デクラッチョ祭り動画のまとめ、復習8 19~20回目の記事の復習、深堀り

デクラッチョ祭り動画に出てきた重要ポイントをの復習8回目、19~20回目の記事の復習、まとめです。

 

今回は19~20回目の記事のまとめ、深堀りです。

イッチ動画のまとめ、復習8

 

詳細記事はこちらです。

19回目

過去の内容は五感で確認できないのでどうにでも作ることができる、りょうこもつれデクラッチョ、テレポーテーションは物質が移動しているのではなくて一元が投影して出しているだけ

 

●ヒズストーリーの実態

優れた古代文明や恐竜の絶滅なんて話が出てくるのは、もともと歴史が不連続な円弧を不細工につないだものだからだ。

ヒズストーリーは、パラパラ漫画のコマを人間が勝手につなげているだけだということです。

実際には、今まで私たちが習ってきた学校の歴史の教科書や、肩書を持つお偉いさんが公式で発表している通りの順番ではないということになります。

この世というゲームの世界観演出で、そういう順番だということにされているだけです。

そういうものは、バリアント空間にバラバラの状態で別々のコマとして保管されてあります。

そこから出す順番は決まっていないので何を選ぼうが正しい順番というのはないということです。

ヒズストーリーもそれと同じです。

それが先ほど出てきた「不連続な円弧」というやつです。

実際には不連続なのに、脳が勝手にその順番だと思い込んでいるということになります。

この世は思い込みだらけw

これは、ヒズストーリーに限った話ではなく、特異点がそうだと決めることで、その人の主観の中の世界ではそれが正しいという概念になります。

人生でもバリアント空間から順番に関係なく好きな結末の台本を選べます。

このことから、ヒズストーリーというのは、誰かがバリアント空間にあるアイデアを好きな順番に並べたものだということがわかります。

誰かというのは製作者(高次元の自分)です。

 

世間では、数字の1の次は2、アルファベットのAの次はBということが当たり前にされています。

しかし、バリアント空間から取り出して並べる順番はそうではないということです。

無限通りあります。

それは、数字の並び順の1の次に100、アルファベットの並び順のAの次にXを持ってきてもいいということです。

一般世間ではそんなの通用しないとかダメだと言わるでしょう。

しかし、実際には、自分の主観の世界の中だけは良いということにできます。

特異点である自分がそうだと決めるだけです。

特異点がそう決めると、いくら一般世間ではダメだと言っていても反対者が出たとしても、自分の主観の世界だけは特異点が決めたルール通りに動くようになります。

しかし、交通ルールを無視して自分の主観の世界だけ反対車線で走って良いとか、特異点が全部無料だと決めたから店で万引きしていいというわけではありませんのでご注意くださいw

ゲーム内のルールに反すると、世界観の中ではそれなりの処罰を受けますw

 

そういう世界観、社会的なルール以外では、自分の主観の世界だけは、一番初めが1やAでないといけないという決まりがあるわけではないということです。

自分の人生で起こる出来事などの展開については、今の現状から想像もつかない領域の突然9999から始まったり、わけわからない記号から始まったりしてもいいということです。

特異点が決めたなら、そういういきなり段階を飛び越したことが出てくる可能性があるということです。

それがありえると言い切れるのが、バリアント空間、情報フィールドは「無限」だからです。

この世は夢の世界なので、明晰夢状態になれば自由自在だということです。

 

さきほどのヒズストーリーの順番の話では、何が正しいとか順番や手順は何もなくて、バリアント空間が無限であるということがポイントです。

ヒズストーリーがああいう順番だというのも、その作り話を考えた誰かのルール、誰かの主観です。

誰かが一番初めに考え付いたことを私たちは、基本であるとか正しいとか信じ込まされています。

そういう思い込みさえ外れれば、全てにおいての可能性は「無限」だと言えます。

 

表層意識の直線的な時間の感覚と、深層意識の円弧上の時間の認識混ざり合うことで、お前らは長い歴史も一本の直線だと錯覚している。

またこれも「錯覚」を利用して思い込まされているということです。

人間は、3次元の物質世界特有の世界観演出の直接的な時間感覚だけで考えがちです。

やたらと何か正しいという概念の軸を持ちたがったり、こういうものだと何でも決め付けたがるところにそういう特徴が現れています。

人間という生命体は、表層意識の直線的な時間の感覚に落とさないと納得しないように作られていると思います。

さらにその表層意識の直線的な時間の感覚に、深層意識の円弧上の時間の認識、簡単にいうと前世から引き継いでいる時間の認識の思い込みまで一緒に混ざって錯覚しているということです。

それはひどい思い込み状態ですw

そこでまたマトリックスの真っ白い空間に戻って考える必要があります。

常にそこから考えると、全てが思い込み、植え付け、洗脳だったということが明らかになります。

自分の人生や世界作りに使える素材が無限の数置かれている一番大元は、無限の可能性のあるバリアント空間です。

私たちは、そこから好きなものを選んで真っ白い空間に置くことができます。

そうすると、もうその時点で前世から引き継がれてきている勝手な思い込みや洗脳、植え付けなどの素材が真実かどうかはどうでもよくなるし、その順番さえも一切関係なくなります。

早い話が、自分で真っ白い空間に戻して好きなものを置き直せば、最初からそんなものはなかったということにできるからですw

こうやって大元から考え直してみると、この世の攻略は、バリアント空間と特異点だけの一対一のやり取りだけで十分だということがよくわかります。

別の言い方をすると、宇宙や無限の力とのやり取りだけで十分だということです。

なので、歴史の流れ、時代や人類の発展、世界がどうのこうのとかの話は、後から取って付けた植え付けなので真に受けないで無視していてよいということがわかりますw

そういう話をしている時は、思いっきり世界観の中、マトリックスの中の登場人物なので、フィルムを変えられないということになってしまいます。

 

●元は一元なので全てが投影

さて、ここまでの理論を踏まえて、アインシュタインが解けなかった物理学の矛盾を解決してやろう。

まずは量子テレポーテーションの謎だ。

対になった粒子は、どんなに離れていても片方の状態が変わると、もう片方も瞬時に変わる。

光より早い情報伝達はありえないのに、なぜだ、という話だ。

答えは簡単だ。

そもそも世界はすべてが投影だ、

元は一元なんだから、粒子同士で情報を交換する必要なんてない。

「元が一元」というのが全ての答えです。

世界観演出のためにわざと対極を作って二元にしているのがこの世だということです。

2極ができることによってメリハリが出て世界観を楽しめるわけです。

人間は、常に振り子に感情を揺れ動かされて生きています。

一喜一憂したり感情を揺れ動かすことが人間らしさだと思いながら生きています。

それが2元の世界特有の世界観の演出です。

そういうアトラクションの中に私たちはいます。

しかし、その世界観の外は一元なので、実際には1つのものから2つが生み出されているだけで、別々に見える二極の両方は同じものだということです。

温度計で例えると、気温が高いか寒いかという位置が違うだけで、もともとは1つの温度計しかないということになります。

 

●この世は何か1つあったら必ず反対が同時に出ている

陰を左に投影すれば、陽は自動的に右に投影される。

自分の存在が決まった瞬間に、対になる相手の存在も同時に決まる。

ただそれだけのことだ。

このことから、自分の趣味、嗜好、思想、方針、やりかたとは全く正反対を正しいと信じ込んでいる人がこの世のどこかにいることは確実だということがわかります。

なので、そういう反対者、合わない相手、アンチなどは排除のしようがないということになります。

1つ出たら対も同時に出るということは、自分の意見の反対者やそういう人たちを悪いものだと思ったり、正そうとしたり気にすればするほど出てくるということです。

 

自分の次元が上昇したとか悟ったと思い込んでいる場合も同じです。

それと同時に反対も増えていくので、自分以下に見える人が目につくようになるでしょう。

 

偽世界特有の洗脳用語である「成長」という言葉のように、もっともっと病で上へ上へと這い上がって上がって頂上に達することが素晴らしいことであるとみなす概念でいる場合、それと同時に下のレベルや低周波も意識しているということです。

本当に満足した人生を送っていて幸せな人はそんなことすら考えていませんw

成長成長!と言って上這い上がることばかり考えていると、以前より増して低周波をまき散らされて嫌な思いを体験したり、足を引っ張ってくる人が出てきたり、邪魔をしてくるような相手に出会いやすくなって、そういう人たちから逃げたくなることが起こります。

そういう人が出てくるということは、まだまだ自分の成長が足りないんだと思い込んで、それが2枚目の鏡に入ってさらに泥沼化していくというハムスターの輪のループに入っていきます。

健康も全く同じです。

健康を意識しているということは、病気の恐れが潜んでいます。

本当に肉体的になんともない人は、「健康」という言葉自体も使わないし意識もしていませんw

 

元は一元というのは、上も下も善悪もなくて無限のものがバリアント空間に同時に重ね合わせの状態で存在しているということです。

 

20回目

シュレディンガーのネコの知られていない盲点、選択肢が出た時はもう物質化している、初耳デクラッチョ自分の人生で具現化するまでにいかなかった思考は他人の現実になる、人間は思考をシェアしてお互いの人生を作っている

 

次に、真空はなぜエネルギーを持つのか。

宇宙に見える真空は、まだ意識のボールで埋め尽くされる前の、作りかけの状態だ。

だから、真空に見える場所にも、これから生まれるエネルギーのポテンシャルがある。

これはどういうことかというと、宇宙を含めた仮想現実内であるこの世のすべてというのは、空想、想像で成り立っているので何でも生み出せるということでしょう。

一言で分かりやすく言うと、宇宙だの真空だのもまだまだ仮想現実内だということです。

④後の話や臨死体験もまだまだ仮想現実内だというのと同じですw

私たちの外側に宇宙とか真空があるのではなくて、自分の意識の中に宇宙も真空も肉体も臨死体験もあるということです。

 

そこにフォーカスすれば、エネルギーはいくらでも湧き出てくるように見えるんだ。

空想、想像にフォーカスすればエネルギーはいくらでも湧き出てくるということですw

要は、この世は想像の世界だから「無限」だということです。

それなら当たり前田のクラッカーですw

物質があると錯覚しているから、理論的に考えたり制限付きで考えてるだけです。

 

 

シュレーディンガーの猫はどうだ。

なぜ半シ半生の猫を見ないのか。

猫が生きているかシんでいるかは、箱を開けるまでわからない、重ね合わせの状態だ、と言われる。

だが、お前が「生きているかも」「シんでいるかも」と思考した時点で、それはもう選択であり、重ね合わせじゃない。

確かに、思いっきり2択になっていますw

2択しかない重ね合わせは、無限の重ね合わせであるバリアント空間、情報フィールド、量子場ではありませんw

重ね合わせの数が無限でない場合は、3次元の物質世界から決めつけられてそれが全てだと洗脳されて誘導されて限定されている有限目線です。

普段から常に自分の考えや発想、捉え方が無限の視点になっているかを確認していると、全てを透視できて、答えは一発で決まりますw

それが「選択する」というテクニックです。

ゼランドは、トランサーフィンはスピではない、技術だと言っていますが、まさにその通りです。

無限を選択して、常に自分のやりたいようになりたいように全可能性を実現することは特異点次第の訓練で、いくらでもそうすることができます。

 

それぞれの思考がボールを生み出している。

シューティングマシンの時の話のように、「自分の中の思考が常にボールを生み出している」というのを覚えておくと現実化のシステムがより一層分かりやすくなるでしょう。

細胞や体の組織が体内で勝手に動いているのと同じで、意識していないところでも意識のボールは勝手に生み出されています。

どんな思考もで物資化、現実化するかしないかが決まっているというのを把握できていると、次に何が現実化するかだいたい予想がつきます。

その量がどれくらいなのかは、水が何度で沸騰したり凍ると決まっているのと同じように数値的に自然のプログラムとして決まっていると思いますが、そこまでは細かく知ろうとする必要はありませんw

その量に達したら放っておいても出てきますw

 

ただ、お前の現実として観察できるほどの量に達していないだけだ。

じゃあ、量が溜まる前の思考はどこへ行くか。

それが「他人」の現実になるんだ。

これ意外な巨大デクラッチョでしたw

しかし、全員自分だということを思い出すと、思考のスワップみたいなことがあってもおかしくないということがわかります。

リサイクルと同じで、どんな思考でも無駄なく使われているということです。

こういうことがあるので、良くも悪くも自分の人生で起こる出来事に個としての自分の責任がないということもわかります。

結局、起こるに任せるしかありませんw

起きたことが嫌なら、その先の連結を選び直すしかないということです。

そう考えると、トランサーフィンの概念はめちゃラクです。

今の上映中の台本の流れに沿って自動操縦再生モードされながら、あとは連結の先のことだけを考えていればいいだけだからです。

 

自分のシャボン玉の中に具現化するまでに足りなかった思考は、他人のシャボン玉の中に出て、その人が体験することとなるということです。

うらやましい体験をしている人が五感で確認できる範囲にいるなら、自分のシャボン玉の中で具現化するまでに量が足りなかった思考がそっちに出たのかもしれませんw

ひどい体験をしている人が五感で確認できる範囲にいる場合も同じです。

その恐怖やひどい体験の思考は自分のシャボン玉の中に出なくて、人のところにいったということですw

 

この続きは次の記事になります。

 

 

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