの前提が先にあって、そのためにやるというものです。

前提に基づいて行っている行動が前提になっている恐れを強調し、潜在意識に強く刻印するので、最終的にはその避けていた恐れを体験する結果になります。

 

「より良い状態」というのは、現状を否定したり不満からきているもっと良くしたいという意味や、独占欲、所有欲が出てがめつくなって欲をかいてもっと欲しがるもっともっと病ではありませんのでご注意くださいw

「愛」の選択では、金、名声、ステータス、人目、評価、世間体、自分の価値を出すため、何かとの引き換え条件で条件付きの愛でそれをやるのではないことがポイントです。

そのようなものが手に入らなくてもやっているだけで幸せ、何もみかえりがなくてもそれが好きなだけで幸せ、やっている時が一番快適で楽しいからやるみたいな状態のことです。

 

 

ここで完璧を求める必要はありません。すべての選択を正しくすることはできません。重要なのは方向です。

0.01より細かいフレームの選択を1つもミスせず全部完璧にするのではなくて、日常のそれらが、総決算で最終的にどこに向かっている選択なのか?の方が重要だということです。

別の言い方をすると、多少選択に失敗したとしても、どこかで全体のバランスを取れて大きく舵を切って方向を変えられるならそれでいいということです。

これも、世界観の中にある振り子文化(ナチョス文化)で見失いやすい点と完全に一致します。

振り子文化は、正しい、完璧、優秀などと表面上いかにもそうでなくてはならないみたいな清く正しく美しいキレイな印象を与えています。

しかし、それは、イデア界視点で見ると、ただ簡単にエネルギーを吸い取るために、同じ方向にまとめて誘導しているだけで、イデア界からしたらエントロピーを増大しているだけです。

なので、振り子に操られている間、自分の意思で自由に動いていると勘違いしていますが、実際には向かっている先はどこにもありませんw

1つの小さな牢獄に閉じ込められています。

しかし、目を覚まして登場人物から抜け出し、イデア界の情報システム、インターフェースとしての意識で選択をすると、振り子の信奉者が閉じ込められている牢獄から抜け出せるので、情報システムのたった一つの意識として行きたい好きな方向へ行けます。

 

この続きは次の記事になります。

 

 

 

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