性格や人の特徴は前世からの念によって作られたエネルギーバランスの引き継ぎなので変えられる、観察しましょうの本当の意味、否定をすること自体が無限ではないと言っているのと同じ

前世の動画の続きですw 性格や人の特徴は前世からの念によって作られたエネルギーバランスの引き継ぎなので変えられる、別人のように変わった時は大きく周波数が変化してマネキンを大きな幅で移動した証拠、感情について考え出した時は無限を思い出しすぐにイデア界に出るだけで変化が起きる、イデア界に出ているかどうかは感情、エゴで考えているかそうでないかでわかる、観察しましょうの本当の意味、否定をすること自体が無限ではないと言っているのと同じ、などです。

 

こちらの動画を参考にして書いています。

【「あなたの“性格・癖・思考”には、前世の記憶が色濃く刻まれている–出口王仁三郎」今世でカルマを解消せよ】

前回の記事はこちらです。

前世からのエネルギーバランスを今世で取られている可能性あり、怒りや不安などの不快な感情は全部台本なので基本的に無視でいい

一番初めからの前回の記事はこちらです。

今の自分は前世の記憶を最適化した最新情報体、一番の原因は変なマネキンに入っているから、どうしてそういうマネキンに入ってしまうのかを知る、極端な特徴は前世から引き継がれている強い念

前回からの続きです。

動画のまとめ、要点、考察3

 

●性格や人の特徴は前世からの念によって作られたエネルギーバランスの引き継ぎなので変えられる

そこに魂の進化の扉が開かれていくのだ

世には「性格は変わらぬもの」と思い込んでおる者が多い

生まれついた性質は墓場まで背負うしかないと諦めている者もおる

ほとんどの人はそう思い込んでいるでしょうw

 

だがそれは、半分しか真実を見ておらぬ

たしかに性格の「種」は前世から持ち越したものである

「種」というのは、前世から持っていた強い念のことです。

その強い念があった時はエネルギーバランスが乱れていました。

エネルギーバランスが乱れた念が今世へと持ち越され、初期設定となり性格や特徴となって出ただけなので、今世でエネルギーバランスをとる時に変えられるということです。

これは、仏&教でいう業(ごう)が解消すると、別人のように変わるのと全く同じです。

前世からの業(ごう)によって今世で一度痛い目に遭ったりひどいことが起こるかもしれませんが、そのおかげで、今まで持ち越してきたものがリセットされるということです。

それを受け入れないないなら、また来世に引き継がれると思いますw

 

怒りや恐れ、過剰な気遣い、不器用な人付き合いもすべて、魂が経験から刻んできた癖のようなものだ

前世の人生経験で形成された強い念の現れが、今世の怒りや恐れ、過剰な気遣い、不器用な人付き合いなどの自分の特徴に出ているということです。

ここでいう怒りや恐れというのは、一晩寝たら忘れるような誰にでも起こる当た脳のアイドリング機能の自動音声モードのことではなくて、何十年間も維持して怨念化しているような異常な怒り、恐れのことです。

脳のアイドリング機能とは何かについてわかる動画はこちらです。

脳にそんな機能があったとは、オッタマゲーションですw

その声も前世からの念や情報を元に作られているような気がします。

 

けれども、癖は癖であって運命ではない

それは、前世による念からくる刻印で、この先変えられない今の自分の運命ではないというのが大切なポイントです。

 

わしは数多くの人々の念と魂を見てきた

ほんまかいなーw

 

●別人のように変わった時は大きく周波数が変化してマネキンを大きな幅で移動した証拠

変われぬと嘆いていた者がある日を境にまるで別人のように穏やかになったこともある

きっかけさえあれば、そういうことはよくあります。

まるで別人のようになった場合は、大きな幅でマネキンを移動している証拠です。

近くの移動だといつもと何も変わっていないように見えますが、がらりと変わった場合は、周波数の幅を大きく移動しています。

周波数が近いところは、どれも同じにしか見えない似たようなマネキン(映画)ばかりですが、遠くかけ離れた場所には同じ自分でも中身が別人のようなマネキンがいます。

 

それは、自らの内なる記憶と向き合い気づきを得た瞬間から始まった

ここでいう「気づきを得た瞬間」というのは、意識が台本を抜け出してイデア界(バリアント空間)に出た時、この世という夢の中から目覚めて明晰夢状態になった時のことです。

その時にだけマネキン移動(映画の交換)ができます。

だからまるで別人のように変わったということです。

気づきを得たつもりになっていても、感情や出来事に左右されているならまだまだ登場人物のままです。

登場人物の時は完全な無力なので、マネキンも映画も変えることができません。

 

性格とは魂が背負った履歴書のようなものではあるが、それを書き換える筆はいまの自分の手の中にある

本当にその通りです。

今世の自分にしか書き換えられません。

今この世で生きている自分という個は、この世が始まって以来の前世全てを代表して書き換えができるたった一人の特異点です。

 

魂は、生まれ変わるたびに「今回こそは」と思って生まれてきている

イデア界に意味はないので、何も考えてないでしょうw

 

●感情について考え出した時は無限を思い出しすぐにイデア界に出るだけで変化が起きる

だからこそ、どうせ自分はこうだからと諦めてしまうことこそ、魂にとって最も苦しいことなのだ

これも出口さんか英&愛の主観ですw

「魂にとって最も苦しい」とかそういう登場人物の感情的なことよりも、マネキンの種類は無限通りあることを思い出すことがポイントです。

感情について考え出した時は、そこで我に返り登場人物を抜け出し、イデア界に出てたった一つの意識という本質に戻りましょう。

「感情」をトリガーにして、目を覚ますのが簡単でやりやすいと思います。

たった一つの意識の視点から観察すると、マネキンはバリアント空間に無限個もあるんだから、一生変えられない性格だと決めつけるのは非常にもったいないですね、と思えてきます。

その冷静さで理想のマネキンへ移行します。

すると、不思議なことに流れる映画自体も変わってきます。

 

●イデア界に出ているかどうかは感情、エゴで考えているかそうでないかでわかる

イデア界に出て本当の正体である無限の力の本質に戻っている考えの時は「感情」は一切関係ないのでわかります。

感情に左右されている時は、マネキンや映画を変えることができない登場人物です。

エゴを基準にしている時も登場人物です。

なので、感情とエゴを優先にして考えているか、していないかで、本質に戻っているかそうでないかがわかります。

潜在意識の活用法で有名な著者ジョセフ・マーフィーが「神とともに考えなさい」とか、「潜在意識で考えているときだけ本当に考えていると言います」と言っているのはまさにこのことです。

イデア界に出て、「たった一つの意識」として考えなさい、それ以外は考えていると言えないということです。

トランサーフィンと表現は違いますが、マーフィーも台本のことをわかっていますw

トランサーフィン、タフティでは、たった一つの意識に戻って考えている時を「プレゼンスを得ている」と言っています。

タフティ、セルフトランサーフィンに出てくる「プレゼンス」というのは、この世が夢だと気づいた状態でいること、本質でいることです。

「本質」というのは、3次元の物質世界に住む個としての自分、映画の中の登場人物ではなくて、宇宙全体を作っているたった一つの意識、精神のことです。

この図でいうと、個に分裂する前のオーバーソウルにあたる水色の大きな英&愛のことになります。

その視点からすると、自分の中にある細かい枝分かれである人間たちの意識の中にある感情は、3次元の物質世界専用の台本プログラムなので、一番外側のシステムには関係なくなります。

 

このことからも、「感情」は登場人物専用のプログラムだということがわかります。

感情に左右されない人や、サイコパスが目的を淡々と達成する理由がよくわかりますw

 

自らを変えるには、まず「知ること」が肝要である

これもトランサーフィンでいう「目覚める」ことが大切だというのと全く同じです。

運命、宿命とか決められていて変えられないとか表面的な意味付けではなくて、本質として何が起きているのかを知ることです。

自分は本当にこういう性格なのか?と本当は違うんじゃないか?などと、疑問に思えたなら目覚めかかっています。

完全なマトリックス専用NPCの時は、そういう疑問すら出てきません。

完全に自動操縦再生モードされているので、それで当然、それが自分だと思っています。

自分はこんなことをしていていいのだろうか?これっておかしくないか?自分は何者なんだろう?などの疑問が出てくるようであれば、それは登場人物から抜けだせる証拠です。

しかし、だいたいはそこでまた台本に引きずられて登場人物に戻ってしまいますw

もしそこで違和感を感じ、意識が目覚めて登場人物から抜け出し、イデア界に出ると、マネキンを変えることができます。

こういうことを知らなくても天然でそれをやっている人もいます。

そういう人は、波打ち際でキャッキャと遊ぶ2歳児のように自分の感じることに素直です。

テクニックや理論として難しく考えて理屈で覚えようとするよりも、子供や犬猫のような純粋さを取り戻すことで、ただ自動操縦再生モードされているだけの登場人物から抜け出しイデア界へ出て、好きな映画のマネキンに入ることができます。

 

こちらの文章の

自らを変えるには、まず「知ること」が肝要である

「知ること」というのは、この世が映画、ゲーム、夢であるということを認識することにもあたります。

要は、登場人物より上の次元に立って観察できたときにだけ、マネキンや映画を変更できる立場になれるから、自分をがらりと別人のように変えられるということです。

登場人物より外の次元にいる観察者の立ち位置にならないと変えられないということです。

 

アインシュタインの名言で、「 いかなる問題も、それが発生したのと同じ次元で解決することはできない」というのがあります。

それもまさにそのことで、台本の中の登場人物だと解決できないということです。

なので、3次元の物質世界で問題だと思うことは、上の次元に立たないと解決できないということになります。

ここでいう「次元」というのは、物理的な別世界ではなくて、「認識」のことです。

場所を移動しなくても、難しいことをしなくても、座ったままでも認識は変えられます。

 

そもそも、「問題」というのは、3次元の物質世界の中だけで「問題」だと勝手に決め付けられているだけです。

登場人物から見たら「問題」なだけです。

上位から見ると最初から解決していて、何の問題でもありません。

なぜかというと、上位の次元とはバリアント空間のことなので、無限個ある映画の中からどれでも選べるからです。

そこには、最初から問題になっていない映画、問題にならない映画があるので、ただそれに切り替えればいいだけです。

その「切り替え」が、3次元の物質世界の映画の登場人物から抜けて、上位の次元になってないとできないということです。

 

●観察しましょうの本当の意味

なぜ自分はこの性格なのか、何を恐れているのか、どこから来た感情なのか、その問いかけこそが魂の宿題をほどいていく鍵になる

自分の中でそういう疑問が出たら、疑問が出た時点でもうすでに登場人物より上の観察者として見ている証拠なので、解決に向かうということです。

俯瞰している状態じゃないとそういう疑問は出ないということです。

だから、問題に対して「観察しましょう」といわれているわけです。

しかし、世間では誰もどうしてそうなのかという理由を説明してないので、どうして観察しなきゃいけないんだとか、観察したから何なの?どうなるの?みたいに意味不明で納得がいかないということになりますw

これもあるあるで、自分でも意味が分かってないのにみんなが言っているから「観察しましょう」といるだけと言う人だらけなのではないかと思いますw

 

「観察者」というのは、登場人物の自分の上にいる存在です。

登場人物は、映画の中の出来事や状況に没頭しているので観察ができません。

ここでいう「観察者」というのは、陰謀論界隈で言われているヤーミーの監視者とは全然違いますw

陰謀論では、悪魔的な監視者がいると言われていますw

ソーメン、アレミナティ、キリ&スト教のプロビデンスの目などのヤーミーの目のシンボルが至る所で使われています。

あれたぶん本当の自分の正体の本質、たった一つの意識が観察者だということだと思いますw

デジタルワンネスの私たちの本当の正体のことです。

それを人間が勝手にヤーミーだと意味付けして広がったのでしょうw

これも、意味付けは自由ですが、本当は悪魔的存在の監視者がいるという意味ではなくて、一番外側のたった一つの意識であるオーバーソウル、たった一つの意識、永遠の観察者のことなのではないかという感じがします。

その視点に立つと無限のマネキン、映画から好きなものを選びたい放題だということです。

この目のシンボルを使っている組織は、そのことを知っている製作者サイドのBOTではないでしょうかw

 

そしてもう一つ大切なのは「今のわたしでよい」と一度認めることだ

これは本当に大切ですw

「今のわたしでよい」というのは、「今のマネキンのバージョンはそのままでよい」というのと同じです。

今入っているマネキンの性格、特徴、セリフ、行動とその台本は変えられません。

なので、変えられないし変える必要がないから、今のマネキンはそのままでよいということです。

同じ人のマネキンでも、中身と映画内容が違う別のバージョンのマネキンが無限個あります。

なので、今のマネキンが嫌なら自分から移動すればいいだけです。

世の中の「引き寄せ」というのは、今の変えられない決まっているバージョンのマネキンに理想の状態や物事を引き寄せようとすることです。

今までの話を理解できているなら、そんなの無理に決まってんじゃんw

ということがわかりますw

本当は、引き寄せじゃなくて自分からの座標移動ですw

しかも意識だけでやるという超簡単w

 

もし、今現在のマネキン変えようとした場合、その決まったバージョンを改変しようとするのと同じなので、システムに抗うことになります。

そうなるとシステムに抗っているとみなされて全宇宙が敵に回って、世界から追いやられるような最悪な事態となります。

良かれと思ってやっていることが全部裏目に出て嫌な思いをしたり、世の中や人が自分に逆らって動いてくるような呪われているのではないかという現象はこのせいです。

恐ろしいことに、実際にこれをやっている人はたくさんいますw

 

●否定をすること自体が無限ではないと言っているのと同じ

否定の念からは変化は生まれぬ

これは本当ですw

否定すること自体が、「無限」がないと言っているのと同じだからです。

これもマネキンのバージョンと同じで、映画は無限個あるので、嫌なら変えればいいだけです。

 

現在上映中の映画やマネキンを否定をしている時は、他にも無限個あるから変えればいいだけなことを忘れて、自分で小さな枠を作ってその中で否定をしているのでその人は「有限」になります。

「無限」なら、無限個ある中から一番理想的な別のものを選べばいいだけなので、いちいち1つ1つに否定をしなくてもいいはずです。

エゴは、自分と違う思想や違う方法のものごとをすぐに否定したがります。

エゴは常に無限の反対に連れて行こうとします

そういうことをしている時は、無限の可能性はなくなるんだなと、自分の中で気づいて目を覚まし、常に無限の視点から考える必要があります。

もし何かを否定する人がいたら、その人は無限個あるうちから選べない人なんだなということが透視されてしまいますw

また、そういうのを相手にすると、自分まで無限個あるうちから選ばないことを選択したマネキン=登場人物のままだということになりますので、そこで目を覚ましてすぐにイデア界に出る必要があります。

この切り替えがさっとできるかできないかという微妙な違いが、満足いく人生かそうでないかの大きな違いになります。

ポイントは、才能、能力、魅力とかじゃなくて、「切り替え力」です。

そういうところからしても、英&愛らしく生きることが、人間らしく生きるよりも実現力があると言えます。

しかし、感情を揺れ動かしながら生きることに慣れてしまった人間にとっては。英&愛のように無感情で淡々と観察して生きるだけというのは、非常につまらないものでしょうw

観察者として遠くから離れて見ているだけというのは、ガンダムみたいなロボットの中にある操縦席に乗ってコマンドを出しているだけと同じですw

そんなことをするよりも感情を使ったほうが映画に没頭できて臨場感は出ますw

なので、そういうのも必要に応じて切り替えしながら、たまには夢の世界の中のアトラクションを楽しんでもいいと思います。

 

しかし、マネキンを変えないと何かを達成できないような状況や、今上映中の映画の内容を変えたいようであれば、操縦席モードになる必要があります。

そういう時は、感情を揺れ動かして臨場感に浸っている場合ではありませんw

たぶん、理想のマネキンに早く移動して映画の中身も早く変えて、その理想的な映画が上映され出したら、最高の映画の中でアトラクションで臨場感を楽しむのがベストだと思いますw

 

この続きは次の記事になります。

 

 

 

 

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