今回も4後の世界の動画を新しい視点で見るの続きですw ④ぬ間際の心の状態にふさわしい場所へと生まれ変わる、毎秒生まれ変わって毎秒の人生のキャンセルが発生しているのでいつでもやり直せる、功徳はイデア界のシステムに当てはまっていることが重要、その瞬間快適ならそれでいい、偽世界の中にあるきれいな言葉に要注意、今この瞬間の状態こそが未来、制限を超越する精神的な余裕を普段から作っておくことでその先に行ける、人生は勝手に心があると思い込んだその勘違いからできている、などです。
こちらの動画を参考にして書いています。
死後の世界はこうなっています。あなたはどこへ行くでしょう?【あの世の仕組み】
前回の記事はこちらです。
一番初めからはこちらです。
個人の主観の中に次元がある、肉体は地球という同じ1つの場所にいるように見えていても個々の意識は別の次元にいる、電極プラグの数だけ多次元がある
前回は、④ぬ間際に引っかかった内容で次の人生の次元が決まるという話まででした。今回はその続きですw
動画のまとめ、要点、考察15
●④ぬ間際の心の状態にふさわしい場所へと生まれ変わる
悪いことだったら、心はとても暗くなりますよね。そして、暗い心のまま死んだとします。すると、その暗い心にふさわしい場所へと生まれ変わってしまうのです。
不快な心のまま④ねば、その時と変わらない周波数の不快な人生になって、快適な状態で④ねばその時と変わらない周波数の快適な人生に生まれ変わるということでしょう。
例えば、④の1秒前に何かを思い出して自分を責めていてそのまま④んだら、また次の生まれ変わりでも自分を責め続けて、家族、親、学校、職場、友達、恋人などの周囲からも責められ続けると言うことを体験する同じ人生になるということです。
自分の個としての肉体や外見、性別、名前、環境、周囲の人が変わったとしても起きる内容は前と同じことが繰り返されるということです。
今、物、金ナイナイの餓鬼道の人は、前に生きていた時の最期に物、金に恵まれかったから今世の自分の人生は不幸だったんだということを思い出して暗くなった気持ちのまま④んだのではないかと思います。
●毎秒生まれ変わって毎秒の人生のキャンセルが発生しているのでいつでもやり直せる
仏教の経典にもこんな話が出てきます。
とても善行為をして布施をして清らかな心で生きていた人が亡くなりました。死の瞬間何か悪い心に引っかかったようで、悪趣へと生まれ変わってしまったのです。とはいえ、悪趣へと堕ちても、すぐに功徳を思い出し、天道へと生まれ変わったのです。
これじゃ④後にもうすでに2回連続で生まれ変わっていますw
なんやねんそれw
これは作り話という感じがしますw
動画のコメント欄に便器コメントが書かれていますがそう思われて当然でしょうw
ただでさえ天道より上以外の人間が認識できない見えない領域の話なのでなおさらですw
たぶんこの動画としては、生まれ変わった瞬間にすぐ思考の切り替えができれば、その生まれ変わりの次元をキャンセルして変更できるということを言いたいのではないかと思いますw
ここで気づくところは、そんなことができるのであれば生きているも④もないということです。
結局、これ↓がいろいろなストーリーが出てくるプログラムの中で思考の切り替えをしているだけだということがわかってきますw
実際にこの世はその瞬間だけしか形成されていないので、毎秒生まれ変わっているから毎秒の人生のキャンセルは本当に発生しています。
この動画は、その毎秒に起きているキャンセル、生まれ変わりのことを言っているだけです。
たまたまその1秒が今の肉体が終わる点だったということです。
動画での「悪趣へと生まれ変わったけど功徳を思い出して天道へと生まれ変わった」という話はそのことだと思いますw
イデア界のシステムとしては作り話ではなくて、システム上本当にそういうことが起きているということです。
「悪趣へと生まれ変わった」ということは、4つの刺激的な次元ですw
そこからいきなり人間道をスキップして天道まで上がってしまいましたw
そういうありえないことが思考の切り替え1つでできるということろが偽世界での重要ポイントになります。
ありえない世界だからこそ思考や空想などの意識の使い方次第でなんでもできるということです。
なのでそれは、④の間際だけではなくて今でも同じです。
私たちは、一生のうちに数えきれない秒数の数生まれ変わっています。
ただ肉体、環境などのホログラムの見た目だけが同じ人として続いていると脳で錯覚させられているだけです。
毎秒自由に変えられるこんな素晴らしいシステムなのに、ほとんどの人間は、ありもしない初期設定の偽の型を引きずって、無限の可能性がある新しい毎秒の生まれ変わりを無駄にしています。
④後の話に限らず、生まれ変わった後だろうが今だろうがすぐに嫌な人生をキャンセルして毎秒生まれ変われるので、本気ならいつでも好きなところに行けるということです。
これを常に覚えていると④後も④ぬ前も今も来世も全て同じ位置なので④もクソもありませんw
常に1つの・だけが移動しているという感じです。
しかし、その「移動」も空想上なので感覚を生み出す装置でそう思い込まされているだけです。
私たちの本当の正体が置かれているイデア界、本当の現実に当たる場所では、実際には移動はしてなくてこの状態だということです。
その中のプログラムに時間という概念やタイムラインが入っていてそこを移動しているように脳内で感じさせているということになります。
たぶん左脳の中に偽世界が作られていて、右脳は外の世界とつながっているでしょう。
●功徳はイデア界のシステムに当てはまっていることが重要
さきほどのこちらの文章
「とても善行為をして布施をして清らかな心で生きていた人が亡くなりました。」
に出てくる「善行為」というのも、イデア界目線で見た場合は、どこにもありもしないものです。
偽世界の中だけで良いとか悪いというのが作られているだけだということです。
お布施をしたら清らかな心で善行為だという植え付けが入っていますw
それはホストが投げ銭をする人は人格者だというのとまったく同じですw
「功徳」については前に調べましたが忘れたのでもう一度調べてみましたw
こうとくと呼んでしまいますが、「くどく」だそうですw
長老動画でもたまに出てきますw
くどく【功徳】とは?
1.
神仏からよい報いを与えられるような、よい行い。世のため、人のためになるよい行い。
「―を施す」
2.
神仏のめぐみ。御利益(ごりやく)。また、よい行いの報い。
「功徳」は、偽世界ではなくて、イデア界の真理にあてはまっているというのがポイントです。
この辞書に書かれている「神仏」とかは、イデア界の真理、りょうこちゃん光コンピューターの上位意識のプログラム、システムそのもの、単品モナドの宇宙を保つ調和のことです。
偽世界の中にある神仏の話をする偉人、有名人、肩書野郎がこれは良いことですよと広めている偽の善行ではありませんのでご注意くださいw
いくら有名人、公式の学者、科学者、ヒズストーリーの偉人、神仏、仏像、銅像、石像、宗教家、僧侶、有名チャネラー、自分で悟りの頂点を極めたと言っている精神的指導者などが言っていることでも、イデア界の真理に反していたら、全然「功徳」ではないということです。
どんだけ何十年もいいことをしてきても、最期の1秒の思い出す内容で次の人生が簡単に決められてしまうところが、この世は脳でできている、その瞬間だけ1秒しか形成されていないという証拠になります。
だからマジで④にそうな1秒前までに、1秒で思考の切り替えをするテクニックが身についていれば次の人生も楽勝だということです。
感情がないサイコパスチックな人ほどなんでもうまくいったり必ず達成するし悩み0な理由はそういうことだったということになります。
それこそが本来の人間、人間の本当の正体である偽世界の外にいる英&愛の姿でした。
そして、その通りに生きると無限の力として自由に5次元の断片を使えるので非常に人生がラクになるということです。
スピで言うと、「宇宙に一体化して生きる」という生き方ですが、それは神秘的なことではなくて情報処理体らしく、英&愛らしく生きるということになります。
●その瞬間快適ならそれでいい
今までの話を簡単に言うと、どんなに悪いことをしていても、④ぬ間際の最後の1秒だけ快適な気分で良ければいいということになります。
それは、生きている間も毎秒快適な気分ならそれで良い、それが宇宙エネルギーとして世界観としての宇宙のために役に立っている時であり、宇宙に求められている最善の行動をしている時だということです。
人生の最期においては、普段からの癖、特に長年やっていた習慣は無意識でパッと出てしまうので、実際にはその癖が最後の1秒を決めるでしょう。
世間で言われている点数稼ぎのような善行とか心にもないのに人に優しくするとかいいことをするなどの無駄な努力をするよりも、毎秒一刻も早く自分の癖に気づいて直して潜在意識と脳を調教するほうが全然得だということになります。
しかし、こういう話の意味がわからなくても、毎秒不快にしかなれなくても何を思い出しても、執着して怒り狂ったり恨みつらみを言い続けたり自責の念に囚われたり悲しんだり何をしても、そういう役、担当者として存在しているだけで宇宙の役に立っているので深く気にする必要はありません。
実際に誰もが電脳の脳内だけで人間という生命体であるという疑似体験をしているだけなので、脳(りょうこちゃん光コンピューター、プログラム)の外はどうなっているか分からないということだけが言えます。
●偽世界の中にあるきれいな言葉に要注意
清く正しく生きている人は、死ぬ間際でも清らかな心でいる確率の方が高いのです。
「清く正しく」、「清らか」というのも何を基準にするかによって変わってきます。
実際に、そういうものは自分の主観で決めるだけだからどこにもありません。
なので、どんな状態でも正しい、悪いはないから、暗い心で終わってそのまままた次の人生も全く同じ暗い経験をしても全然良いということになります。
偽世界の中には、実際には幻覚のありもしない口だけのきれいな言葉が数え切れないほどあります。
ヤーミーが大好きな言葉、永遠、平和、自由、愛、信頼、豊かさ、成功、富、達成、完璧、博愛、平穏、清く正しく美しくみたいな何を基準に言っているのか分からないような決めつけ、優秀、人格者、実績、業績、高評価、有名、肩書、ステータス、ランキング上位、ナンバーワンみたいなのがそうです。
そういうものが本当にあるものだと思い込んで、手に入れないといけない!と思って追いかけまわしてしまうと、その行為自体が幻覚になってしまいます。
幻を手に入れたくなる時は、幻である自我、エゴに傾いています。
なので、一見きれいに聞こえる言葉は本当にあるのかどうか確かめないといけないということです。
しかし、どこにもないので確かめようがありませんw
ほとんどが存在していませんw あるのは、主観の中だけです。
それにきーづーけーよーということになりますw
そういう幻のきれいなものが欲しいなら、自分の中で作る以外にないということです。
自分の捉え方でそう捉えたり発想力でそうするしかありません。
●今この瞬間の状態こそが未来
この動画が言っている意味は、正しい悪いとかのジャッジではなくて、今、天道、色界地なら④ぬ間際でも今持っている肉体を終えた④後でもその状態であるということです。
なんでもそうですが「次」というのは、今のこの瞬間と同じ状態が維持されるだけだということです。
「次」というのもありもしない言葉の1つですw
常に今この瞬間が形成されるだけです。
この世はその瞬間しか存在していないので、とにかく「次」というのは今の状態が現れただけ、今この瞬間こそが未来だということです。
もちろん「未来」も「次」という言葉と全く同じなのでありませんw
なので、2025年7月何日が危険!とか日付指定で恐怖情報を垂れ流している人は、今この瞬間にもうすでに非常に危険な状態ですw
それは、その人の主観のパラレルワールドだけにまた非常に危険な瞬間が形成されるということです。
これは、また日常生活に支障をきたす認知症、アルツハイマーの話にもつながってきます。
医療系の人も重度の怒り、悲しみ、恨み、妬み、罪悪感、寂しさなどの破壊的感情、思考がある人が日常生活に支障をきたす認知症、アルツハイマーになりやすいと言っていました。
医&者が言っているから信用できるとかいうわけではなくて、普通の一般人だとしても潜在意識のことがわかっているなら普通にそうだとわかりますw
元々、疑似体験の場である偽世界の中に作られた人間という架空の生命体自体に感情も心もないのに破壊的感情を持っているということは、りょうこちゃん光コンピューターに破壊的感情をプログラムしたのと全く同じです。
そんなことをしたら、りょうこちゃん光コンピューターのプログラムが破壊的な方向に向かうのは当たり前だということです。
ただでさえ老化でメモリが減って重くなってきている脳のコンピューターは壊れて当たり前田のクラッカーだということにもなってきます。
●制限を超越する精神的な余裕を普段から作っておくことでその先に行ける
逆に堕落した人生を送っている人が、死ぬ間際になって急に清らかな心はなかなか作れません。
最後にきていい話w
これが非常に重要です。
毎日餓鬼道とか修羅道やってていきなりもがいてもどんなに努力しようとしても、マジで④にそうな1秒前に天道、色界地になることはないということです。
五体満足なうちは本気度によって変えることは可能ですが、前回話したようにマジで④にそうな1秒前は、人生の中で一番制限がかけられている最高難易度のラスボスと裸と素手で一騎打ちするような感じです。
そんなところで、五体満足だったときにできなかったようなことができるわけがないということです。
試験前にいくら勉強していても、本番になると緊張して全部忘れるのと同じですw
試験当日は、その緊張という制限を超越する精神的な余裕がないと、せっかくやってきたことも身に着けた知識も技術も使えません。
しかし、潜在意識に前もってその癖の型をつけておくと、自動的に発動するのでこっちから何かしようとしなくても勝手に動いてくれます。
試験の例でいうと、いろいろと環境を変えて模擬試験とか受けまくったり、人前で何かしたり前もって緊張しない型をつけておけば試験本番でいつも通りのリラックスした状態で挑めるということです。
それも普段からの練習、訓練、癖付けによって発揮できることです。
しかし、非常に少ない確率で、緊急時の火事場のクソ力のように、超意識が出て奇跡を起こすこともあります。
しかし、それは期待しているなら出てきませんw
それこそ我も、時間も、環境も、人目も忘れて、評価、結果とかに期待しないでメタバッチョに穴を開けて偽世界の外にサーマディー(その時にやっていること1点に集中していて話しかけられても気づかないような変性意識状態になったとき)したときだけです。
その超意識による奇跡もまた、普段から自分の凪の土壌を整えていて潜在意識を手なずけている人の方が起こせる確率が高いということになります。
イデア界からすると、奇跡というのは、土台が整っていてそれが起きても次の段階に進める準備している人にしか起きないもののことですw
制限を超越する精神的な余裕を普段から作っておくことでその先の次元に行けるいうか、もっと使える意識の範囲が広くなるからさらにラクになるということになります。
それができないなら何回も同じレベルの内容の人生を繰り返すだけでしょう。
いろいろありますが、簡単に言うと、今天道や色界地、それ以上にいる人はそのままの状態でありのままでいればいいということです。
●人生は勝手に心があると思い込んだその勘違いからできている
ですから、やはり普段の心の癖が大事なのです。
本当にそうですw
実際に、人生は、全部今までの心の癖が作っています。
しかし、イデア界視点に戻って冷静に考えると、架空の生命体である人間に心も感情も自由意志というものはありません。
それがすべての基盤です。
常にこのクマチャンのような目線でいることが非常に重要ですw
なので、疑似体験であるバーチャル世界の偽世界の中の架空の生命体人間の人生は、勝手に心があると思い込んだその勘違いからできていると言えますw
クマチャン目線になると、ゲームの中は全部架空の話だということがわかります。それが偽世界であり、人間であり、人生などと言われている疑似体験です。
その疑似体験の中にいろいろな説があるわけです。それが輪廻転生とか④後の話、ヒズストーリーをはじめとした作り話、様々な伝統、文化、風習から伝わってきたもの、スピなどの作り話です。
前に他の仮想現実で生きていたキャラの心があると勘違いして出来上がった癖が積み重なっているのが業(ごう)です。
なので、その勘違いに気づけば、邪魔にしからならないゴミ屋敷の不要な癖はその後全部消えて無限の力が流れ込むから何でも楽になるということになります。
言い方を変えると、早く自我、エゴ、心とか感情、自我の自由意志とかそういうありもしない発想を捨てちまえということですw
それだけで自分もへったくりもなくなるので、純粋な無限の力になれるということになります。
そしたら無敵、全知全能、宝庫からなんでも取り出したい放題になります。
それが偽世界ゲームの素晴らしいところです。
前から引き継いで持っていた業(ごう)で縛られてるのが今の人生で体験している内容です。
ゲームの中では、前から持ち続けている業(ごう)だけは変えることができませんが、それ以外は外側から植え付けられた情報からできているので、自由に変えることができるということになります。
いずれにしても、疑似体験の中だけの話です。
でも、あなたが死後どこへ行くかは誰にもわかりません。
イデア界視点で考えた場合は、どこに行く行かないという発想がそもそもありません。
イデア界は、そういう構造ではないということです。
④後があるない、天国地獄、どこに行くなどの発想は偽世界の中の世界観演出が作り上げた作り話です。
死ぬ前の心が決めるのですから。私たちができることは、常に善い心で生きていく、行動していく、それにつきるのです。
マジで④にそうな1秒前ではなくて、今のこの瞬間の心が決めると言っても全く同じ意味になります。
またこの「善い心」という言葉にも注意ですw
その「善い」というのは、偽世界の世界観の中のナチョス文化の良し悪し、成績、評価、学歴みたいな点数的な内容ではなくて、イデア界に従っているかそうでないかということが重要です。
私たちができることは、常にイデア界の目線で生きていく、行動していく、それにつきるのですw
この続きは次の記事になります。